未来救世人
「いいや、お前とは血がつながっていたんだよ。だから、お前の妹と私たちとは、血がつながっていないということだ」
と言ったのだ。
「一人だけもらい子だ」
ということであれば、まだ納得がいくのだが、兄弟そろってもらい子ということであるというのはどういうことだろうか?
かしこい桜井少年がすぐに考えたのが、
「じゃあ、両親は何か事故か何かに遭って、死んでしまったということなのかな?」
と聞いた。
すると、それに対して、父親は即答だったのだが、
「お前の両親は死んだわけではないよ」
ということであった。
すると、桜井少年は、その理屈が分からなくなり、
「どういうことなんだい?」
と言って問いただした。
「この子は賢いからな」
ということで、
「話せばわかってくれる」
と思った両親は、そのことを、桜井少年に話した。
普通であれば、
「話しても分からないだろう」
と思うような話であった。
それを聴いた桜井少年は、すぐには理解できなかったようだ。
何といっても、まだ小学生だったので、
「理解しろ」
ということは土台無理なこと、それでも、桜井少年の育ての親は、その時、
「この子だったら分かってくれる」
と思ったのだ。
だが、その頃から桜井少年に、不思議な力が宿るようになったのであった。
というのは、一種の、
「予知能力のようなもの」
が備わってきたのだ。
それは、まわりが感じることであり、実際に未来のことを予見しているのが事実ではあったが、当の本人である、桜井少年が、
「これは、昔からあったことで、別に特殊な能力でもなんでもない」
と感じていた。
つまり、
「予知能力」
というのは、
「特殊な人間に備わっているものではなく、誰にでも持っているものだ」
と考えていたのであった。
だから、
「人間の脳は、一部だけが使われていて、ほとんどは眠った状態なんだ」
と言われても、
「まさにその通り」
と、素直に受け止めていた。
ただ、まわりは、そうは思わない。
「予言者」
であったり、
「超能力者」
ということをいう人もいて、
「いろいろ教えてほしい」
という観点から、近寄ってくる人もいた。
それが次第に煩わしくなり、それまで素直だった桜井少年が、少しずつ、すれてくるようになるのを、本人も感じていたのだった。
学校では、よく虐められるようになった。
それは、やはり、この予知能力をめぐってのことであったが、そんなわずらわしさから、逃れたいという思いが強く、
「あまり、人と絡みたくない」
と感じるようになったのだ。
「学校にいても、面白くない」
ということを感じるようになると、その頃から、
「僕にはやっぱり他の人にはない特殊な能力が備わっているんだ」
と感じるようになった。
子供の頃は、理屈が分からなかった。
だから、大人、特に親が、
「この子は賢い」
と思うようになったのは、それだけ、
「理屈が分からないことで、気持ちが大きくなっていて、その見つめる先が、大人が見ている視線と同じだ」
ということから、
「子供なのに、大人の目線でモノを見ることができた」
ということから、
「かしこい」
と言われるようになり、それが、
「予知能力とあいまうこと」
によって、人によっては、
「気持ち悪い」
と思う人もいただろう。
それが、
「学校でも、友達というほど近いわけではないが、まったく知らないわけではない」
という、
「中途半端な距離」
というものを保っている友達だったと言ってもいいだろう。
そんな友達と、距離を置くことで、余計に学校の先生などは、
「桜井少年のことを、どう扱ってもいいのか分からない」
と考えるようになり、
「先生」
という立場でありながら、その立場を放棄している雰囲気となっていたのだ。
だから、桜井少年が、虐められているのを知っていながら、いじめっ子を諭すというようなことはなかった。
「知らぬ存ぜぬ」
ということにしておけばいいんだ。
と思ったようで、
「教育者としても、限界がある」
と自分で自分に言い聞かせていたのだろう。
さすがにそうなると、学校では歯止めが利かなくなり、親も、
「どうしようか?」
と考えるようになった。
そこで、いろいろ調べた中で、たどり着いたのが、
「山岸研究所」
だったのだ。
研究所は、子供を連れていくと、
「分かりました。少し入院させてみて、様子をみようと思います」
ということであった。
それくらいのことになることは、両親も分かっていたことだったので、二つ返事で、
「そうですか、よろしくお願いします」
ということで、桜井少年を、研究所に預け、いわゆる、
「入院」
ということになったのであった。
桜井少年は、その中において、
「僕が入院?」
ということで、最初は、気にもしなかったのだが、急に不安に感じるようになったのは、
「その時に感じた、気持ち悪い臭い」
だったのだ。
その臭いというのが、ツンとした、
「酸っぱい臭い」
だったのだ。
そもそも、酸っぱい臭いというのは昔から嫌いであり、その臭いを、
「生まれてから、ずっと感じていた」
ということを悟ったのは、入院してから数日が経ってのことだった。
その時に、
「その臭いが、以前は、まわりからしてくるものだ」
と思っていたが、入院してから、
「これは、自分の身体からしてくるものだ」
と感じるようになったのだ。
餃子などの、
「食べると、臭いにおいがなかなか抜けない」
という食べ物は、
「身体全体から抜けてくるものだ」
ということを分かっていた。
それが、
「酸っぱい臭い」
というものを気持ち悪いと感じる原因だということに、いつの間にか気づいていたのだということだ。
よく親から言われたもので、
「お前が感じる他人の嫌な臭いというのは、意外とその臭いを出している本人は分からないものだからな」
と言っていた。
だから、
「餃子やニンニクを食べた時は、風呂で少し長めに入って、汗で、その臭いの元を出すようにすれば、翌日には気にならない」
と言われたものだった。
だが、いつ頃からだろうか、
「自分の中に、自分の嫌いな匂いが混ざっている」
ということを感じたのであった。
それを病院に入院した時に思い出したのだが、だが、それだけに、この臭いは、
「自分から出ているものではない」
と感じたのだ。
だが、実際に、自分の腕などを臭ってみると、
「まわりの臭いを増幅させているようだ」
とも感じた。
ということは、
「この臭いと同じものを、俺も出しているということか?」
と感じたのだ。
そう思うと余計に、
「気持ち悪い」
と感じるようになった。
だが、
「慣れ」
というのは恐ろしいもので、たったの一日で、その臭いを感じなくなった。
嫌な臭いは、徐々に気持ち悪さを増幅させたようだが、それがピークに達すると、今度は、すぐに慣れてしまったのか、臭いがしてはくるようだが、それを、
「嫌な臭いだ」
ということを感じるようにまではなっていないようであった。
それを感じると、