未来救世人
「過去に向かって逆走する際のことを考えていない」
ということである。
つまりは、
「時系列」
というものは大前提であり、
「過去に戻ったとしても、過去に戻る過程においてのタイムトラベルは、考えないようにする」
という、
「都合のいい発想だ」
ということになるのだ。
そして、
「戻った過去から見ているのは、同じ未来」
ということで、本来であれば、
「知っているはずの過去」
と言われるのだが、それは、
「自分が生きていた時代」
というだけのことで、しかも、
「自分が知っているはずのことでも、忘れてしまっているということは当たり前にあるわけで、それを、覚えているということを前提に考える」
ということは、それこそ、
「都合のいい発想だ」
ということになる。
その都合のいい発想というものを、
「いかに考えるか?」
ということになると、
「その発想の都合のよさ」
というものが、
「SFという発想」
からの、
「タイムマシン」
であったり、
「ロボット開発」
という発想になるということになるのだろう。
「実際に、タイムマシンというものを開発できたとして、過去に戻った場合。同じ未来が待っているとは限らない」
というのが、
「パラレルワールド」
というものである。
それが、
「未来において、次の瞬間に、どんな可能性が広がっているか分からない」
ということである。
過去に戻った場合は、
「未来に起こることを知っている」
と言われることから、
「過去を変えてしまうと、ビックバンが起こり、世界が破滅する」
などと言われている。
しかし、
「過去に戻って、何かにかかわったとして、その瞬間に未来が変わった」
というのを、誰が証明できるというのだろうか?
世の中全員が過去に戻って。記憶とは違う世界が次の瞬間に繋がったということであれば、それこそ、
「パラレルワールド」
と言われる、
「未来には無限の可能性が広がっている」
という発想を、
「タイムパラドックスが証明してくれた」
ということになり、逆に、
「タイムパラドックスが起こらないための理屈として、パラレルワールドが考え出された」
ということであれば、
「そのお互いが、それぞれに影響しあうことで、プラスアルファを作り出しているのではないか?」
といえるだろう。
「1+1=2」
というわけではなく、その答えが、
「3にも4にもなる」
ということではないかということだ。
つまり、次に起こることが何であっても、
「その答えは、今の瞬間に用意されている」
という考えが正しいように思えてならないのであった。
「つまりは、すべてが都合のいい解釈だ」
と考えれば、
「過去であろうが、未来であろうが、その考え方が無限にある」
ということである以上、
「そこに答えがあるということなのか?」
とも考えられるのだ。
「すべての可能性を肯定するのであれば、すべての可能性を否定することもできるであろう」
ということで、まるで、
「マイナスにマイナスを掛けると、プラスになる」
という発想のようで、
「SFの考え方というものは、ある程度、数式で解き明かすことができるのではないだろうか?」
といえる気がするのだ。
だから、過去と未来という双方向の発想を、
「プラスとマイナス」
という数式で考えたとすれば、
「未来をプラスと考え、過去をマイナスと考えたとした時」
ということで、
「過去に行って、そこから過去をさかのぼるという発想になった時、それが絶対数となって。プラスの要素を見ることができるとすると、無限という未来につながる可能性が、過去にも広がっていると考える」
ということになり、
「可能性のすべては、大きな球の形をしている」
と言ってもいいかも知れない。
だから、
「地球も、他の星というのは、球の形をしている」
ということになるのではないか?
と考えるのであった。
そう思えば、
「ロボット工学」
というものにおいても、
「過去という発想がないだけで、未来に広がる可能性を考えるだけでは、結果が出ない」
と思えば、
「ロボット工学にも、過去の発想を結びつけるとどうなるか?」
と考えられる。
そうなると、
「ロボット工学と、タイムマシン」
という発想は、究極、原点は同じところからの派生であり、
「その派生というものが、どこからきているものなのか?」
ということを考えると、
「おのずと、答えらしきものが出てくるのではないか?」
といえるであろう。
実は、桜井少年は、小学生でありながら、その発想を頭に抱いていた。
これが、
「まだ使われていない脳の一部に影響しているのではないか?」
と思えるところであった。
しかし、その反面、
「カプグラ症候群」
という発想が自分にあり、それが、他の皆が考えている。
「子供ならではの発想」
ということで、
「俺には受け入れられない発想」
ということを考えてしまうことで、
「必要以上に、、余計なことは考えないようにしよう」
と思うようになった。
ただ、逆に、犬飼少年の方は、
「普段から、あまり考えないようにしている」
というところから、この病院では、先生から。
「なるべくいろいろ考えるようにした方がいい」
と言われるようになった。
それは、
「本当は絶えず、いろいろなことを考えているから」
ということであり、それが無意識ということなので、余計に、
「必要以上なことを考えないようにしよう」
と自分の中に、暗示のようなものを掛けたのであろう。
それを考えると、
「この病院に来るようになったのは、何かに引き寄せられたからではないか?」
と考えてしまい、その正体のようなものが、
「桜井少年ではないか?」
と考えたとすれば、それも無理もないことのような気がした。
お互いに年も近いようで、お互いの関係性については、
「研究所」
の方では理解していたが、二人を病院に連れてきた親にも、
「それぞれ本人たちにも、まるで理解のできないことだった」
ただ。親とすれば、その可能性というものが、
「間違っているわけではない」
ということは分かっていて、ただ、これを、
「偶然という言葉で片付けていいものだろうか?」
と思えてならないということだったのだ。
カプグラ症候群」
というものが、」相手に対しての錯覚である」
という一言で片づけられれば、簡単なことではないか。
それができるくらいであれば、
「特撮やアニメでのテーマになることはない」
といえることであり、
実際に、桜井少年は、あとから入ってきた犬飼少年に対して、
「悪の秘密結社」
なのではないか?
と、それこそ、
「子供が考える内容」
ということだったのだ。
そんな中において、犬飼少年の方は、
「予知能力」
というものが備わっていた。
その能力というものが、
「以前から備わっていたものではない」
ということは分かっていた。
それでいて、
「他に何か備わっているものがあったはず」