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滅亡に追いやる夢

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「眠れない時に無理をしなければ、眠くて仕方がない時に、我慢できるようになり、それを一度我慢してしまうと、次第に、眠れないと思っていた時間に眠れるようになる」
 ということであった。
 どうやら、それが、
「自浄作用」
 というもののようで。
「人間には、誰にも自然と思える行動があり、それがリズムの範囲内であれば、いくらでも、修正が利く」
 ということになるのだろう。
 だから、不眠症というものも、精神的な病気と併用する場合を除いては、
「自浄作用で何とかなるのではないか?」
 と考えられるのであった。
 ただ、これが、精神疾患であったり、その他の病気と絡んでくると、そうも簡単にはいかない。
「自律神経失調症」
 であったり、
「双極性障害」
 などの精神疾患は、
「他の精神疾患を誘発する」
 という特徴があったりすると、その症状が、次第に行動範囲にも影響してきて、
「不眠症」
 という病気を誘発したりする。
 そうなると、
「元々が、脳の病気で、薬を常時服用しないと、症状がどんどん悪化してくる」
 ということになり、不眠症の場合も、
「同じように薬で、悪化を抑えるしかない」
 ということになるだろう。
「自浄作用だけでは、どうにもならない」
 ということである。
 ただ、今川の場合は、そこまでひどいことはなかった。
 何とか、自浄作用が働いて、問題なくいけたのは、
「不眠症というものが、精神疾患によるものではなかった」
 ということであり、
「だから、今は、精神疾患ではない」
 ということを証明しているということを証明していた。
 なぜか、そのことを、本人は自覚できていて、そういう意味でも、
「自浄作用を誘発できるほど、利口な人物だ」
 といえるだろう。
 しかし、あくまでも、その時はそれでよかったのだが、
「自分は利口な人間だ」
 ということを感じたことで、自分の性格に、
「胡坐を掻いてしまい、それが、油断を招く」
 ということに気づかないのだ。
 以前、ミステリー小説を読んでいて、
「一番安全な隠し場所は、警察が一度調べたところだ」
 ということであった。
 警察というのは、証拠を探したりする時、決められたマニュアルに沿って、
「徹底的に調べ上げる」
 ということをするだろう。
 だから、
「一度調べたところは、二度と調べるようなことはしない」
 根拠がなければ、調べることができないといってもいいだろう。
 いくら捜査のためだといっても、個人の所有物の捜査をする時というのは、
「捜査令状」
 というものが必要になるのだった。
 それがなければ、警察と言えども、勝手には捜査することはできない。
 だから、一度調べて、
「そこにない」
 ということであれば、再度同じ場所を調べるために、もう一度捜査令状を取らないといけない。
 その時には、
「何か決定的な根拠がなければ、簡単に裁判所が令状を出すわけはない」
 ということになるだろう。
 そういう意味で、逆に警察の方も、
「一度調べて、そこにないということが分かれば、もう一度同じ場所を探そうとは思わない」
 なぜなら、一度探してなかったのだから、もう一度探すということは、
「最初に探した時を否定する」
 ということになり、
「自分たちのプライドを傷つける」
 ということになるからではないだろうか。
「油断とプライド」
 それぞれに、まったく違っているように見えるが、果たしてそうだろうか?
 元々、
「プライドが大きければ大きいほど、まわりに向けての意識が強く、灯台下暗しということになる」
 と考えられるのではないだろうか。
「逆に油断をするというのは、それだけ、普段から自分が完璧だと思い込んでいるからで、それが、自信過剰というもので、その自信は、プライドからきているものだ」
 といっても過言ではない。
 それを思えば、
「プライドも油断も、自信過剰のなせる業」
 ということで、
「自信を持つということは悪いことではないが、過剰になると、ろくなことはない」
 といえる。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
 ということわざそのものだといえるだろう。
 人間にとって、睡眠というものは、
「絶対になくてはならないもの」
 という生活リズムである。
「水を飲んだり、食事をしたり」
 というのと同じ生活リズムであり、これは、
「生きていくうえでの欲の一つ」
 といえるだろう。
 呼吸をするというのは、無意識に行う生存欲のようなもので、
「食事や睡眠」
 というのも、意識的ではあるが、
「空腹になる」
 ということも、
「睡魔に襲われる」
 ということも、意識してその意識を誘発するものではない。
 だから、
「呼吸をする」
 ということと同じ意識が、
「無意識に襲ってくる」
 というもので、
「空腹や睡魔を欲と考えるなら、呼吸をするという生存欲というものと同じものではないだろうか?」
 といえるだろう。
 だから、本来であれば、
「不眠症」
 というのは、
「無意識に働く生存欲だ」
 ということであれば、
「ありえないこと」
 といってもいいかも知れない。
 しかし、
「そのありえないことが実際に起こり、予備軍も含めると、かなりの人が、不眠症に悩まされている」
 ということは、
「不眠症というものが、本当に病気であり、精神疾患の一種ではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 しかも、これは、
「パニック障害」
 であったり、
「双極性障害」
 というもののように、
「必ずしも、他の精神疾患を誘発するものではない」
 ということになれば、
「早期治療であれば、自浄作用で何とかなる」
 とも言えるが、下手をすれば、
「精神疾患というものの中で、簡単に陥ってしまうものだ」
 ということになるといえるだろう。
 以前見たマンガで、不眠症というものを描いていいる、
「ギャグマンガ」
 であったが、その最後のオチとして、
「眠れない眠れない」
 といって、実はそれが、眠っている人が、
「不眠症の夢を見ている」
 というものであった。
 これは、かなり昔のギャグマンガ最盛期の時代に描かれたマンガであり、
「こんなのを描けば、今では発禁になるんじゃないか?」
 と言われるものであった。
 もう、半世紀くらい前のマンガであり、当時はまだ、
「精神疾患」
 というものが、そこまで広く社会問題になっている時代ではなかっただけに、結構厄介な時代だったといえるだろう。
 当時は、
「精神疾患」
 などと言わず、
「精神病」
 と言われ、差別対象だったりもした。
 その反面、
「放送禁止用語」
 と言われるものも言われ始め。
「身体的な障害のある人であっても、その少し前は、身障者であっても、差別対象だった」
 のである。
 今の時代は、ある程度、精神疾患や身障者に対しての、
「社会的な制度」
 というものができあがっていて、体制としては、
「社会保障が行き届いている」
 といってもいいかも知れないが、実際に、
「個別案件」
 としては、正直、疑問でしかない。
 特に政府のやり方として、そのザルともいえる体制が、露骨にあらわになるのは、
「自然災害」
 あるいは、
作品名:滅亡に追いやる夢 作家名:森本晃次