(新)大日本帝国
「遊園地のようなレジャーランドではなく、自然公園という施設なので、利用客は限られていた」
と言ってもいいだろう。
「家族連れで、自然を楽しむ家族」
であったり、
「デートに勤しむカップル」
などが多かった。
そういう意味で、当時は流行った、
「お見合いイベント」
などを、バラエティー番組として企画することが多かったので、
「この公園を宣伝も兼ねて利用する」
ということで、結構何度か利用されたものだった。
そんな、イベントに使われることが多かったこの場所の奥で、
「何かが建設されている」
ということであっても、誰も気にはしないだろう。
これが、最初から立ち入り禁止ということで、
「秘密裡な建設」
ということであれば、
「怪しい」
と思う人がいても無理はないだろう。
特に今まで、
「建設予定というのが、目前になって、計画が崩壊する」
ということに二度も見舞われていて、結局、
「できたのは、公園だけだ」
ということになったのだから、
「これもしょうがないことだ」
と言っても無理もないことではないだろうか。
そんな建設予定地というものを、
「曰く付きの場所」
ということで問題とするのであれば、
「これもしょうがないことだ」
と最初は、K市の観光課でも、諦めていたが、そこに、
「ツルの一声」
ということで、名乗りを挙げたのが、
「国家」
だというのは、救い主としては、余りあるくらいだったに違いない。
「国が買い上げるということですか?」
と話を持ってきた人に訊ねると、
「まずは国家が買い取った土地を、国有地としておいて、そこには、ある大学の施設が建つことになるんです」
というのであった。
「その施設というのは?」
と聞くと、
「一種の研究所のようなところですね」
というではないか?
「研究所というと、何の廃棄物で、市が覆われるなどということはないでしょうね?」
と訊ねると、
「それは大丈夫です。その場所は、研究所というよりも、病院と言ったイメージが強いかも知れないですね。ただ、その患者というのが、精神疾患を持った人であるというところが、特記することであり、敬遠されるのですが、K市では、特に、社会貢献ということを旗印に挙げているようですので、我々としても、誘致に値すると思っているんですよ」
というではないか。
「なるほど、我々としては、市民に危害が加わらなかったり、平和が脅かされるということが一番困るわけです」
と言った。
あくまでも、
「市民の安全と平和」
ということを前面に出しているわけで、ただ、これは当たり前のことである。
「自治体経営」
というものが、もちろん、
「市民の安全と平和」
ということは、
「基本中の基本」
ということであり、それをおろそかにしてしまうと、
「自治体経営は、瓦解する」
と言ってもいいだろう。
それを以前の市の上層部は怠ったことから、
「せっかく計画したことが寸前になって崩壊した」
ということになるのだろう。
それを今の上層部は、
「学習した」
ということで、
「今回の計画は、順調に進んでいる」
ということだったのだ。
タイムマシンとロボット開発問題
そんなK市に湖畔にできたのが、
「山岸研究所」
というところであった。
そもそも、この研究所は、別の場所にあった。
昭和の時代までは、昔の、
「サナトリウム」
を利用していた。
この山岸研究所というところは、H大学に所属している理学系の学部の、
「一機関」
ということであった。
元々は、戦前の頃には、
「物理学関係」
の研究をしていたのだが、そこから、戦後のこんらを乗り越えた後は、
「心理学の研究」
というものをしていた。
これは、
「戦前の研究というのが、兵器であったり、人体実験に近いようなことをしていて、それを占領軍に悟らせないようにするため、あえて、証拠隠滅というものを、大々的に行わなかった」
ということである。
逆にいえば、
「証拠隠滅を図る方が、露呈する可能性が高い」
というほど、資料も実験に携わる人も少なかったということで、
「無理に隠さない方がいいかも知れない」
となったのだ。
実際に、最初から資料は暗号化されていて、
「その資料を隠滅するということは、帰って目立つ」
と考えられたのだ。
だから、隠滅するよりも、
「新しい研究への転用」
とする方が、
「うまくカモフラージュできる」
と考えた。
しかも、
「そのカモフラージュが、今後の研究所の在り方」
ということにかかわってくるということで、
「歯車がうまくかみ合っている」
と考えられた。
「では、どういう研究に特化すればいいのか?」
ということで考えられた中で、
「精神医学などというのは、どうだろう?」
ということであった。
「兵器開発」
ということに特化した戦前の研究の中で、当時は、
「普通ならありえない」
と言われた研究も行っていた。
それが、
「ロボット開発」
というものであり、その中でも、
「人工知能」
というものを考えていたのであった。
人工知能というものが、世紀末である今の時代になってくると、
「戦後20年くらいにいわれていた、近未来ということであれば、ちょうど、半世紀先くらいになると、新しい世界ができている」
という、
「未来予想図」
というものがあった。
その時には、
「車は空を飛んでいる」
「タイムマシンや、ロボットも開発されている」
というものであった。
ただ、
「ロボット開発」
であったり、
「タイムマシン」
というものに関しては、長年の大きな問題があることから、
「一筋縄にはいかない」
ということであった。
もっと言えば。
「車が空を飛んでいる」
ということは、そこまで問題視されてはいないが、よくよく考えてみると、
「それだけでも、問題が山積している」
と言ってもいい。
「まったく道がないところを、まるで道のように取り扱うのだから、今でいう、道路子通報を考えた中で、いかに、空中の道路を運用するか?」
ということだけでも大変なのだ。
それだけでも、
「何十年もの計画が必要だ」
ということなのに、
「ロボット開発」
「タイムマシン」
などという大きな問題があるということを考えると、
「半世紀ごときでできるはずがない」
と思えるだろう。
確かに、今の時代というのは、
「ある種の一点に関していえば、その開発には、特記するに値する発展がある」
ということであろう。
例えば、
「コンピュータ関係においては、その発展性は相当なものである」
と言ってもいい。
「昭和の頃までは、パソコンなるものもなく、大型コンピュータを、専門の人間が操ることしかできなかったではないか」
今の時代であれば、
「会社の社員の机の上に一台あるのが当たり前」
と呼ばれる時代になっている。
しかも、昔は、プリンターに文字が印字されるというわけではなく、
「点字」