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(新)大日本帝国

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 というものの中にあり、
「政府は口出しも、作戦を知ることすらできない」
 というものでああるが、さすがに国民全員を敵に回すと、
「戦意というものが喪失し、作戦どころではなくなってしまう」
 ということである。
 それだけに、軍は、
「一度、国民を欺いてしまうと、戦争己勝つまでは欺き続けなければいけない」
 と思っていたのだ。
 もちろん、
「本当に勝てるかどうか?」
 ということをどこまで信じていたのか?
 よいうのは難しいところであろう。
 これは、
「戦時中」
 という異常な体制の下であるからありえることであったが、今の、
「民主主義と言われる時代」
 であっても、似たようなことが行われているというのは、誰が想像できるというのだろう?
 そもそも、
「満州にあった、関東軍の人体実験場」
 というものに関与した人間は、戦争犯罪人として誰も処罰されていないどことか、
「有名な製薬会社の会長や社長に就任している」
 という事実が、何を意味しているか?
 ということである。
 ただ、
「立憲君主国」
 であった、
「大日本帝国」
 と、
「民主主義」
 である。
「日本国」
 とでは、かなりの違いがあるといえるのだが、
「まったく違う政治体制であっても、変わりがないのは、人間の一生というものであろう」
 つまりは、
「人は必ず死を迎える」
 ということであり、誰にも分からないが、
「その人の寿命というのは決まっている」
 ということであった。
 しかも、病気になれば、
「その寿命もある程度まで分かる」
 という、
「不治の病」
 というのもあり、それが、戦前までであれば、
「結核」
 というものであり、しかも、それが、伝染病ということで、
「その人が死ぬまで隔離され、死ぬのを黙って待っている」
 という状態が
「当たり前のようにあった」
 ということであろう。
 さらに結核というものが、どのような病気であったのかということを考えると、
「戦争中というものを引きずっている」
 という人であれば、
「人のためになる」
 ということで、喜んで、
「人体実験になる」
 と思ったかも知れない。
 しかし、民主主義というものの中で生きてきた人は、
「犯罪を犯した」
 という人間であっても、
「犯罪者であっても、人権はあるんだ」
 ということを主張することで、
「日本という国は、犯罪者に甘い」
 ということになった。
 しかも、
「復讐などというのは、昔から、御法度」
 ということであった
 もちろん、江戸時代などでは、
「奉行所から、果たし状」
 の認可が下りれば、
「果たし合い」
 ということが認められたりもしただろうが、今では、完全にできないのだ。
 何とも理不尽ではないだろうか?
 また、
「人の死」
 というものに関係することで、
「安楽死」
 というものが、認められていない。
 これは、世界でも、
「共通の問題」
 ということになっているが、
「事故や病気で、植物状態になった」
 として、
「回復が、ほとんど見込めない」
 つまりは、
「意識が戻る可能性は限りなく低い」
 と言われる状態で、その人を生かし続けるための、
「生命維持装置」
 というものに、
「かなりのお金がかかる」
 ということになる。
「それを誰が負担するか?」
 ということであるが、それは、
「患者の家族」
 ということになるのだ。
 本来であれば、国が出しても罰が当たらないものではないのだろうか?
 実際に、戦争をしている国に対し、一応、
「人道支援のため」
 ということで、ポンと金を出すバカな政治家がいるが、その金が本当に、
「人道支援に使われる」
 とは限らない。
 何といっても。
「戦争をしているのだから、武器を買うのは必須であり、お金に種類があるわけではないので、結果として、人殺しのための武器を買うために、使われる」
 ということだ。
 その金が、我々の血税というものである。
 国民が、
「世界的なパンデミック」
 のために苦しんでいるのに、それを無視して、他の国で、
「人殺しの兵器を買う金を、無償で出す」
 というのが、人道上許されることなのだろうか?
 要するに、
「政治家の売名のために、血税が使われた」
 ということに尽きるというものだ。
 それでも、
「国民が求める」
 という金ではない。
 何といっても、
「日本国民の窮状を無視」
 してのことである。
 ということなので、誰が許すということなのか、
 しかも、国民が、
「人道支援のため」
 という言葉にコロッと騙されるというのも情けないことということであり、
「それだけ平和ボケしていて、戦争の何たるか」
 ということを、日本国民が分かっていないということになるのだろう。
 要するに結局は、平和な状態において、
「皆自分のことしか考えていない」
 ということになる。
 ただ、
「安楽死」
 という問題は、どこが難しいというのか、
「回復の余地が限りなく低い」
 ということであれば、
「そのまま死なせてやればいいではないか?」
 ということになるであろう。
 そうしないと、
「患者の家族だけが苦しむ」
 ということであり、
 死なせるわけにはいかないということで、自分は、
「借金をしてでも、医療費を稼がないといけない」
 ということになるだろう。
 そうなってしまうと、
「家族は地獄を見る」
 というわけで、
「外国の戦争と、植物人間の家族の苦労とを比較した時、血税をどっちに使うべきか?」
 ということを考えると、
「結論は決まっている」
 といえるのではないだろうか?
「人間の命というものが、ないものだと考えた時、役に立つことができると分かれば、その人の意志はどうであろうか?」
 中には、
「この世に恨みしかない」
 と思っている人もいるだろう。
「ろくなことがなくて、運が悪い人生ばかりを歩んできた」
 と考える人もいるだろう、
 それが、この山岸研究所というところでは、
「精神疾患の人間」
 ということで、その場合に、
「正常な判断能力がなく」
 しかも、
「死というものへの執着心もまったくない」
 というような、精神異常者というものを集めてきて、
「強制的に、他の人の役に立つ」
 という
「研究の実験台となる」
 というのが、
「この研究所の主旨」
 ということで、
「その存在意義」
 でもあった。
 ただ、これは、もし世間にバレルと、
「恰好のマスゴミの餌食」
 ということであり、社会問題としては、相当なものということになるだろう。
 研究員の皆は、
「これが正しい」
 と感じているに違いない。
 だが、この研究員というものは、
「皆、洗脳されている」
 と言ってもいいだろう。
 正常」
 と呼ばれる、
「普通の精神状態」
 というものでは、ここでの研究ができるはずもないのだ。
 そして、この研究所で得られた研究結果は、
「国から買い上げられる」
 ということであった。
 それを、研究員は、
「植物人間になった人の家族に与えられる」
 という話を聞かされて、ここでの研究に従事していたのだ。
 いくら、
「植物人間の家族のため」
作品名:(新)大日本帝国 作家名:森本晃次