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(新)大日本帝国

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 ということであったり、
「いずれは死んでいく人たちのための礎になる」
 ということであったりということであっても、
「人道的」
 ということを考えると、
「そう簡単に割り切れる」
 ということではないといえるだろう、
 それを考えると、
「彼らのジレンマは、ギリギリのところで判断している」
 ということになるのであろう。
 つまり、
「洗脳」
 というものが、必須だったということであった。

                 大団円

 彼らの頭の中に洗脳されて叩き込まれた考えというのは、
「大日本帝国時代」
 の考え方ということであった。
 大日本帝国時代の考えを洗脳する」
 というのは、これこそ、国家の、
「最高中のさらに最高機密」
 と言われていた技術で、
 何と、
「死んだはずの軍の幹部の脳を、保存しておいて、科学の発展とともに、
「その脳を、利用する」
 という技術が開発されていた。
 しかし、それを隠すために、政府は、
「ロボット工学」
 というもの、そして、
「タイムマシンの開発」
 というものを、わざと、
「開発されていない」
 ということで、表には公表していたのだ。
 確かに。
「タイムマシンにおける、タイムパラドックスの問題」
 ということであったり、
「ロボット工学における。フレーム問題。ロボット工学三原則」
 であったりというものが、
「研究の妨げになっている」
 というのは当たり前のことだが、それ以前に、
「大日本帝国の頭脳による洗脳」
 ということをごまかすために、あえて、
「日本の科学力は、発達していない」
 ということを世間に公表し、世界を欺いてきたということであった。
 そんな世の中において、
「日本という国は、何を大切にすればいいか?」
 ということに関しては、本当は長けた国」
 ということであった。
 これは、
「軍というものが、天皇の統帥権にある」
 という大日本帝国の発想から、この国家プロジェクトというのは、
「政府も知らない」
 というものであった。
 だから、余計に、
「日本国の政府は、バカが多い」
 ということになるのだ。
 優秀な人間は、すべて、このプロジェクトに参加していて、
「表面上だけのエリート」
 と呼ばれる連中が、
「自分の利益と名声のためだけに政府を構成している」
 ということだから、表面上の日本が、
「どれほど、愚かで、世界からバカにされる国なのか?」
 ということになるのであろう。
 それを差し引いても、今のこの、
「国家プロジェクトの成功」
 というものが、いかに、
「国家の危機を救うか?」
 ということである。
 そもそも大東亜戦争においての日本は、
「無条件降伏をした」
 ということであるにも関わらず、
「奇跡と言われた戦後復興を成し遂げた」
 確かに、朝鮮戦争などの、
「戦争特需」
 という運の良さというのもあったが、それだけでは、とても、高度成長であったり、
「戦後のピークを迎えることはできなかったであろう」
 しかし、戦後復興において、ここまで復興できたのは、
「日本の独自の研究」
 というものを、隠し通して、日本独自で行ってきたからだろう。
 ただ、それまでは、
「愛国心などの政治家がいたことで、何とかなってきたが、途中から、政治家にあるまじき連中が政治家として君臨する」
 ということで、
「亡国の一途をたどってきた」
 と言ってもいいだろう。
 それを思えば、
「今のこの国家プロジェクト」
 というものは、
「後戻りすることのできないところまで来てしまった」
 といえるのではないだろうか?
「大日方帝国」
 というものが、
「今の時代」
 から見れば、
「国家を戦争に導き、焦土にしてしまった」
 という、
「極悪国家」
 のように言われているが、
「今の政府と、その質を考えた時、
「どちらがいいのか?」
 ということになる、
 大日本帝国では、
「教育で、徹底して、立憲君主の国」
 ということで、さらに、スローガンとしても、
「富国強兵」
 というものから始まって、満州国建国においても、
「王道楽土」
「五族共栄」
 であり、大東亜戦争においては、
「大東亜共栄圏の建設」
 という、スローガンがその時々であったではないか?
 果たして、今の時代に、そんなものがあるというのか?
 政府は、
「国家の衰退を何とか防ごうとする」
 という、後ろ向きにしか動いていない。
 これは、
「天下泰平」
 と呼ばれる時代において、起こってきたことだというのは、江戸時代の歴史を見れば、一目瞭然である。
 江戸時代の後半は、
「享保の改革」
 というものから、あと、
「田沼時代」
「松平定信の時代」
 と進むにつれて、
「幕府の財政政策」
 という、
「後ろ向きの政策」
 というものであったといえるだろう。
 つまり、
「平和な時代には、前に進むことができず、下がっていくところをいかに抑えるか?」
 という時代になるということだ。
 それが、江戸時代であり、明治維新を、
「もう一度行わなければ、国家が沈むだけだ」
 ということになっていくに違いない。
 その手始めが、この、
「山岸研究所」
 ということであり、実際の
「国家機密」
 と言われていることですら、
「隠れ蓑」
 ということであった。
「実際に、どんな明治維新というものを行えばいいというのか?」
 そして、できあがる国家というのが、
「(新)大日本帝国)
 と呼ばれるものだということではないだろうか?
 まるで、
「合わせ鏡」
 であるかのように、
「限りなくゼロに近い」
 というものであり、
「絶対にゼロになることのない無限」
 というものが、一番強いものだということで、ただし、そうなると、
「何が一体正しいというのか?」
 ということを、決める人間の出現が待たれるということになるのか?
「皇国の興廃この一戦にあり」
 という言葉が、思い出される時代に戻るということになるのであった。

                 (  完  )
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作品名:(新)大日本帝国 作家名:森本晃次