(新)大日本帝国
ということで、
「いよいよこれから」
と、山岸博士は感じるようになったが、それも、そんなに長い時期ではなかった。
公表してから、五年もしないうちに、研究対象が、大学の方針で変わったのだった。
「五年があっという間だった」
という感覚を、山岸博士は持っていた。
これは、
「集中してことに当たっていると、時間があっという間に過ぎる」
というもので、
「これは無意識に誰もが思っていること」
ということで考えていて、それ以上に、
「自分が感じていることは、まわりの皆も感じていることであろうが、それはきっと無意識のはずなので、その間に、自分がそのメカニズムを解明したい」
と考えていたのだ。
無意識に感じるということは、
「世の中において、一番本能に近いものだ」
と考えていた。
本能というものが、動物にもあり、さらに、
「動物の方が人間よりも、発達している」
ということを考えると、
「本能というものを発達させようとすると、今度は、知能が後退してしまい、人間の優位性というものがなくなってしまうのではないか?」
と考えると、
「本能というものは、アンタッチャブルである」
と思えて仕方がないのだった。
それは、
「研究所員全員の一致した意見」
ということであり、
「この発想は、同じような研究をしているところでは、当然のこととして考えられていることであろう」
と思えるのであった。
精神科
山際研究所がこのような、
「タイムマシン」
であったり、
「ロボット開発」
というものから離れようと思ったのは、
「同じ研究を他の研究所と並行して研究するということは、時間の無駄だ」
と思ったからだった。
「じゃあ、どういう研究がいいのか?」
ということになった時、発想として浮かんできたのが、
「バイオの研究」
ということであった。
最初は、
「細菌研究」
ということであったが、その研究には、
「リスクが伴う」
ということであった。
「細菌研究に最初から従事していたのであれば、危険性も分かっている」
ということであろうが、
「素人がいきなり参入するというのは、自殺行為」
ということであった。
「自分たちだけでなく、まわりにまで迷惑をかける」
ということからであった。
確かに、細菌研究というものの恐ろしさは、分かっているつもりだった。
戦争中にあったと言われる、
「伝説の細菌研究所」
日本国内にもあったというウワサを聴いたことがあったが、事実かどうか分からない。
ただ、それが、言われているような、
「細菌兵器の開発」
ということではなく、
「医療の発展」
あるいは、
「難病の克服」
ということを目的にしているということであれば、納得がいく。
そもそも、
「科学の発展というのは、表裏は紙一重」
とも言われている。
確かにそうだ。
今使われている多くの医薬品の中には、
「元々、爆弾であった」
というのもたくさんある。
有名なところでは、
「爆弾として、その使用法が、実に微妙なものとして、ニトログリセリンというものがある。これは、心臓病の薬ということで使用されている」
ということであり、他にも、
「昔は爆弾、今では医薬品」
というものがたくさんある。
ということである。
そもそも、
「人間の心」
というのも、
「立場が変わったりすれば、どちらに転ぶか分からない」
といえるのではないだろうか?
たとえば、
「空気中から肥料の原料を取り出す」
ということで、
「人類においての、食糧問題を解決した」
と言われる科学者が、戦争中には、
「毒ガス」
というものを開発したということで、社会的に賛否両論のある科学者がいたのであった。
彼は、
「自分は科学者ではあるが、国家が戦争しているのであれば、愛国心から、戦争に勝つための開発を怠らない」
と言っている。
そもそも、
「敵国も同じような開発をしているのだから、こちらだって太古い措置を取るのは当たり前のことだ」
ということであった。
そのことに対しての正否というのは、
「答えを出してくれる歴史」
というものと同じで、
「何が答えなのか分からない状態で、誰がそれをジャッジするというのか?」
ということである。
もっと言えば、
「時代は、果てし幕続いていくものであり、その答えが、目の前にあったとしても、その先に続く未来に答えがないと。誰が言えるだろう」
つまり、
「次の瞬間に無限の可能性が広がっているのであれば、それは、あくまでも、次の瞬間という平面である」
ということで、
「次の瞬間から先の未来が、時系列で一つしかないものだ」
ということであっても、果てしなく続く未来の中のどの部分が、その答えだというのか?
ということになるのである。
そんな世界において、
「山岸研究所」
というところが、
「どういう開月を行うか?」
ということが問題となるのであった。
「自分たちが研究を行う中で、細菌研究のような危険性のないもので、しかも、ロボット開発や、タイムマシンに関係があること」
ということで考えたのが、
「心理学的な研究」
というものであった。
特に、
「心理学的な問題」
というのは、昔から、
「症候群」
という名前で、果てしないくらいに存在している。
たくさんの学者が提唱していて、その発想が、
「病気からくるものなのか?」
それとも、
「病気を誘発するものが、科学としての研究からくるものなのか?」
という、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
という、
「堂々巡り」
という発想からきているものではないか?
と考えると、
「心理学」
というものが、
「人間の本能」
であったり、
「意識というものからきている」
ということであれば、
「タイムマシンであったり、ロボット開発への発想への近道なのではないだろうか?」
と考えられるのであった。
山岸研究所が、
「医療機関」
ということで稼働し始めたのは、K市に移ってきてからだった。
この土地というのを探してきたのは、山岸博士その人で、その理由は、
「空気が新鮮だ」
ということからだった。
実際に、この土地に移ってきてからは、ほとんど、
「医療法人」
としての組織になっていて、大学病院ということで、運営されていた。
ただ、ここでは、心療内科であったり、精神科の病院ということで、まだまだこの時代では、差別的な言われ方をすることもあったので、逆に、そのおかげで、
「秘密の研究がやりやすかった」
ということもあり、一般市民よりも、専門家の方から、
「あの組織は危ない」
と言われるくらいであった。
それでも、
「昨今は、精神疾患になる人が増えてきている」
ということが社会問題となってきているので、
「こういう施設は必要だ」
という論議も出ていて、そういう意味での、
「モデルコース」
であったり、
「パイオニア」
としての立場が確立されたことで、次第に、世間から認定もされてきたのである。
ここでは、最初、
「あらゆる治療法」