未来救世人
「まあ、これもしょうがないか?」
と、あれほど、
「嫌だ」
と思っていたことが、すっかり、マヒしてしまった感覚になっていて、
「慣れって、意外といいものだな」
というのんきな考えに変わってきたのであった。
病院での入院が長引くと、その、
「慣れ」
というものが、定期的に、
「長い」
と感じたり、
「短い」
と感じたり、不思議な周期に見舞われているようであった。
しかも、その周期に大きな変動はなく、その周期が、
「誤差の範囲」
という程度にしなかっていないことを、
「まるで、自分の中に、体内時計のようなものがあるのではないか?」
と感じるようになったということであった。
そもそも、体内時計というのは、
「眠っていて、途中で目が覚めた時、大体今何時頃なのかということが分かっているというものだ」
と感じられるほどに、正確なもののようである。
だから、
「目覚まし時計を仕掛けていても、必ず目覚ましよりも先に目を覚ます」
という、父親の言葉が分かる気がするのだった。
かと思えば、学校にいた友達の女の子は、
「私は、なかなか目が覚めないので、目覚ましを何分か置きに鳴るようにさせられていたの」
と言っていた。
彼女の母親は、
「ナースの仕事」
をしていて、夜勤があるということで、時々、朝は、仕事で子供が目覚める時間には、
「まだ仕事中」
ということになるということであった。
それを思えば、
「目が覚めないのは、致命的だ」
といえるだろう。
だから、実際に、その子が遅刻をしてくることもあったのだが、先生は、しょうがないと思っているのか、あまり怒ることはしなかった。
そもそも、桜井少年にも怒ることはなかったので、
「なるべく、穏便に」
という、
「事なかれ主義」
という先生だったということであろう。
桜井少年は、妹が亡くなってから、自分一人になったことで、それまで、何か右肩に乗っていたように思っていたものが、降りたような気がした。
ただ、そのせいか、それまで保たれていたバランスが崩れたのか、却って、右肩が、いうことを利かなくなったような気がしたのだった。
そこで、目の前に見えているものの、広さというものが曖昧な気がしてきた。
それまで、見えていたものが、見えなくなってきた。
目の前に見えているものが、
「死角に入った」
ということなのか、それとも、
「視野が狭くなってきた」
ということなのか分からなかったが、
「見えなくなってくると、全体的に薄暗がりのように見えてきて、それが、視野を狭くしている」
と感じるようになった。
決して、
「死角」
ということではないのだろうが、
「見えているはずのものが見えなくなってくる」
ということが、
「目が直接的に影響しているものではなく、どちらかというと、錯覚のようなものではないか?」
と感じたのだ。
「小学生なのに、よくそんなことを感じるものだな」
と自分で思ったが、
「意外と子供の方が分かっているのではないか?」
と感じたのは、
「子供には限界という考えがない」
というところからであろうか。
もちろん、限界というものくらいは分かっているが、これから成長して大人になるのだということが分かっていることで、限界というものが、
「果たして、見える範囲だけのものなのか?」
と考えるようになった。
実際には、見えていないものも、自分の限界に達していないものだということを考えると、その誤差というものが、
「不安につながる」
というものではないか?
と考えるようになったのだった。
「自分が子供だから、これが子供としての考えなのか?」
それとも、
「大人に通じるための、避けては通れないという道だというものなのか?」
ということを考えると。
「どちらも頭の中にあるもので、その時と場合によって、必ずそのどちらかが表に出てくるものだ」
と思うようになった。
それはランダムなもので、元々の精神状態に関係のないところとなるので、
「不安に感じたり」
あるいは、
「気が楽になったりする」
ということを考えると、
「二重人格と呼ばれる性格があるというが、意外と二重人格の正体というのは、この時の誤差からくるのではないか?」
と思うのだった。
「子供がこんなことを思いつくなんて」
と自分でもびっくりしていたが、逆に、
「子供だからこそ思いつく」
というもので、これが大人だったら、想定外であることでも、
「大人だから、分かるんだ」
と、すべてを、
「大人になったから」
ということで納得させ、その感情を
「時系列で発達するものだ」
と考えることで、
「自分に沸き起こる責任というものから逃れよう」
と感じているのかも知れない。
最初は知らなかったが、
「死んだ妹が、双子の妹」
ということで、自分たちが、
「忌み嫌われた」
ということで、この家に圧しつけられたのだ。
ということだった。
その家は、
「ある程度の金持ちの家で、子供の養育費はおろか、家族全員が、優雅に暮らせるくらいのお金をもらっていたのだ
ということであったが、実際には、
「贅沢はしないでくれ」
と言われていたので、そのもらったお金は、
「自分たち子供たちのために、貯めていた」
ということだったようだ。
そのことを知る由もない桜井少年だったが、確かに、
「気苦労があった」
ということはなさそうだった。
ただ、
「妹が死んでしまった」
ということであったり、
「桜井少年が、病院に入院する羽目になる」
というような、想定外のことは起こっていたが、それは別に、
「お金があろうがなかろうが、起こっていたこと」
ということを考えると、
「別にそれを気にすることもない」
ということであった。
「俺にとって、妹が死んだということは、どういう意味を示しているのだろうか?」
ということを考えるのであった。
それぞれの能力
桜井少年も、犬飼少年も、
「それぞれに、最初から意識していた」
というわけではなかった。
自分たちにとって、この病院にいることは、それ自体がまるで、仕事のような感覚だったのだ。
「無理矢理に放り込まれて、自由がある程度制限され、子供という、本当であれば、自由に遊びたい」
という時期に、
「どうして、こんな迫害のようなものを受けなければいけないのか?」
ということを考えるのであった。
「余計なことだ」
とは思いながらも、
最初はお互いに意識していなかったはずなのに、
「どちらかが意識をし始めると、もう片方も意識をする」
ということで、
「その意識が、どこからつながっているのか?」
ということが分かるはずもなく、
「それこそ超能力のようなものだ」
と感じるのだった。
二人に共通しているのは、
「不安がある」
ということだった。
犬飼少年の方は、
「何か、まわりの人が、自分を虐めるのは、自分の後ろに何か怖いものを感じ、自分になるべく近づきたくない」
ということからの行動ではないか?
と思っていたのだ。
桜井少年も、似たものがあった。