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新設「歴史における真実」

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 ということである。
 ある王朝が滅亡したとしても、その土地が存在している以上。
「滅亡に導いたものが、その土地を占領する」
 ということになるだろう。
「そもそもが、侵略目的」
 ということで攻めてきたのだから、
「侵略軍が勝てば、その土地は、侵略軍のものになる」
 というのは当たり前のことで、
「侵略軍を撃退した」
 ということであれば、その土地は、元々の人たちの支配から変わることがないわけで、
「侵略を受けた」
 という歴史が残るだけで、支配が分かるということにはならないからだ。
「何かの事件」
 であったり、
「クーデター」
 のようなものが起これば、その時に、
「鎮圧されたり、滅ぼされたり」
 と、
「歴史の敗者」
 となった場合など、その信念というものを持っての行動であった時、
「自分たちの正否は、歴史が答えを出してくれる」
 と言って、
「潔い自害」
 というものを選ぶというのが、歴史というものであった。
 だが、例えば、その事件が今から、100年前の事件だったとして、
「その答えが出ている」
 といえるだろうか。
 もちろん、
「歴史書のような、書物」
 であったり、
「前後の歴史」
 というものが、どんどん発見されてきていたとして、
「それが歴史のすべてだ」
 ということが言えるのだろうか?
 歴史の中において埋もれてしまった事実が、
「どんどん発見される」
 ということになるのは、逆にいえば、
「これで終わりだと誰が言えるのか?」
 ということになる。
 まるで、底なし沼のように、どこまで行っても、はまり込むというような状況になれば、それこそ、
「底がない」
 ということであり、
「無限である」
 ということから、
「答えを出す材料が、果たしてどこで終わるのか?」
 ということであり、その結果というものが、
「底なし沼」
 というものであれば、それは、
「地球の裏側にあるのではないか?」
 といえるのではないだろうか?
「ヘビが、自分の身体を尻尾から飲み込んでいけば、どうなるか?」
 ということである。
「歴史というものが、無限である」
 ということになれば、そもそもの考え方として、
「未来が無限であれば、過去も無限ではないだろうか?」
 ともいえる。
 確かに、未来というものは、時系列で動いているものなので、
「未来が無限である」
 ということはいえるかも知れないが、
「歴史という学問は、時系列というものに逆らってさかのぼるものだ」
 ということで、
「難しい学問だ」
 といえるだろう。
 過去にさかのぼればさかのぼるほど遠くなっていく上に、
「文明はなかった」
 ということで、
「文字もなければ、証言も残っていない」
 ということで、調べることのできない過去は、
「歴史の限界なのではないだろうか?」
 といえるだろう。
 それを考えると、
「過去をさかのぼるということは、末広がりとなるように、放射線状の可能性がある」
 ということで、
「一度起こったことなのだから、変えようがない」
 ということで、
「正解は一つしかなく、それ以外は、間違いなのだ」
 といえるだろう。
 つまり、過去から今までの歴史は、
「一本の線」
 ということであり、
「秩序をもって、厳かに刻んできた時間の下であればあるほど、今の人間が、過去をさかのぼって、その事実を知るということは、冒涜なのではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 現在だってそうである。
「時間が一つ刻まれれば、今、現在と言われているものが、過去という形に形を変えて埋もれてしまう」
 ということであり、
「未来だったもの、目の前が、現在として、一瞬だけその全貌が見える」
 ということになり、さらに、
「未来は、どんどんこっちに近づいてくる」
 ということである。
 しかも、
「その未来は、無限である」
 ということになるのだ。
 それが、
「時間というものの概念であり、それを人間が歩んできた」
 あるいは、
「開発してきた」
 という時代というものであれば、
「それを歴史というのだ」
 ということになるだろう。
「過去の歴史」
 というものを、想像力で作り上げることは、
「学説」
 ということにさえしなければ
「問題はない」
 といえるだろう。
 だから、小説家などであれば、
「学説に負けないような説」
 というものを持っていると言ってもいいかも知れない。
 特に、古代文明などでは、
「過去に、火山噴火などで、一日にして滅んだ都市国家があった」
 と言われているが、説の中には、
「それは、現代よりもはるかに発達した文明を持っていたのではないか?」
 と言われたりもしている。
 実際に、
「証拠になるような発見があった」
 ということかも知れないが、それを物語として、
「発達しすぎた文明が、時代にそぐわず、一種の誤爆を起こした」
 ということでの文明の滅亡ではないか?
 という発想であったり、
「聖書」
 の中に出てきた。
「バベルの塔」
 の話のように、
「人間の傲慢さが、神の怒りに触れた」
 と言われることだったのかも知れない。
 ただ、逆も考えられるのであって、
「バベルの塔の話」
 というものがあって、その事実に対して、どのような理屈を唱えることで、
「歴史というものを紡いでいくことができるか?」
 と考えると、結果として出てきたのが、
「神様の存在」
 ということなのかも知れない。
 これが、
「ギリシャ神話」
 ということで考えると、
「オリンポスの神々」
 というのが、
「実に人間臭い存在」
 ということになるのではないだろうか?
 というのは、
「バベルの塔」
 の話のように、
「入口と出口があり、その途中をいかに理論立てるか?」
 ということで、
「神というものを作り上げた」
 ということになると、
「ギリシャ神話」
 というのは、
「聖書のように、原因と結果から作られた話ではない」
 といえるのではないだろうか。
 もっといえば、
「ギリシャ神話と聖書というものは、元は同じもので、神の存在というものを、どの方向から見るか?」
 ということで、
「見方や考え方が変わってくるのではないか?」
 と考えると、
「世界各国に残っている神話や歴史書」
 というものは、
「その起源は同じところからきているのかも知れない」
 といえるのだった。
 だから、古代文明などにおける、
「ピラミッドに似たものが、世界各国の離れたあところにあったりするというのも、ありえることだ」
 と考えられるのではないだろうか?
 もちろん、
「宇宙人説」
 であったり、
「過去の文明が、今の時代よりも、先に進んでいた」
 という考えが、なまじ、
「間違いではなかった」
 と言ってもいいだろう。
 それを考えると、
「歴史が今の時代に伝えるものは、大きなものだ」
 といえるだろう。
 もっとも、
「今の時代」
 というものが、あくまでも、
「時系列における、現在というピンポイントの瞬間だった」
 という場合においてということである。