新設「歴史における真実」
と言われるが、
「果たしてそうなのだろうか?」
最近の研究で、
「信長は、あくまでも、自分が天下を統一する」
という意志があったのかどうかが、
「難しいところだった」
と言われている。
しかし、実際には、
「足利幕府のために、いろいろと金を供出したり、朝廷に対しても、同じように、お金を出したりして、
「仁義を通している」
と言ってもいい。
まわりの、戦国大名に対して、容赦がなかったりしたのは、あくまでも、
「今は権力も何もなくなってしまった足利幕府を再興させるためには、武力による支配が不可欠だ」
と考えていたのだとすれば、信長が、足利将軍に変わって、いろいろな体制を作り上げたとしても、それこそ、
「奉公」
というものではないだろうか。
権力があまりにも、信長に集中する形になったので、足利将軍が、今度は、
「自分の権威を、信長が脅かす」
ということで、他の有力大名を巻き込んで、
「信長包囲網」
を作ったりして、信長に対抗しようとしたというのが、真相ではないかと言われている。
今までの歴史認識としては、
「信長が、京都に上り、天下を統一するために、足利将軍を利用した」
と言われていて、
「信長が、その目的を達成すると、今度は、足利幕府を滅亡させ、自分が天下を握ろうとした」
ということになっている。
特に、
「信長という男が、風雲児と呼ばれるような、いろいろな奇想天外な発想で、新しいことを改革しようとしている」
ということで、
「表だけを見ると、確かに、天下統一という目的のために、足利幕府再興を画策した」
ということになるだろう。
しかし、少しだけ見方を変えると、
「あくまでも、目的は足利幕府再興ということであり、そのために、強い幕府を作るということで、自分が、その秩序を作る」
ということから、
「あくまでも自分はナンバー2」
というつもりでいたが、その秩序を作るために、武家の中での最高の力を持とうとしたということから、幕府に疎まれたりして、結局、
「本能寺の変」
というものが起こり、
「志半ばで目的が寸前で瓦解した」
と言ってもいいだろう。
「足利将軍が、信長の想定外の行動をとったことで、結局、
「天下を統一できるだけの器ではない」
ということで、
「追放する」
ということになったのだが、何も、信長には、
「恨みがあった」
というわけでもなかった。
あくまでも、
「将軍としての敬意を表していた」
ということに間違いなかっただろう。
何度も、自分に逆らって、敵対したにも関わらず、別に、
「滅ぼそう」
とはしなかったのだ。
信長という男は、その性格からか、狂歌の中で、
「殺してしまえ」
と言われるような、
「残虐性」
というものがあると言われているが、実際にそうなのだろうか?
というのも、
「信長という男は、同じ人間から、何度も裏切られている」
と言われている。
「足利将軍」
しかり、
「松永久秀など、有名なところだ」
といえるだろう。
ただ、これを額面通りに考えると、
「信長は、それだけたくさんの人を敵に回している」
あるいは、
「何度も裏切られるほど、残虐性がある」
という風に見えるかも知れ倍が、裏を返せば、
「何度も裏切られるということは、そのたび、相手を許している」
ということである。
つまり、普通であれば、
「一度裏切られれば、もし許すことで、また裏切られるかも知れない」
と思うことから、
「裏切りは許さない」
と考えるのが当然であり、
「まわりの配下のものへの秩序」
ということを考えても、
「裏切りというのは、死を意味する」
ということにしてしまわないと、自分たちの軍団の秩序どころか、
「天下の秩序」
というものが守られないということになる。
信長が、
「何度も許した」
というのは、
「それだけ裏切られても、その人物を殺してしまうことが、もったいない」
と考えることで、それだけ、
「自分の中に余裕がある」
ということなのかも知れない。
ただ、もっといえば、それ以上に、
「その場で殺すよりも、生かしておいて、その利用価値が、まだまだある」
と考えたのかも知れない。
それが、
「幕府に対しての考え」
というもので、
「足利幕府は、腐っても鯛」
という考えだ。
それは、特に朝廷にいえることであり、
「武家政府というものが確立されてから、数百年が経っているにも関わらず、朝廷には何の力がなくとも、庶民は、朝廷を敬う」
ということであった。
つまり、
「権威の象徴」
ということで、
「権威を朝廷に求め、武力を、幕府に求めることで、自分の目指す政治を達成するために利用する」
というのが、信長の考えだったのではないだろうか?
だから、
「敵だらけ」
という状態にありながら、
「信長包囲網」
に屈することもなく、結果として、
「最終的には、謀反というクーデターによって、暗殺される」
ということになったのであろう。
これを、
「性格的に、仕方がない」
ということにするから、
「残虐性」
ということがクローズアップされるのだが、これを裏を返せば、
「敵対勢力に屈する」
ということがなく、
「外敵に対しては、その無類の力を発揮していた」
と言っていいだろう。
信長の例は、あくまでも、
「歴史の1ページ」
ということであり、
「戦国時代」
という特殊な時代の、秩序建設ということを目的にしたのだとすれば、その考え方は、
「大日本帝国」
というものに受け継がれていると言ってもいいだろう。
特に、
「大東亜戦争」
という言葉が持つ意味として、戦争の大義名分として、
「欧米列強に侵略され、植民地化された東アジアを、欧米列強から解放し、そこに、日本を中心とした新秩序を建設する」
ということを、スローガンとしていたのだ。
ここでも、
「秩序」
という言葉が使われている。
信長としても、
「武力で、天下を治める」
ということで、
「天下布武」
という言葉を使ったが、それが、
今の時代であれば、
「平和主義」
ということだから、
「武力をもって」
というのは、いけないことだと考えられるのかも知れないが、当時としては、
「どんなことをしても、戦のない時代にしよう」
と、どの戦国大名も考えていたと言われている。
そのための方法として、
「武力を使う」
ということで、どうしても、
「侵略戦争が果てしなく続く」
と考えられるのだろうが、当時の秩序というのは、
「武力によってしか得られない」
と考えられていた。
実際にその通りであろう。
「いくさをせずして、平和などありえない」
つまりは、
「殺さなければ、殺される」
ということが、
「秩序である」
という時代なのだ。
そういう意味で、
「戦のない時代」
というものを築くには、大前提として、
「天下を統一して、その絶対的な力で、戦をさせない」
というのが必要だということである。
それが、
「統一した天下の天下人になった自分を守る」
ということが、
「平和の世界の秩序」
作品名:新設「歴史における真実」 作家名:森本晃次