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正のスパイラル

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 と思ったのだ。
 誰かに相談して解決できるようなことであれば、もっと前からしている相談だった。
 しかし、そんなことができないことは自分がよく分かっていて、
「いまさら誰かに相談などすると、却って自分の立場が悪くなるだけで、まわりから、こんな人だと思わなかったと思われて、自分の思っていた方向とまったく違う方向に行ってしまう」
 と考えると、
「自分の考えていることが、不安でしかない」
 と思うようになってくるのだった。
「年齢が50歳を超えてくると、もう引退の二文字が浮かんでくるのを避けることができなくなってな」
 と、伊東教授はいう。
 教授は、弱音を吐かないというタイプではない。
 ただ、
「自分の考えていることを、あまりまわりに話す方ではない」
 ということで、まわりからは、
「何を考えているか分からない」
 と思われていた。
 もっとも、その方が、
「学者肌だ」
 ということで、まわりも、納得するというものだ。
「自分もあの年齢になると、あんな感じになるんだろうな」
 と、誰もが感じるであろう、
「反面教師」
 という意味では、伊東教授は、
「まさにその通りだ」
 といえるのではないだろうか?
 伊東教授は、誰が見ても、
「一匹狼」
 といわれるタイプで、わがままで、天邪鬼なところがあったが、
「さすが、歴史研究の教授」
 ということで、まわりから、一目置かれる方に見えていた。
 これは、伊東教授にとっては、ありがたいことであり、
「まわりが、都合よく勘違いしてくれているようだわい」
 ということで、安心できることであった。
 ただ、そんな伊東教授の本質を見抜いている人がいた。
 それが、山岸研究員で、研究員の間は、
「自分が見抜いている」
 などということを、一切おくびにも出さず、一見、
「教授に興味はない」
 という雰囲気だった。
 他の人は、
「教授の逆鱗に触れないように」
 と、怒らせないようにすることだけに躍起になっていたが、山岸だけは違っていた。
「教授のことは気にしなければそれでいいんだ」
 という程度で、教授に気を遣うこともなかったのだ。
 教授も最初はそんな山岸研究員に対して、
「上司に気を遣わないなんて」
 と、少し嫌な気分でいたのだが、実際に話をしてみると、
「いやいや、そんな人ではない」
 と思うようになった。
 まわりが、変な気を遣い方をすることに慣れていたからだったのだが、
「山岸は変わったやつだ」
 ということで注目していると、
「かゆいところに手が届く」
 という男であることが分かり、
「逆に、こんなに気を遣ってくれているなんて」
 と思うようになったのだ。
「相手が気づかないような気づかい」
 というものほど、
「相手にありがたいものはない」
 ということを、
「この年になって思い知った」
 と感じた伊東教授は、山岸に感謝の気持ちでいっぱいだった。
 准教授になれたのも、伊東教授の、
「影の努力」
 というものがあったわけで、もちろん、本人の努力もさることながら、お互いの気持ちが合っていたことで、発表した論文が、かなりよかったのだろう。
 実際には、伊東教授の、
「影の努力」
 というものがなくとも、山岸の才能だったのである。
 准教授になった山岸は、
「名実ともに、研究所のナンバー2」
 であった。
 実力は、伊東教授に負けず劣らず、しかも、
「自分の研究もさることながら、参謀としての役目もしっかり担っていた」
 ということで、実際に、山岸の実力を伝え聞いた他の大学の研究所から、
「引き抜きがあった」
 というのも、事実のようで、
「でも、私はこの大学で身をうずめます」
 ということを言って、すべてを断ってきた。
 そうなると、教授の椅子もそんなに遠いものではなく、伊東教授に、
「君が教授になった時が、私の引退の時だ」
 といえるだけの、ハッキリとした道筋が見えていたのだった。
 山岸准教授も、自分の実力を把握していた。
 他の人のように、
「傲慢にならないように」
 ということで、
「自分を自慢しない」
 という意識を特に持っているわけではない。
 むしろ、
「俺が自信を持つことで、研究所が盛り上がるのであれば、それの何が悪いというのか?」
 とまで思うほどに、
「傲慢さ」
 という感覚とは縁遠いタイプの人間だったのだ。
 そのことを一番分かっていたのも伊東教授であった。
「お互いにお互いのことを分かっている」
 と思うことが、
「研究においても、人間関係においても、これ以上の仲はないだろう」
 という思いが二人の間にはあったのだ。
 その感情をまわりは、
「二人だけの世界があって、まわりには分からない感覚なんだろうな」
 ということで、賛否両論であった。
 普通であれば、
「いい関係だ」
 と思うのだろうが、研究員の中には、
「次の准教授は俺だ」
 とばかりに、出世欲の塊のような人間もいる。
 それが、
「研究所」
 というようなところなのだろうが、それも間違いではなく。
「それくらいの気概がないと、研究所では上にいけない」
 ということになるだろう。
 そんな関係を、
「まるで、平安京の貴族のようだな」
 と感じている人も多いだろう。
 どうしても、
「歴史をかじったことがある」
 というくらいの人は、
「華々しい歴史の表舞台にだけ目が行ってしまう」
 ということで、
「源平合戦」
 であったり、
「戦国時代」
「幕末」
 という時代に興味を持つだろう。
 最近では少なくなってきたが、民放における、年末年始の時代劇スペシャルなどという番組では、これら3つのうちのどれかの時代をテーマにして、ドラマを作ったりしたものだ。
 特に、
「戦国時代の三英傑」
 と呼ばれる、
「織田信長」
「豊臣秀吉」
「徳川家康」
 などというと、そのテーマに乗りやすく、以前は、それなりの視聴率を稼いでいたといってもいいだろう。
 だが、伊東教授は、その時まで一貫して、
「誰か一人の歴史上の人物に対してスポットライトを当てる形での研究」
 ということを行ったことはなかった。
 どちらかというと、
「事件」
 であったり、
「戦」
 などというものに焦点を絞り、しかも、
「ある一点から、まわりにどんどん視野を広げていく」
 という独特の研究方針を持っていたのだ。
 だから、発掘研究なども、ピンポイントなところから始める。
「なんでここなんだ?」
 と、他の研究員はもちろん、学会などで発表した時、その発表内容に、違和感を感じないという人も少なくはなかった。
 実際に古代史の研究をしていた時のことであったが、その研究内容として、
「大化の改新からあと、平城京までの数々の短期間での遷都」
 というものに、焦点を当てていたことがあった。
「確かに、謎だとはいえるが、あれは、百済問題であったり、律令制度がなかなかうまくいかないということから、やむを得ないということがあったからではないあk?」
 ということで、
「わざわざ研究対象にすることはない」
 ということになっていた。
 しかし、実際に、
「本当にそうであろうか?」
 と教授は考えた。
作品名:正のスパイラル 作家名:森本晃次