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未来救世人

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 ということを自分なりに検証することができないと思い、そこから、
「何が正しいのか?」
 という、
「正しい」
 という言葉の意味が
「どこから来るのか?」
 ということに繋がってくると考えるのだった。
 だから、桜井少年は、犬飼少年のことを、
「友達」
 として見たことはない。
 むしろ、
「反面教師という考えに近いのではないか?」
 ということであった。
 実際にこの研究所では、
「反面教師」
 といえるような人が多かった。
 特に若い人は、男女の関係の中で、
「反面教師」
 が多かったのだ。
 というのは、
「性的感情」
 というものが、若い人間には大きいと考えているからだ。
 最近は、
「草食系男子」
 などと言われ、
「性欲の薄い男性が多い」
 と言われているが、それも間違いではないだろう。
 しかし、性欲が強いという人は、昔からいて、減っているわけではない。特に、
「異常性癖」
 という人が減っているという意識はなく、
「男も女も同じであり、それぞれに、減ってくれば減ってくるほど、倍増してくることから、どちらかだけの性欲が低い」
 などと言われているかも知れないものに対し、
「警鐘を鳴らす」
 というのが、この研究所の考え方ということでもあったのだ。
 ただ、研究所の男性とすれば、
「性欲の弱さ」
 というのは、
「性欲というもの自体が低い」
 というわけではなく、
「性欲以外の全体的なところでやる気がない」
 ということから、
「今の少子化問題というものが起こってきたのだ」
 と考えている。
 要するに、
「何をするにも、面倒くさい」
 ということであった。
 しかも、
「何もしないことの方が、疎まれなくてすむ」
 という考えで、
「出る杭は打たれる」
 ということで、そもそもの、
「人間の欲」
 というものが、どんどん引いていっていることに気づくのだった。
 しかも、その低くなってくるのが、団体になればなるほど、積算されていくことで、性欲も低下してくるというもので、それを
「集団意識」
 ということになって、
「欲がなくなり、草食系男子ということが、正当性がある」
 と理解するのは、
「今の人間が昔に比べて、自分の都合よく考えることができる」
 ということからきているのではないか?
 と考えられるのであった。
 人間として、
「どこまで欲をなくせばいいのか?」
 ということと、
「面倒くさいことはしたくない」
 という思いから出てきているのではないだろうか?
「学校の教育」
 であったり、
「社会のプロパガンダ」
 という意味での、テレビ番組などでは、まずは、
「犯罪は悪いことだ」
 というところからの教育になっている。
 これは、
「ロボット開発」
 というものにおける。
「ロボット工学三原則」
 というものにあたるのではないだろうか?
 そもそも、この三原則というものの考え方は、
「フランケンシュタイン症候群」
 というものからきているのであった。
 というのは、
「ロボットを動かす」
 ということよりもまず、
「動き出したロボットに対しての、抑止力を、最初に考えておかなければ、取り返しがつかないことになる」
 ということの警鐘として、この、
「フランケンシュタイン」
 と呼ばれる、SF小説というものに
「対峙している」
 と言ってもいいだろう。
「ロボット工学三原則」
 というのは、
「ロボットは、人を傷つけてはいけない」
「ロボットは人間の命令に従わなければいけない」
「ロボットは自分の身は自分で守らなければいけない」
 ということで、その三つを、前述から、絶対的な優先順位を持つことで守るということが前提となっている。
 それができていないと、
「ロボット開発の成功は、その時点で、人間の破滅を意味している」
 とでもいうような事態になると言ってもいいだろう。
 だから、
「犯罪というものが、抑止力から考えられれば、今ほどの犯罪の数にはならないだろうし、ここまでの凶悪犯もなくなるのではないか?」
 とも考えられる。
 しかも、それが、
「欲によるものが、本能に乗っかってしまうから」
 という考えだと思えば、
「いかに、欲を抑えるか?」
 ということになるのだろう。
 そういう意味では、
「欲を抑えることで、本当に犯罪がなくなるのか?」
 ということである。
「確かに犯罪は減るかも知れないが、なくなるということはない」
 と考えられ、
「限りなくゼロに近いものにはなったとしても、そこで新しい発想が生まれてきて、まるで、ウイルスのように、違う形に変異するのであれば、欲を抑えたことは、ただ、変異を促したというだけで、まったく意味をなさない」
 ということにならないだろうか。
 もっといえば、
「欲を抑える」
 ということは、
「新たな可能性」
 というものを打ち消すことになる。
 これは、
「悪に対しての抑止力」
 ということであればいいのだが、逆に、
「変異を促すだけ」
 ということであれば、善という意味で、
「前に進む研究意欲」
 というものを打ち消していることになりかねない。
「人間の人間たるゆえん」
 というものは、
「謙虚に前に進む」
 ということを、成長欲としていい意味での
「進化を促す」
 ということになり、それが、人間を進化させてきたのである。
 その進化欲がなくなれば、人間ではなくなり、それ以外の、
「必要がない部分を退化させてしまった」
 ということで、人間は、
「生きていくうえでの、本能であったり、力を失った」
 と言ってもいい。
 つまり、人間の欲というものは、
「人間が生存していくうえで、最低限必要なものを持っているものだ」
 と言ってもいいだろう・
 それを考えると、
「打ち消すことのできないものが、人間だけではなく生物には備わっているのだとすれば、他の動物は、それを意識することなく、本能で生きていけるのだが、人間は、なまじ、考察ということができる、思考能力を持っているので、いろいろな範囲を考えることができるが、本能のように絶対ではないので、間違いも犯す」
 ということになるのだ。
 だとすれば、
「人間という動物が、一番動物の中で、高等な動物なのかも知れないが、一番弱い動物だ」
 と言ってもいいだろう。
 つまり、
「人間は、弱さを代償として、自由というものを得たのかも知れない」
 といえるのだ。
 もし、人間が、
「世の中で一番高等な動物だ」
 ということになり、
「その高等の正体は何なのか?」
 ということになれば、
「それが自由だ」
 ということになるだろう。
「まるで、自由主義と、社会主義の考え方のようではないか?」

                 大団円(三人の正体)

「自由主義」
 いわゆる、
「民主主義」
 という考え方は、それまでの、
「国王や皇帝と呼ばれる支配階級」
 の人間の、
「世襲によっての支配」
 という時代から、その搾取に目覚めたことで、起こってきた、
「主義」
 というものであった。
 国家というものは、
作品名:未来救世人 作家名:森本晃次