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新設「歴史における真実」

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 もちろん、歴史というのは、さまざまな時代があり、その中でも神秘的な時代を思いいるというのが、いわゆる、
「考古学」
 というもので、それ以外の時代においては、
「もっとヒューマニズムな感覚」
 というものが渦巻いていると言ってもいいだろう。
「考古学の世界」
 というのは、自分たちの想像もできないような時代であり、
「毎日を生きていくことが大変な時代だった」
 ということになる。
「生きるということに、どれほど真摯に向き合っていたのか?」
 ということであり、
「明日をも知れぬ命」
 と言うほどに、
「獲物が取れないと、食事ができない」
 という時代だったのだ。
「文明というものは、生きるということに困らない時代が近づくことで生まれてくるものだ」
 と言ってもいいかも知れない。
 米作りという、人類にとっての食糧問題を、革命的に振り払ってくれた改革によって、
「毎日の獲物の存在」
 というものを気にすることはなくなってきた。
 農耕作というのも、確かに天気の影響などによって、豊作、不作に見舞われ、食糧不足が清国で、
「大飢饉」
 というものが、時代を動かしてきたと言ってもいいだろう。
 だが、それまでの、
「肉食」
 という狩猟であったり、木の実を食するという、
「明日の食糧が保障できない」
 というほどの不安定ではない時代に比べれば、日本でいうところの、
「弥生時代」
 からを、
「文明の始まり」
 と言っていいだろう。
 まず、かつての縄文時代と弥生時代との違いがどういうものなのかというと、
「狩猟を生活の根幹としていた時代」
 であれば、
「人間が、食べ物を求めてさまよう」
 という時代でもあった。
 つまり、
「土地」
 というものに対して、一切の執着があったというわけではないのだ。
 もちろん、
「竪穴式住居」
 というものを作り、そこで、土器を使っての生活をしていたので、
「住居が決まっている」
 という方がいいだろう。
 しかし、弥生時代になり、コメが主食ということになってくると、その生活が根本から変わってくるのだ。
「土地というものに、稲を植え、そこで、稲を育てることで、コメを収穫する」
 というのが、弥生時代以降の生活である。
 その土地で、
「コメを育てる」
 ということで一番大切なのは、
「水の確保」
 という問題である。
 稲作において、田植えの時期には、かなりの量の水が必要とされる。
 それが、山から流れてくる、
「川」
 というものであるわけなので、海水のような、
「塩水」
 では、稲作はできないということになるのだ。
 弥生時代には、皆の主食が米ということになるので、
「たくさん収穫できるところ」
 というのを誰もが求めることになる。
 そして、自然とまわりとの境界ができてきて、次第に、
「いい水を求めて、争いが起こってくる」
 ということになる。
 皆、求めているものが同じであり、それを争いというものによって解決を図ろうとする。
 それが、
「欲」
 というものになり、その中で、人間の性格がそれぞれに違うのだから、そこで、差別が起こってくるのだ。
 それによって、
「支配階級」
 なるものが生まれてきて、その利権というものを、解決するために、争いというものが、武器を使っての、
「戦」
 というものに変わってくる。
「縄文時代から、支配階級による戦の時代までの発展」
 というものが、
「最初の文明の起こり」
 ということになるのだろう。
 世界四大文明と呼ばれるものには、共通点があったではないか。
「黄河文明」
 というものには、「黄河」・
「インダス文明」には、「インダス川」。
「メソポタミア文明」には、
「チグリス=ユーフラテス川」
「エジプト文明」には、
「ナイル川」
 という大きな川の存在があった。
 日本においても、
「今の政令指定都市と言われる大都市のほとんどには、市内を、一級河川と呼ばれるような大きな川が流れている」
 というではないか。
 それを考えると、
「古代文明の発展」
 というものには、
「争いの元となる大きな水源」
 というものが必ずあったということになるのだろう。
 だから、
「文明と争いの原点は、水源」
 というものであり、
「文明」と「争い」
 というものの起源は、
「同じ時期であり、同じものから派生したものだ」
 と言ってもいいのではないだろうか・
 今の時代から見れば、
「決して、裕福な時代だった」
 とは言えないが、一つでも生活にゆとりができてくると、そこから人間は、文明の発展により、その起源とされる、
「土地」
 というのをめぐって、
「争いというものが起こってくる」
 ということになるのだろう。

                 歴史究明

 だから、
「人間が争いを起こす時、欲というものが生まれる」
 それを戒めるのが、古代から伝わる、
「聖書」
 であったり、
「ギリシャ神話」
 などというものである。
 それらの世界には、
「宗教的考えが結びついている戒律」
 というものを、
「神との約束である」
 かのごとく、言われてきて、
「人間が、それを守らないと、神によって裁かれる」
 ということになるのだ。
 聖書の世界では、
「ノアの箱舟」
「バベルの塔」
 の話などであり、実際に、
「神と約束をした」
 ということで、
「モーゼの十戒」
 というものがある。
 ギリシャ神話においては、もっと、
「神というものの存在が、人間臭い」
 と言われている。
 まるで、
「オリンポスの神々」
 というのは、
「嫉妬の塊」
 であったり、
「不倫や浮気」
 などという、人間社会において、
「犯罪というわけではない」
 ということであるが、
「倫理的に許されない」
 ということを、神々は平気でやっている。
 つまり、
「人間を裁く法律」
 というものに、神々が行っていることを裁くことができないということになり、そのかわり、
「モラル」
 という意味で、
「宗教というものが、倫理だ」
 と言われるようになったのではないか?
 ということになるのだろう。
 日本史などを勉強していても、
「土地」
 というものが、歴史の分岐点において、大きな問題をはらんでいるということが分かっているのである。
 そもそも、歴史が書物として残されるようになってからというもの、
「土地」
 というものの問題が大きい。
「律令制度」
 においては、その時代時代で、考え方が変わってきた。
「耕したその土地を、三代にわたって所有できる」
 であったり、
「永遠に私有できる」
 というものであったりと変わっていった。
 そのうちに、
「領主と、小作人」
 という関係になり、その土地を守るために、寺院や貴族に帰属させることで、
「生活の保障」
 という時代が出てくるのだ。
 それが、
「荘園」
 というもので、それを守る、
「自衛部隊」
 ということで起こってきたのが、
「武士」
 であったり、
「僧兵」
 というものだったのだ。
 そんな時代において、
「支配階級」
 と、
「支配される階級」
 というものが存在していることで、
「争い」