正のスパイラル
「結婚して新婚旅行に海外に出かけたはいいが、結婚してから始めて、夫婦として一緒に行動してみると、今まで見えていなかったものが、一気に見えることで、もう一緒にいられないと思うからなのか、帰国してすぐに、離婚届けを出しに行く」
ということから、
「成田離婚」
と呼ばれるのであった。
「今まで見えなかったのが見えてきた」
ということであるが、それは、本当にそうなのだろうか?
「今まで見えなかった」
というわけではなく、
「見ようとしなかった」
ということではないだろうか?
つまり、
「本当は分かっていたことではないか?」
ともいえるのだ。
分かっていながら、
「何とか我慢できるかも知れない」
と思い、結婚まで踏み切ったはいいが、結局ダメだったということで、
「成田離婚」
と聞くと、
結婚したばかりで、まだ何も分かっていないのに、すぐに離婚するなんて。根性がない」
といわれるかも知れない。
しかし、実際には、
「結婚する前に、見切りをつけてしまい、結婚前にすべてをキャンセルして、リセットする人もいた」
ということだろう。
結婚してもいないのだから、さすがに、
「成田離婚」
というものほど目立つわけではない。
それでも、結婚前にリセットするのだかた、確かに、
「選択のタイミングとしては間違っていない」
といえるに違いない。
ただ、
「成田離婚」
というものだけが目立ってしまって。中には、生活を始めてすぐに離婚する人も少なくはない。
そういう意味で、
「半分近くの夫婦が、一年以内に離婚している」
といわれても、ビックリはしないと考える人も多いということではないだろうか?
詳しい数字を知るわけでもないので、逆に、
「何といわれても、それほどびっくりすることはない」
何といっても、
「成田離婚」
という言葉で、その離婚というものの衝撃の強さを、インパクトの強いものということで認識させられるのだから。大きな問題だというのは間違いない。
伊東教授は、自分が結婚を考えていた時、その
「成田離婚」
というものを、
「ちょうど言われていた」
という時期とかぶったことで、
「一度離婚すれば、もう二度と結婚は考えたくないかな?」
とも思っていたが、実際には、
「まだお前も若いんだから、これからどんどんいい人が現れる」
ということをいわれ、
「思わずその気になってしまった」
という時期もあったことは否定できない。
ただ。それも長い期間ではなかった。
実際に、人がいうように、簡単に出会いが待っているわけではない。
自分から探さないといけないというわけで、半分は、
「もういいや」
という諦めの境地もあるわけで、そうなると、
「本当にどうでもいい」
というくらいに、そういう時に限ってみてしまうのは、過去のことばかりだといえるのではないだろうか?
「昔というのは、過去」
という意味で、
「自分が通ってきた狭い範囲の過去」
ということであった。
過去として通り過ぎてしまったものを、
「過去」
という形で見るのであれば、そこには、教訓がなければ、ただの、
「通り過ぎた時代」
というだけのことである。
そういう意味で、伊東教授も、山岸という学生も、
「過去というものに対して考えた時、歴史研究であれば、それが、自分のためになるのであれば、それに越したことはない」
といえるのではないだろうか?
それが、
「歴史研究の醍醐味だ」
と考えさせられるのであった。
歴史研究というものを、伊東教授は、途中でやるのを辞めた。教授としては、最後までまっとうし、大学教授としての責任はまっとうしたのだが、その研究は、山岸研究員たちに受け継がれることになった。
あれから、山岸研究員も今では、准教授という立場になり、
「もうすぐ、教授」
というところまで行きつくことができるようになったのであった。
その研究がどこまでうまくいっているのかということは、ものが、
「歴史研究」
ということで、その評価も難しい。
何しろ、
「誰も見てきた人がいない」
ということだから、誰も、自信をもって。
「それが正しい」
とは言えないからだ。
ただ、これは歴史に限らず、
「どんな学問においても同じこと」
だといえるのではないだろうか?
確かに、他の学問でも、
「誰も見たこともないことを研究し、生活の役に立てようとしているのだから、
「誰がそれを証明できるというのか?」
ということであるが、結局、そのために、
「学会」
というものがあり、有名な先生や有識者たちが、その信憑性について、立証することになるのだ。
だから、
「学術研究」
というものが、
「どれほど大切で、研究会というものが、必要不可欠なものであるか?」
ということになるのである。
確かに歴史というのは、
「過去の歴史を誰も見たことがない」
ということであるが、間違いなく、
「一本の線でつながっているものが、一つの歴史を作っている」
というわけである。
そこには、いくら途中で、事件やクーデターなどがあるとしても、そこには、それだけの理由というものがある。
「偶然」
といえばそれまでだが、
「偶然という言葉で片付けられない」
ということも往々にしてあるものだ。
それが、いわゆる、
「パラレルワールド」
と呼ばれるもので、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっているわけで、今自分たちがいる時代や、次元というものが、他にもあったとしても、今の現在が事実だということになれば、今に行きつくまでの真実は一つだ」
ということになる。
「事実は確かに一つなのだが、事実と真実というものは違うものだと考えれば、真実は必ず一つだとは言えないだろう」
つまり、
「真実も一つだというのであれば、現在が一つであるならば、過去も一つであり、無限に広がっているはずの未来も、必ず一つになる」
といえるのではないだろうか?
それが、歴史というもので、時系列ということになるのだろう。
そうなると、
「時代の流れに逆らうことはできない」
ということになり、
「人生は生まれながらに決まっている」
ということだ。
「それでは、あまりにも夢がない」
といえばいいのか、
「生きている意味がどこにあるのか?」
ということを考えさせられてしまう。
伊東教授が、
「歴史研究を辞めた」
というのには、たくさんの理由があるのは間違いないのだが、その中で、
「ターニングポイント」
となるものが存在したということであれば、それが、
「歴史の真実が一つ」
ということから考えられるものから、急に、
「歴史を研究するということに対して、虚しさというようなものを感じたのかも知れないだろう」
それを考えると、最初は、
「辞めるまでしなくてもよかったのではないか?」
と考えたこともあった。
しかし、かといって、また研究に勤しむということはしようとは思わなかった。
というのは、
「人間、一度張りつめていた意図がプツンと切れてしまうと、やる気が失せてしまう」