(新)大日本帝国
特に、若い連中になればなるほど、その傾向は強い、確かに、パンデミック下では、自分たちが一番損をしたと思っているからか、余計にその反動があるのかも知れない。
それだけ、
「精神的に弱い」
ということになるのだろう。
昔であれば、
「弱い自分が恥ずかしい」
と感じるのであろうが、今の人たちは、すべてをまわりのせいにしてしまう。
もっとも、確かに、まわりのせいなのかも知れないが、それをいいことに、
「まわりが悪い」
ということを免罪符にして、何もしてくれない政府に対して、
「あいつらが悪い」
というだけの連中も多いだろう。
そんな、
「たった、数十年という間で、まったく時代も、人の考え方も変わってしまった」
ということになるのだろうが、それがいいことなのか悪いことなのか、正直分からない。
ただ、時代は、どんどん過ぎていき、若い人もいずれが、年を取る。
その間に、
「若い頃に自分が何を考えていたのか?」
ということを
「覚えているのかいないのか?」
ということが、いかに影響するのかということを考えさせるのであった。
K市というところは、F県の県庁所在地であるF市と接しているところで、
「F市のベッドタウン」
ということで発展してきた。
元々は、戦後の混乱期には、
「米軍キャンプ」
というものがあったことで、昭和の頃までは、
「進駐軍向けのスナックやバー」
というものが結構あったということである。
すでに昭和の末期頃までに、進駐軍の使用していた建物などは、国家に買い上げられ、「公園として整備されたり、学校や住宅ができたりと、どんどんベッドタウンというものの様相を呈してきた」
といってもいいだろう。
このK市というところは、前述のように、
「海も近いし、山もある」
ということで、
「最初は、海に埋め立て地を作って、開拓する」
ということであったが、それには、市民からの反発があり、結構大きな問題となり、それが市長戦というものに影響をおよぼすということで、結局、
「埋め立て派が敗戦する」
ということで、
「埋め立ては、一時保留」
ということになった。
今から思えば、あそこを埋め立てられると、その場所に、政府が、
「ごみの再処理工場の建設」
ということを見積もっていたようで、それを聴いた街の人たちは、
「危なかった」
と考えるのであった。
実際に、
「埋め立て擁護派」
という連中は、
「ここに、ごみ処理場ができる」
ということを分かっていたようだった。
「なぜ、それを皆に言わなかったか?」
ということであるが、
「きちんと説明していれば、選挙で勝てたかも知れないのに」
と思うのだが、やつらにはそれを言えない事情があった。
というのは、
「これは、金が絡む談合で、一種の贈収賄が絡んでいる」
ということであった。
だから、
「最初から、ごみ処理に絡むこと」
ということを言っていれば、さらに反対派が増える可能性もあり、さらに、
「贈収賄の可能性」
ということで、
「公安が動く可能性が高い」
と考えられたのだ。
だから、
「ごみ処理所の件は、内密に」
ということであった。
埋め立てというものがなくなったことで、
「自治体は、少なからず入ってくる」
と見積もっていたお金が入ってこないとなった時、
「別の手段を講ずる」
ということにしないとまずかったのだ。
そこで次に考えられたのが、
「山の上に、大きな池がある」
ということが特徴のK市ということで、
「これを利用しない手はない」
と考え、
「ここにレジャーランドを誘致する」
という考えがあったのだ。
そこで、F県でも大手のイベント会社と話し合いがもたれた。
本社は、F県であるが、実際に規模的には、
「首都圏に本社があっても不思議がない」
というくらいの大きな会社だった。
ただ、F県に本社があるというのは、
「元々の発祥がF県だ」
ということで、そのこだわりからか、
「本社移転の計画はない」
ということで、ずっとF県に本社を置いていた。
つまり、
「老舗であり、地元の権力者」
ということで、F県としても、その力には、傾頭するしかなく、それこそ、
「頭が上がらない」
という状況だったのだ。
そして、
「十中八九、その場所にレジャーランドができる」
というウワサも十分に広がっていて、その場所はすでに立ち入り禁止としていて、そこには、
「レジャーランド予定地」
ということで、立て札も立っていたのだった。
それなのに、
「この場所を、白紙に戻す」
ということを、県議会で決定したことで、世間は騒然となったのだ。
まったくの、
「寝耳に水」
ということだった。
県議会の決定を、
「K市の市長も知らなかった」
ということが話題となり、
「どこかからかの大きな力が働いたのではないか?」
と言われた。
もちろん、イベント会社は、
「さぞかし、悔しがっているだろう」
ということであったが、実際にはそうでもなかった。
むしろ、他の市にその誘致の土地の候補があったことで、
「第一候補が崩れただけで、痛くもかゆくもない」
ということだったのだ。
「K市が誘致したところは、必ず最後にはひっくり返る」
というウワサが流れ、K市としては、あまりありがたくない汚名を着せられたということであった。
だが、
「捨てる神あれば、拾う神在」
ということで、今度は、水面下で
「池のある場所」
というものの利用が決定したのであった。
それまでは、いつも、
「大々的に宣伝していたのがいけなかったのか?」
ということwp言われたから、
「余計に、最初から宣伝しなかったのか?」
ということであったが、そうではなかったようだ。
ただ、今回は、すでに契約もすんでいて、すでに、土地は、
「レジャーランド建設予定地」
として、立ち入り禁止だった時から、ずっと同じ立て看板があり、誰も使用していなかったことで、すぐに、整地に入れたということであった。
もちろん、
「建設予定に問題がないか?」
ということで、事前に検査は行われていた。
「ここなら大丈夫」
というお墨付きができていたということで、計画は実にスムーズに進んだのであった。
そして、
「この場所に何が建つのか?」
ということが分かったのは、
「建設が始まってから半年が経ってからのことだった」
ということである。
半年が経つと、
「池全体が立ち入り禁止」
ということであったものが、そのうちの半分近くは立ち入りができるようになり、それまでは、何もなかったものが、立ち入りができるようになったところは、公園はできていて、
「まず最初に、整備が行われ、公園建設ということでの土地利用」
ということが分かったのであった。
もちろん、公園だけではなく、
「他にも建設が行われている」
ということが分かったのだが、
「それが何なのか?」
ということが分かった気がしたのだ。
公園として開放されると、徐々に利用する人も増えてきた。