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新設「歴史における真実」

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「徳川時代になってから、豊臣時代の栄華の象徴のようなものは、
「徳川に都合が悪い」
 というものは、まったく影も形もないくらいに粉砕されているといってもいいかも知れない。
 当然、
「歴史の改ざん」
 というものも行われていることだろう。
 だから、今も言われ続けてきた、
「歴史の真実」
 といわれるようなことであっても、
「それが本当のことなのかどうか?」
 というのも、怪しいといえるのではないだろうか?
 だから、もし、
「徳川の時代に入って、信長のイメージが改ざんされたものだった」
 ということであったとすれば、そこに、
「本能寺の黒幕説」
 というものがあっても、まったく不思議ではないだろう。
「三大暗殺事件」
 ということで、もう一つ大きなものは、
「坂本龍馬暗殺事件」
 というものである。
 実はこれが、一番時代が現代に近いという事件のわりに、謎といわれるのが、
「一番わかりやすい」
 というものであった。
「乙巳の変」
 の謎というと、
「殺されなければならなかった蘇我入鹿という人物は、本当に暗殺されなければいけないような、ひどい人物だったのか?」
 というものであった。
「本能寺の変」
 というものは、
「犯人も被害者も分かっているが、そこに黒幕の存在が見え隠れしている」
 ということからの、
「黒幕がいるのかどうか?」
 そして、
「いるとすれば誰なのか?」
 ということが問題なのであった。
 ただ、今度の、
「坂本龍馬暗殺事件」
 というものは、
「暗殺されたのは、坂本龍馬と、中岡慎太郎」
 ということは分かっている。
 しかし、
「暗殺者」
 という
「犯人が誰なのか?」
 というのが分かっていないのだ。
 実際に、
「その犯人が誰なのか分からない」
 というのが、ミステリー小説などでは、王道であり、もっといえば、犯人が分からないら、
「たくさんの説が生まれる」
 ということでもある。
 その割には、
「歴史の暗殺事件ということで。頭に浮かぶこと」
 といわれれば、圧倒的に、
「本能寺の変」
 の方が多いのではないだろうか?
 確かに、坂本龍馬の暗殺も、センセーショナルなものであり、歴史上の人物として、人気という意味では、どちらが強いかということであれば、
「甲乙つけがたい」
 といってもいい。
 それなのに、皆が最初に考えるのが、
「本能寺の変」
 ということであるのは、
「時代背景」
 というものによるのではないか?
 と考えられる。
「本能寺の変」
 というのが起こったのは、
「群雄割拠の戦国時代」
 である。
 毎日のように、どこかで戦が行われているような時代であったが、表向きの、
「暗殺事件」
 というのはほとんどなかった。
 あったとしても、それが表に出ることはない。
 何といっても、暗殺されたとしても、当時であれば、そのことをひた隠しにしようとするのではないだろうか?
 特にそれが、その国の主要人物であれば余計にである。
「相手国の大名が死んだ」
 ということになると、
「この機を逃さず」
 ということで、一気に攻め込んでくるに違いない。
 実際に、武田信玄が病死した時も、
「自分の死を三年の間隠せ」
 といっていたというではないか。
 それだけ、暗殺というのがあったかどうか分からないが、
「あったとしても、明るみに出ることはない」
 ということになるだろう。
 しかし、これが幕末という時代になると、話が変わってくる。
 天下泰平の時代は、200年以上続き、戦のなかった時代である。
「黒船来航」
 であったり、
「安政の大獄」
 などというきな臭いものが起こってくることで、各藩は、
「尊王攘夷」
 あるいは、
「尊王倒幕」
 というスローガンのもとに、いろいろな
「暗躍」
 というものが巻き起こる。
 その中には、暗殺事件が横行してきて、
「人斬り」
 などといわれる、暗殺者であったり、
「新選組」
「見回り隊」
 などという、
「市中見回り」
 という役目の下、
「暗殺部隊として機能する」
 という集団があったりもする。
 それを考えると、
 幕末のきな臭い時代というのは、
「暗殺というものが、場所によっては日常茶飯事」
 ということであった。
「攘夷派と開国派」
 そして、
「幕府派と、尊王派」
 ということで、趣旨の違う団体が存在することで、当然、対立は避けられない。
 とはいえ、
「大っぴらに戦というわけにもいかない」
 なぜなら、
「一つの藩も、一枚岩というわけではなく、藩内部でも、意見が割れていることも多く、そのため、
「幕末の志士」
 ということで、たくさんの団体ができたといってもいいだろう。
 だから、坂本龍馬の時代に、いくら暗殺されたのが、
「坂本龍馬や中岡慎太郎だ」
 といっても、どうしても、
「暗殺が横行していた時代の中の一つ」
 という目で見られる。
 それでも、他の暗殺事件と明らかに違うのは、
「坂本龍馬という男が、時代の先を見ていて、その人物が殺されたことは、国家の行く末の一大事」
 ということは、誰が見ても一致した意見だったということからであった。
 そういう意味で、
「この三大暗殺事件においての、最大の共通点」
 というのは、
「暗殺されたことで、時代がかなりさかのぼってしまった」
 といえることだということであった。
「ただ、それぞれの時代が、古代、中世、幕末と、まったく違ったことから、その問題点もさまざまだということであった。ただ、謎であるということに変わりはない。そんな事件が起こった後に、必ず、何らかの形で収拾させようとするのは当たり前のことで、その事件が歴史に起こした影響がどういうことなのかによっても変わってくる」
 というものである。
 だから、この三大事件をどこでどう切り取るかによって、
「事件の裏が見えてくる」
 とも考えられる。
 中には、
「どこを切っても金太郎」
 というような、
「金太郎飴のような事件」
 というのもあったかも知れない。
 そんな中で、歴史研究を行っているところで、新しく、
「三大暗殺事件」
 についてという論文が出されることになり、その中で、一番に発表されたのが、
「本能寺の変」
 ということであった。
 もちろん、主題は、
「黒幕説」
 というもので、その論文のタイトルは、ただ、
「本能寺の変」
 ということであったが、それだけに、深みがあるというよりも、
「切り口の奇想天外さというものが、あたかも、本能寺の変を物語っている」
 といえることであり、興味深いものであった。

                 新説「本能寺の変」

 この本は、まず、
「いかにも、歴史書」
 という感じで、
「本能寺の変」
 においての史実が書かれていて、そこに、オーソドックスに、その黒幕説が描かれている。
 そこで、いよいよ本題ということになるのだが、その内容というのが、
「あくまでも、黒幕がいるのは、当たり前」
 という切り口で、その根拠を、
「歴史という観点からではなく、他の観点から推理する」
 というものであった。
 それは、同じ学問というところで、歴史を見ると、
「史実になる」