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(新)大日本帝国

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 というのを、模索していた。
 中には、
「催眠療法」
 のようなものもあり、
「胡散臭い」
 と言われていたのは、そんな、
「なんでもあり」
 というやり方に、疑問を呈していたからであった。
 それでも、何度か、学会に出席し、そのたびに、
「症例発表」
 を行うことで、その発表の正当性を、著名な博士が推奨するようになると、それまで、信用していなかった人たちも、認めざるを得ない状態になってきたのだ。
 それまでに数年が罹ったようだったが、それも、元々からの、
「精神科の病院」
 というものではなく、前身が、
「科学研究所であった」
 ということが引っかかっていたのである。
 そんな山岸研究所に、一人の少年が、大学病院の紹介状を持ってやってきた。
 彼は、まだ高校生で、学校にも登校できないほどになっていた。
「別に苛めを受けていた」
 というわけでもなく、
「精神科に通わなければいけないだけの理由がどこにあるのか?」
 ということが、大学病院では分からなかったので、
「治療のしようがない」
 ということで、お手上げ状態だった。
 そこで、この山岸研究所にやってくることになったのだ。
「研究所という名前になってはいますが、れっきとした医療機関ですので、安心してください。ここの院長である山岸博士は、精神科では、第一人者と言われているので、安心してお任せできますよ」
 ということであったのだ。
 この患者は、安藤四郎という名前で、彼は、中学時代までは、何事もない、目立たない少年だったのだ。
 学校でも、成績は、
「不可も可もない」
 という、典型的な目立たない少年であった。
 家族は、両親と本人の三人家族、父親には、兄弟が三人いて、父親は次男で、真ん中だったが、母親は一人っ子だったという。
 そんな親戚とも、小学生の間は、時々遊びにいったり、正月やお盆などでは、
「長男の家に親戚が集まる」
 ということがあったようだ。
 しかし、安藤が中学に入学した頃には、もうそんなこともなくなり、それぞれの家族は自分たちの生活をしていたのだ。
 それを一番喜んでいて、ホッとしているのは、母親だっただろう。
 中学の頃までは、そんなことも分からなかったが、高校生になると、その辛さが分かってきたようだ。
 それは、
「大人になってきたから」
 ということもさることながら、
「世の中の情勢が変わってきたからではないか」
 ということからである。
 確かに大人になってくるにつれて、
「親せきの家に集まるということで、母親としては、気を遣わなければいけない」
 ということになる。
 何といっても、
「自分とは血のつながりのない人たち」
 ということで、
「何を考えているか分からない」
 という相手に気を遣うわけなので、
「行動や言動一つ一つに気を遣うというのがどれほど大変なことなのか?」
 ということになる。
 高校生になると、それくらいのことが分かってくるのだ。
 しかも、最近では、世の中の風潮が、
「家族が集まる」
 ということが、
「時代にそぐわない」
 ということになってきた。
 それがまるで、
「封建制度」
 といえばいいのか、
「家」
 というものに対しての考え方がなくなってきている。
 何といっても、
「バブルの崩壊」
 というものから、
「家長制度」
 というものが、なくなってきた。
 それまでは、
「家族の長である父親が表で働いてきて、生計を立てる」
 というのが、サラリーマン社会では当たり前のことだった。
 母親は、専業主婦で、家の家事が仕事ということだったのだ。
 バブルの時代は、
「働けば働くほど金になる」
 ということで、会社の方も、
「事業の拡大がそのまま利益になる」
 という、単純数学の計算通りにしていれば、どんどん儲かったのである。
 だから、サラリーマンは、
「企業戦士」
 などと言われ、
「24時間戦えますか?」
 などというコマーシャルもあるくらいに、働いたのだ。
 その分、給料ももらえて、
「基本給の分、残業手当が出る」
 ということで、基本給の倍額の給料がもらえるという時代だったので、
「仕事が生きがい」
 ということであり、家族もそれによって潤うことで、余計に、
「父親の威厳」
 というものがあったことだろう。
 ただ、中には、そんな父親の威厳というものに、嫌気がさしている家族もあっただろう。
「親父は威張り散らしているだけだ」
 と子供が思っていたり、母親も、
「最初こそ、お金をたくさん持って帰ってくる父親を尊敬していたが、そのうちに、理不尽な威厳が見えてくると、人間性を疑うようになる」
 というものだった。
 ただ、幸いなことに、
「仕事に集中してくれていることで、家族をないがしろにすることで、却って気楽だ」
 と思う家族もいただろう。
「亭主元気で留守がいい」
 という時代でもあったのだ。
 そこまで考えられない奥さんは、
「できれば、離婚したい」
 と思ったかも知れないが、それまで働いたこともなく、ただ父親の稼ぎに、
「おんぶにだっこ」
 という状態では、一人で生きていく自信がないのは当たり前だ。
 特に、子供を連れてということになると、余計に不安になるというのも、無理もないことである。
 それが、そのうちに、いきなり、
「バブルの崩壊」
 などというものが出てきた。
 会社では、それまで、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
 という時代だったが、今度は、
「拡大した分だけ、損を被る」
 ということで、
「銀行から借り受けた金を返すことができなくなり、不当たりを出す」
 というところが増えてきて、
「にっちもさっちもいかなくなる」
 ということになるのだった。
 銀行などは、
「たくさん貸せば、利息が増えるので、その分、利益が出る」
 ということで、
「過剰融資」
 というものをする。
 すると、その分がすべて、
「焦げ付く」
 ということになり、貸した相手が不当たりを出して、倒産ということになれば、銀行も大変である。
 しかも、一つや二つの会社ではなく、
「融資した会社のほとんどが不当たり」
 などということになると、さしもの銀行も、
「破綻する」
 ということになってくる。
 昔から言われていることで、
「神話」
 と言ってもいいことの中に、
「銀行は絶対に潰れない」
 というものがあった。
「いよいよ危なくなると、政府が助ける」
 ということが言われていたからだった。
 しかし、
「バブルの崩壊」
 というのは、そんなに甘いものではなく、
「政府が乗り出しても、どうしようもない」
 という状態だったのだ。
 それだけ、
「想定していなかった」
 というほどに、大混乱になったのだった。
 そもそも、バブル経済というものが、
「実態のない泡のような存在」
 ということで、あとから考えれば、
「どうして誰も、このような事態が来るということに気づかなかったのか?」
 ということである。
「実は気づいていて、そのことを分かっていたくせに、言わなかった」
 というような、
「確信犯もいた」
 ということかも知れない。
作品名:(新)大日本帝国 作家名:森本晃次