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正のスパイラル

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「伊東先生のゼミ」
 と決めていたのだ。
 最初から、伊東教授のゼミを希望する生徒というと、
「俺はくじ運がないからな」
 といっている人であったり、
「皆が群がるようなところは、最初から嫌だ」
 と思うような、
「天邪鬼的な性格の人間」
 というのが多かったのだ。
 実際に大学の講義でも、
「人気のない授業に限って受けに来ていて、一番前でノートを必死に取っている生徒が数名いたが、その中の一人だ」
 ということである。
 そもそも、
「人気のない授業に、数名がかぶりつきでノートを取っている」
 という光景は一定数見られる。
 というのは、これは、
「試験対策」
 というもので、
「大学生というと、一定数の仲間がたむろする」
 というのは当たり前のことであり、人が集まると、
「出席を取る授業でもない限り、皆が講義に出る必要はないのではないか?」
 と思っていた。
 それぞれの授業で、二、三人が講義に出て、ノートをつけていることで、
「いざ試験」
 ということになった時、困ることはないということであった。
 講義ノートを人数分コピーして、
「それを試験勉強に使う」
 というのも、一つのやり方というものだ。
 試験前になって、
「大学の生協の前のコピー機に、たくさんの人が並ぶ」
 という光景は、昔から見られたもので、
「大学側としても、学生が何としてでも単位を取って、卒業してくれればそれでいい」
 と思っていることだろう。
 そもそも、大学というところはそういうところで、ただ、卒業するためには、越えなければいけない壁というものがあり、さらには、その壁を超えることで、大学の研究室ともなると、その中から、
「大学院に進み、研究者として、大学に残る」
 という人も少なくないだろう。
 山岸という学生も、最初こそ、
「普通の大学生」
 ということで、
「就職の時は、普通にどこかの企業を目指そう」
 と漠然としてしか考えていなかった。
 しかし、この大学の日本史研究学部というところは、少し変わっていて、
「二年生の途中から、研究所に入ることができる」
 というものだった。
 ただ、人気があるところは、一度3年生になると、3年生になった人の中でリセットされ、再度他の学生と混じって、もう一度くじ引きということになるのであった。
 だから、人気のある研究所に、
「2年生から入る」
 という人はまずいなかった。
「リセットされるんだったら、何も今から入っておく必要なんかあるわけはないじゃないか?」
 と考えるからだった。
 だが、
「2年生から入るゼミ」
 ということで人気があるのは、
「伊東研究所」
 だったのだ。
 山岸も、2年生から、このゼミには参加していた。
 といっても、2年生は、そんなに人がいるわけではない。
「うちは、毎年5、6人がいいところくらいかな?」
 と、先輩は言っていて、
「これも、多いわけではなく、少ないわけではない。ちょうどいい人数だといっても過言ではないのかな?」
 ということであった。
 そういう意味で、
「伊東研究所」
 というところは、
「可もなく不可もなく」
 と、実際に三年生になってから言われることを、山岸は、2年生で味わっているのであった。
 2年生で入ってくると、上級生のような、
「卒業に必要な、必須単位」
 ということではなく、あくまでも、
「一般教養の中の一教科」
 というだけで、その単位の重みはまったく違ったのだ。
 だから、2年生の間は、実際に三年生以上とは、別格で、行動を共にするということもなく、
「講義の時間はまったく違っていて、一緒に研究をする」
 ということもなかった。
 そういう意味では、
「先輩後輩で、顔も知らない」
 というのが当たり前で、ただ、他の研究室とは、そのあたりが一線を画しているといってもよかっただろう。
 他のゼミであれば、確かに、単位に対しての考え方に相違はないのだが、一緒の時間、同じ研究をするということであっても、お互いに気を遣うこともなく、逆に、
「2年生とすれば、本格的にゼミを始めた時のための、心構えができる」
 というもので、三年生以上ともなると、
「自分も初々しい時期があったんだな」
 ということを思い出すということもできるのであった。
 伊東研究所に所属して、卒業の頃には、すっかり、
「大学院に進んで、歴史研究に勤しもう」
 と、山岸は考えるようになった。
 それに関しては、伊東教授は、賛成も反対もなかった。
「実際に今まで、伊東研究所から研究員になって、大学に残りたい」
 という学生は、ほとんどいなかったからである。
 ゼミとして人気のあるところの学生も、そのほとんどが、
「歴史研究なんて、大学時代だけのことだ」
 と思っていた。
 歴史研究以外のことがしたい」
 というわけではなく、
「普通に就職できればいい」
 ということで、
「何も大学の勉強が、就職してからも生かされる」
 などということは、そんなにないだろう。
 しかも、学問が歴史研究ともなると、当たり前のことで、
「大学時代に何が楽しいのか?」
 ということを考えると、
「勉強もさることながら、友達との楽しい時間であったり、大学時代にしかできないことを、その余裕のある時間にこなす」
 ということが大切だと思っている学生が多いだろう。
 しかも、年齢的に、一番、
「女性との付き合う時期を堪能できる」
 と思っていた。
 実際に、昔と違って。
「結婚したい」
 と考える人が減ってきて。
「結婚適齢期などという言葉が、死語であるかのごとくになってくる」
 ということになると、今大問題になっている、
「少子高齢化」
 というのが、
「大きな問題になる」
 ということも分かり切っているというものだ。
「異常性癖による性犯罪」
 というものは決して減っているわけではない。
 それなのに、結婚適齢期というものが言われなくなったきたり、
「草食系男子」
 ということで、
「性欲はまるでなくなってしまった」
 というような異常な状態に、今の時代はあったりする。
 確かに、平成になってからというもの、
「離婚というものが爆発的に増えてきた」
 昔であれば、
「履歴に傷がつく」
 ということで、
「離婚というのは、恥だ」
 とまで言われていたものだった。
 それは、就職においても同じことで、
「終身雇用」
 というのは当たり前で、途中で会社を変えるというのは、
「恥ずかしい」
 といわれていることであった。
 しかし、今の、
「実力主義の社会」
 ということであれば、
「引き抜き」
 という
「ヘッドハンティング」
 というのも当たり前になってきて、逆に、
「会社を何度も変えている人間の方が、いろいろな経験をしている」
 ということで、
「即戦力」
 というものを求めている会社からすれば、そういう人間を探していたということでありがたいということになるだろう。
 これは、
「結婚」
 ということとは少し違うかも知れないが、
「成田離婚」
 などと呼ばれるものがその時代の流行ではないかといわれた時期があった。
 そもそも、この、
「成田離婚」
 というのは、
作品名:正のスパイラル 作家名:森本晃次