新設「歴史における真実」
ということである。
御家人は、
「奉公のために、ない金を何とか工面して、幕府のために命を懸けて戦った」
のであるが、勝ったとはいえ、
「褒美に預かることができない」
ということになると、御家人は、
「幕府に対しての不満」
というものをぶつけることになる。
幕府は、対策として、
「借金棒引き策」
といわれる、
「徳政令」
を出した。
つまり、
「武士が背負った借金の大部分を返さなくてもいい」
ということで、
「御家人にはありがたいが、商人や金貸しには、溜まったものではない」
ということになる。
もちろん、一時期は、武士は、何とか困らずに済んだのだが、問題の根本的な解決になっているわけではないので、結局、また御家人が困窮することになる。
そうなると、今度はもうどうしようもない状態になる。
というのは、金貸しに金を借りにいっても、
「また徳政令を出されるとたまらない」
ということで、
「二度と金貸しが御家人に金を貸すことをしなくなった」
ということで、御家人は、
「今日の暮らしもままならない」
ということで、その不満は一気に幕府に向くのだった。
「鎌倉幕府はもうダメだ」
ということで、ちょうど、朝廷の方では、後醍醐天皇が、
「天皇中心の政治体制に戻す」
ということをもくろんでいたので、この機に乗じて、
「不満のある御家人を味方につけて、倒幕をもくろむ」
ということになったのだ。
実際に、幕府は滅亡し、
「天皇による、新しい政治」
ということで、
「建武の新政」
というものが始まった。
しかし、それは、まるで平安末期の、律令制度に戻っただけであった。
こちらも、
「幕府を倒すために命を懸けて戦った武士」
に対しては、褒美はほとんどなく、旧幕府の土地を、貴族に分け与えるということで、
「それでは、武士や御家人が納得するはずがない」
ということになり、
「新たな幕府の建設」
というものを待ちわびるようになったのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、
「足利尊氏」
であった。
途中、一度は朝廷軍に敗れたが、再起を期して戻ってきた時には、
「強大な軍勢」
となったことで、朝廷軍を打ち破り、そして、
「後醍醐天皇一派」
を京から追い出すことで、京都に新しい朝廷を作り、自分は、その朝廷から、
「武家の政権」
としての、
「足利幕府」
を承認されることになったのだ。
そのため、朝廷は、
「吉野に逃れた、後醍醐天皇一派である南朝」
と、バイク府が公認する、京の都に新しくできた、北朝」
との間で、それから、60年近くの間、存在した、
「南北朝時代」
というのが起こるのであった。
とにかく、足利幕府というのは、それぞれの代の将軍が、個性派ぞろいということもあり、
「まったくまとまらない時代」
ということで、
「前半の南北朝時代」
さらに、
「応仁の乱」
というものを経ての、
「戦国時代」
へと突入するなど、大変な時代だったといえるだろう。
結局、足利幕府は、戦国時代に、その権力を取り戻すことができず、
「京から追放されたことで、滅亡する」
ということになったのだ。
滅亡を促したのが、
「織田信長」
であり、ただ、それも、元々は、
「将軍を奉ることで、天下を統一する」
ということを目指していたのに、将軍が、信長の権力を恐れたからなのか、
「信長包囲網」
というものを築いて、信長に対抗したことで、結局は、
「幕府滅亡」
というものを、
「自らが豆くことになった」
ということになるのだった。
それが、
「足利幕府」
というものだったのだ。
歴史の使命
時代が、室町時代から戦国時代となると、
「群雄割拠の時代」
ということになり、いろいろなドラマが作られるが、戦国大名が目指している、
「天下統一」
というものは、もちろん、
「権力を手中にする」
ということであり、その権力を手中のするということは、その力を掌握することによって、最終的には、
「戦のない世の中をつくる」
ということである。
そんな世界を作るためには、
「誰かが天下を統一し、戦のない世界を築く政策を取らなければいけない」
ということになるだろう。
そして、
「天下を統一するために、まわりの勢力を抑え込むための武力が必要となり、戦をしないという体制を作りあげないといけない」
ということになるのだ。
しかも、戦国時代は、
「配下の人間が謀反を起こしたりして、体制を作り替えることから、領民を支配し、そこから、侵略に走る」
というのが、やり方だったのだ。
「やらなければやられる」
ということであり、
「力のないものが、領主であるということは、領民のためにならない」
ということにもなるのだ。
封建制度」
というものが、
「土地を保障する」
という、
「ご恩から成り立っている」
ということなので、
「強くなければいけない」
ということになる。
だから、
「領民を守れない領主は、おのずと滅ぼされる」
ということになるのだ。
最終的に、
「国家を一つにする」
ということで、
「戦のない世界」
を達成することができるというわけで、逆にいえば、
「天下統一なくして、戦国時代において、戦のない世界を形成することはできない」
ということになるのだ。
だから、天下泰平において、
「戦を重ね、領地を広げていく」
というのも、難しいことであるが、天下を統一して、
「武家の棟梁」
として、幕府を開いたりした場合、その時点で、
「戦のない世の中にする」
ということが完成したわけではなく、
「これからが大変なあのだ」
ということを考える必要があるということになる。
つまり、戦に明け暮れている間でも、戦のない世界というものを考えていなければいけないわけであり。
「天下人には、天下人たるゆえんがある」
ということになるのだ。
もし、
「天下統一にふさわしくない人物が天下を統一してしまうと、すぐに、また、戦国時代に逆戻り」
ということになる。
「天下を統一する」
ということは、
「自分で作った体制がすぐに壊れてしまうと、隙あらばと狙っていた連中が、混乱の中で、力の均衡の渦に入ってしまうと、結果として、天下統一をできるだけの人間の出現までに、歴史が時間をかける」
ということになるかも知れない。
それを考えると、
「最初にしっくりとした世界を作らないと、混乱が混乱を呼び、結局、戦国時代が、長引く」
ということになるだろう。
ということになってしまうだろう。
それを考えると、
そもそも、ずっと続いてきた戦国時代が、その轢死を伸ばすということは、
「収拾がつかなくなる世界を待ち望んでいる」
ということになるのだ。
そういう「意味で、戦国時代を統一した秀吉の時代は、確かに
「一代で終わってしまった」
といえるかも知れないが、それはあくまでも、
「結果論」
ということであり、
「秀吉が、天下人の器ではなかった」
というわけではないだろう。
徳川時代になっても、その体制は、
作品名:新設「歴史における真実」 作家名:森本晃次