滅亡に追いやる夢
ということであれば、
「合格者の中での順位を考えれば、中の下くらい」
といっても、いいだろう。
そんなことは、普通に考えれば分かるというものだ。
しかし、それを理解できないのだ。
元々、
「理解できないことは、そこから先に進むことができない」
という性格なので、
「高校に入れば、余計に理解できるわけはない」
と思うのだった。
それは、
「自分はトップクラスだったのだから、理解できないはずがない」
という、
「驕り」
であったり、
「傲慢さ」
というのが表に出てくることで、自分が、
「理解できない」
などということを信じたくないのであった。
「自分で自分を信じられない」
ということになると、
「本能のなせるわざ」
というものに頼るしかないのだろうが、
「自分は人間だから、理解することで先に進むしかない」
という過剰な自信から、
「トップクラスだった」
ということを否定したくないという思いから、
「どうして、順位が低いのか?」
ということを理解できないのだった。
それは、
「理解しようとしないから」
という単純な理屈を、自分で理解できないからだろう。
それを思うと、中学時代の先生に掛けられた、
「自分に対しての自信」
というものが何だったのかということが分からない。
「暗示だった」
という意識があり、本当は、
「自己暗示を自分でつけるためのきっかけにしか過ぎない」
ということを、
「すべてが、先生による暗示だった」
と考えることで、
「自分の中の逃げのような言い訳だ」
と思うことで、
「自分を正当化しようとしている」
ということなのかも知れない。
ただ。この、
「暗示」
というものを、表裏の関係として、
「紙一重だ」
と感じるようになると、この暗示というものが、
「強迫観念ではなかったか?」
と感じるようになった。
確かに先生は、甘い言葉で、
「お前なら大丈夫」
といって、暗示をかけてくれた。
だからこそ、受験に成功したわけであり、ただ、それは、
「受験に成功する」
というだけのことだったのだ。
先生も、そのことは分かっていたのかも知れない。
「合格率を上げる」
あるいは、
「一人でも、優秀校に合格させる」
ということが、先生一人一人に課せられたノルマだったとすれば、
「受験に合格する」
ということがすべてなのだ。
「五分五分かも知れないが、生徒が、受験をしたい」
ということであれば、
「後は、合格させるために、あの手この手を考える」
といってもいいだろう。
そして、
「合格してしまえば、あとは、高校の先生の問題だ」
ということになり、
「その生徒は卒業生ということで、それ以上何も言うことはできない」
ということである。
高校生になると、なるほど、
「高校の先生」
が目の前にいて、
「俺の成績の責任は、高校の先生にある」
と考える。
だが、先生とすれば、
「それくらいの学力しかないのに、受験してくるなど、甘いわ」
と考えることだろう。
中学時代がどれほどのものだったのかということは分からない。あくまでも、
「高校からがスタートラインだ」
と思うからだ。
ひょっとすると、
「理解できないと先に進めない」
という生徒は、今川に限ったことではないかも知れない。
それを分かっていて。
「しかたない」
ということで、
「気の毒だ」
と思うかも知れないが、無理もないことなので、どうすることもできないという生徒を押し付けられたことで、
「俺には、責任ない」
と投げやりになる先生もいるだろう。
何といっても、
「高校は義務教育ではない」
という思いから、
「落ちこぼれたら、その生徒が悪いんだ」
と考えることだろう。
しかし、これは理屈の上では当たり前のことだ。
だが、
「落ちこぼれを救わない先生」
というのが、
「悪い先生」
という烙印を押されるのは、昔からある、
「学園ドラマ」
というものの影響なのかも知れない。
昔であれば。
「不良」
などと言った一部の連中の、
「非行問題」
から、平成に入ると、
「いじめ問題」
というものから、
「引きこもり」
という問題が起こり、最近では、
「児童虐待」
などという問題と並行して、
「大人の体罰」
という、
「コンプライアンス違反」
という問題が起こったりしているのであった。
それは、
「文部科学省」
というところによる、
「就学カリキュラム」
というものが、その時々で変更されるということにも原因があるかも知れない。
昭和の頃であれば、
「産業を奨励したりして、
「日本人が独自に開発できる頭脳を持った学生の養育」
ということで、
「詰込み教育」
ということで、
「受験戦争」
というものが起こり、そこから、
「落ちこぼれが発生し、非行問題に発展した」
ということであった。
さらに、
「いじめ問題」
が発生してきて、
「引きこもり」
というものが生まれると、
「詰込みはいけない」
ということで、今度は、学校を週休二日制にしたりして、
「ゆとり教育」
というものが、当たり前になってきた。
すると、今度は、平均学力の低下や、カリキュラムが進まないなどの問題が出てきたことで。
「ゆとり教育」
というものではなく。
「想像を豊かにする教育」
というものを目指すようになってきたのだ。
分離
脅迫観念というものが、自分の中で芽生えてくると、自分の中で、
「記憶喪失になったのではないか?」
という錯覚を覚えることがある。
それが、
「夢を見ていて、目が覚めるにしたがって、忘れていく」
ということが自覚できる時だった。
目覚めを感じている時は、確かにまだ、夢の感覚が残っていて、
「今なら、夢を忘れていくなど考えられない」
と感じるはずなのに、どこからか、
「あれ? どうして、忘れてしまったんだ?」
と思ってしまうのだった。
「夢を見た」
ということを、子供の頃は結構覚えているが、その内容というと、
「どんな夢が記憶に残っているのか?」
ということの共通点を、なぜか覚えていないというものであった。
しかし、大人なると、今度は、
「夢を見た」
という感覚はほとんどない。
だから、その分、
「見た夢を覚えているのも、極端に減った」
と思っているのだが、その分、
「夢の共通点」
というものが分かる気がしてきた。
そこには、2つのものがあった。
一つは、
「怖い夢」
という感覚だった。
正確にいえば、
「印象深い夢」
ということである。
楽しい夢というのは、
「夢というものがハッピーエンドでは終わらせてくれない」
ということで、
「楽しい最中で、目が覚めてしまう」
ということからだ。
楽しい最中に目が覚めて、
「ああ、もっと見たかった」
と感じさせるのだから、
「せっかく楽しい夢でも、目が覚めてしまうと、印象としては、それ以上見れないことの未練が残ってしまい、よもや、楽しい夢だとは思えない」
と感じてしまうことになるのだった。