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滅亡に追いやる夢

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「レベルの低い学校に入学すると、ろくな学校ではないということで、悪い仲間に引き込まれて、ろくな大人になれはしない」
 という思いが自分の中にあったのだ。
 幸いにも、
「志望校に入学できた」
 ということで、学校に対しては、
「文句のつけようがない」
 といってもよかった。
 しかし、それはあくまでも、表面上のことであり、
「実際には、五分五分の合格率」
 と言われていた。
 だから、
「何としてでも試験に合格さえすれば、あとは何とでもなる」
 と思っていたのだった。
 中学時代は、クラスでも、トップクラスに近かった。だから志望校というのも、
「県立の進学校」
 ということで、
「クラスでも、数人の成績優秀者しか志望する人はいない」
 というほどで、中学時代は、それだけの学力があったということであろう。
 本人は、
「そこまで自分を、エリートだという意識はなかった」
 と思っていた。
 しかし、中学の先生から、進路指導の中で、
「お前は、成績がいいんだから、神学校を目指してもいいんだぞ」
 という、
「お墨付き」
 のようなものをもらっていた。
 お墨付きといっても、もちろん、
「絶対合格」
 という烙印というわけではない。
 あくまでも、
「狙ってもいい」
 という程度のもので、その時、
「俺って、実は頭がいいんだ」
 と自覚するようになったのだ。
 その時に、先生から、
「暗示」
 というものを掛けられたのであった。
 それが、
「先生からの暗示」
 だという意識はなかった。
 それよりも、先生から言われたことで、
「初めて自分の頭の良さというものを自覚した」
 という意味での、
「自己暗示だ」
 と思うようになったのだ。
「自己暗示」
 というものを掛けることで、
「進学校を受験する勇気」
 と、
「合格に、自己暗示が必要だ」
 ということを知ったといってもいいだろう。
 進学校というのは、確かに、
「自己暗示をかけるくらいでないと、合格できるものではない」
 というほどのレベルの高いところなのだろう。
 先生からも、
「五分五分」
 と言われて、それでも受験したのは、
「そこで合格できなくとも、レベルを二段階くらい下げたところの二次募集があるようなので、
「そこで合格できればいい」
 というものだった。
 だが、自分が考えているよりもうまくいき、合格することができた。
 それによって、さらに、自己暗示が強くなり、
「俺って頭がよかったんだ」
 といううぬぼれのようなものが大きくなってきた。
「勉強が嫌いだった」
 という時期はなかった。
 かといって、
「勉強が好きだ」
 と感じることもなかった。
 ただ、小学生の低学年の頃は、
「成績は最低ランク」
 だったのだ。
 その理由は分かっている。
「理屈が分からなければ、納得できない」
 ということで、勉強においても、同じことであった。
 成績の悪さというものを、自覚したのは、
「算数の最初で躓いた」
 というところからだった。
 というのは、
「1+1=2」
 という、
「一番最初に習う公式」
 というものの理屈が分からなかったからだ。
 指で説明されれば分かるのだろうが、小学生の自分には、
「指で説明されても、その理由が分からなかった」
 ということであった。
 その理屈が分からないと、その先に進むことができない。
 算数が先に進まないと、国語も理科も、理解できないことばかりと勝手に思い込み、テストの問題の意味がまったく理解できず、ほとんどのテストが、白紙で回答することになった。
 きっと先生は、
「バカにされている」
 と思ったかも知れない。
 露骨に、自分を見下げた目で見ているというのが分かった気がした。
 小学生とはいえ、
「理解できないことを、いくら理解しろ」
 といってもできるはずがない。
 先生とすれば、
「分かりやすく説明しているつもりだ」
 ということなのだろうが、理解できないのだから、しょうがない。
 算数を理解できるようになったのは、それまで、
「理解しようとしてもできない」
 と思っていたからで、
「理解できないことを無理に理解しようとしなければいいんだ」
 と考えるようになると、
「理解できなかったということが悪い」
 というわけではなく、
「変に考えなければいい」
 と思うようになると、急に、
「うろこが落ちたかのように、理解できる」
 と感じたのだ。
 それが、小学三年生くらいのことだっただろうか。三年生までの遅れていた部分が一気に理解できるようになり、そのスピードの余勢をかって、どんどん、まわりを追い抜いて、気が付けば、
「算数に関しては、トップクラスだ」
 と感じるようになったのであった。
 他の教科に関しては、そこまで感じることはなかった。
 ただ、先生のそれまでの態度とは明らかに違っていて、あの、
「見下したような目」
 というものがなくなり、安堵からか、目が合えば、笑顔を見せるようになった。
 小学生の頃は、
「ざまあみろ」
 というような気持ちであったが、中学時代になると、
「成績のいい生徒」
 というだけで、他の生徒との差別的な対象ではなかった。
 ただ、
「進学校に挑戦してみるのはいいことだ」
 といってくれたことで、自分もその気になったのだ。
「それこそが暗示」
 というものであり、あとから思えば、小学生の頃に勉強ができるようになったのも、
「先生からの暗示だったのかも知れないな」
 ということであった。
 小学校の、二年生までの先生は、
「どうしようもない生徒だ」
 ということで、見向きもしなかったと思えた。
 それは、
「見下した目線を見上げても、直接は見えない」
 というもので、それだけ背が低かったのだろうが、それが功を奏していて、自分の中で。
「勉強が理解できなくても、別にいいや」
 と思っていた。
 しかし、三年生になって、きっかけが何だったか分からないが、一つの理解が、どんどんその先にもつながっていて、
「二年間で習う」
 という内容を、数日で理解できるようになり、それまで、
「白紙で出していた答案用紙が埋まるどころか、満点に近い成績」
 というものをはじき出したのだから、さぞや。先生もびっくりしたことだろう。
 本人もびっくりしていた。
 というのは、
「理解できるようになって、勉強すれば、その結果はテストという形で歴然と現れる」
 ということが分かったことにであった。
「成績が上がる」
 ということは分かっていたが、ここまで、
「効果覿面だ」
 とは思ってもみなかったのである。
 それが、中学になると、一度挫折のようなものを感じた。
 それは、
「算数から数学に変わった」
 という時であった。
 普通に考えれば、
「時系列とともに、レベルが上がっていくというものだ」
 というものではないだろうか。
 だから、
「算数から数学」
 という、
「レベルアップした学問」
 を、中学から習うということなのであろう。
 算数というものは、
「1+1=2」
 という理屈が分かった時から、好きになっていた。
 それは、最初の難関だったものを、
「一つの公式」
作品名:滅亡に追いやる夢 作家名:森本晃次