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正のスパイラル

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 以前に一度伊東教授の研究で訪れ、ある程度の研究をしていたのだが、なぜか、途中で切り上げて帰ってくることになり、それ以来一度も足を踏みいれることのなかった場所だった。
 たぶん、
「伊東教授が、あまり好きになればい場所だったのではないか?」
 ということを、山岸教授が感じたからであったが、その理由はその時分からなかった。
 ただ、山岸教授の頭の中には、
「本能寺の変の黒幕説」
 というのが頭に渦巻いていたからだった。
 たくさんある黒幕説の中で、山岸教授としては、
「一番目立たない説であるが、信憑性というのも、一番ないのかも知れないな」
 と感じていることであった。
 どうしても、
「本能寺の変」
 というと、一番最初に考えられることとしては、
「足利幕府説」
 であった。
 そもそも、実行犯である、明智光秀を配下として取り立てたのは、
「朝廷や幕府に顔が利く」
 ということからであった。
 そもそも、織田信長というのは、
「自分が全国を統一して、天下を握り、幕府を自らで開く」
 などというところまでは考えていなかったのではないか?
 という説が、最近では有力になってきた。
 というのも、
「あの時代でいうところの、全国という考え方は、何も、九州であったり、東北までも手中に収める」
 というところまでは考えていなかったということである。
 信長が描いていた、
「天下統一の範囲」
 というのは、
「畿内」
 ではないかといわれている。
 というのも、
「信長の配下の配置」
 というところに関係があるのではないか?
 と思われる。
 信長の強さというのは、そもそも、各地に対しての、
「方面軍」
 というものを置いていたというところからきているのではないだろうか?
「関東方面軍に、滝川一益」
 であったり、
「東海方面軍としては、徳川家康」
「中国方面軍には、羽柴秀吉」
「北陸には、柴田勝家」
 そして、畿内には、
「明智光秀」
 などと配することで、
「外ににらみを利かせている」
 といってもいいだろう。
 これは、あくまでも、
「畿内というものが中心であり、戦国の世の中、いくら天下を統一したとしても、下剋上が蔓延った時代に、いくら統一しても、いつ、下剋上が起こらないとも限らない」
 それを考えると、
「畿内を統一して。まわりに目を利かせる」
 ということが、最良ではないかと思えるのだ。
 しかも、信長は、まわりの敵に、
「足利義昭」
 のやり方として、
「包囲網」
 というものがあったことで、余計に、、
「方面軍」
 というものに力を入れるのではないだろうか?
 それを考えると、
「それまでの畿内や信長を苦しめるのは、戦国大名というよりも、宗教団体の方が大きかっただろう。
 特に、一向宗というものは、
「一向一揆」
 を起こしたり、
「石山本願寺」
「比叡山」
 などは、武装して、さらに、
「人を救いの道に導くことが使命なのに、酒を食らったり、女を抱いたりの、酒池肉林をしていた」
 ということで、
「そんな寺に、特権階級にようなものを与えるのは、おかしい」
 ということになるだろう。
 しかし、それら、
「宗教団体」
 を何とか納め、天下統一に近づいたところに起こったのが、
「本能寺の変」
 というものであった。
 その頃には、
「武田氏は滅亡し、上杉謙信も死んでいる」
 という状態で、
「四国は平定し、長宗我部に任せる」
 というところまでは来ていた。
 あとは、
「毛利を何とか押さえつけることができれば、それでいい」
 という感じであった。
 秀吉もそうであるが、
「各地を平定したからといって、そこにいた大名をことごとく潰すような真似はしていない」
 あくまでも、
「使える配下は、そのまま使う」
 というのがそのやり方で、
「それなら、いくら平定しても、自分の配下を大名としておいても、全国ともなれば限りがある」
 ということになる。
 それも考えると、
「全国を統一するよりも、畿内を自分たちで統一しておいて、あとの土地は、大名に任せる」
 ということにしておいた方が、何かとやりやすいというものだ。
「もし、隣国に謀反を企む輩がいれば、その知らせで、平定に向かえばいい」
 ということで、それが、
「天下統一」
 ということであるなら、信長のやり方には、
「一種の興味が湧いてくる」
 というものだ。
「楽市楽座」
 というように、貿易の自由を認めることで、財政を掌握できるのであれば、天下も、自由という下からの天下であれば、
「それほどの労力がなくとも、納めていくことができる。そのために、最初のインパクトとしての、権威が必要なのだ」
 と考えれば、納得もいくというものだ。
 そんな信長だったが、
「本当に明智光秀に恨まれていたのだろうか?」
 ということである。
 だから出てきた、
「黒幕説」
 ということになるのだろうが、確かに、光秀が、
「個人的な恨み」
 ということであれば、
「光秀ほどの秀才といえる男が、一時の感情に走る」
 というのも確かにおかしいといえるだろう。
 本能寺の変においての、きっかけの一つとして、
「秀吉が行っている毛利攻めに対して、光秀に、秀吉配下として援軍に行くように命じられたその時、自分の領地である、丹波、丹後などを、明け渡され、さらに、今は毛利の土地である、石見、出雲、などを与える」
 といわれたことが大きかったのではないだろうか?
 元々自分の土地というものを、配下の武士に分け与え、うまく領内の経営を行って暮らしを立てていたのに、事もあろうに、その土地を取り上げられ、まだ敵の領地であるところを、
「切り取り次第で与える」
 といわれても、
「その間、配下の者はどうなるというのか?」
 ということであった。
 つまり、
「もし、毛利に負けたとすれば、配下の者ともども、路頭に迷う」
 ということになる。
 それは、さすがに、主君としては、ありえないことであったに違いない。
 それが一番の理由だと考えれば、
「本能寺の変」
 を起こした気持ちは分からなくもない。
 ただ。そうなると、
「光秀の個人的な恨み」
 ということで、
「黒幕説」
 というのは、怪しくなってくる。
 そう考えると、
「秀吉の行動が、史実として言われていることとして、どう考えるか?」
 ということになるのだ。
 確かに、
「中国大返し」
 であったり、
「光秀軍に加勢するところがどこもいない」
 ということは、
「秀吉の事前の政策がなければありえない」
 といえるだろう。
 しかし、実際には、
「毛利に向かう伝令を、偶然、山中で捕まえた」
 というのが、
「本能寺の変」
 を知ったきっかけということになっている。
 しかし、それ以外の場所には、誰も捕まらずに、伝令が届けているのだ。それなのに、
「なぜ、秀吉にだけ見つけることができたのか?」
 ということも疑問である。
 そもそも、
「原因ではないか?」
 といわれた。
「光秀の中国援軍」
 という話としても、胡散臭いといってもいいだろう。
 そもそも、備中高松城の、清水宗治を、
「水攻め」
作品名:正のスパイラル 作家名:森本晃次