研究による犠牲
「舞台の場所が違っている」
ということであったり、
「犯人が違う」
という作品であったり、中には、
「二つの作品を一緒にして、さらに、ストーリー性もまったく変えてしまう」
ということもやったりしていた。
普通の原作者であれば、
「こんなのは許さない」
と考えるのではないかと思うのだが、それを許しているのだ。
この刑事は、それを聴いた時、
「原作だけにしておいて、この時代の映像作品は見ないようにしよう」
と思うようになったのだ。
そもそも、時代が違うのだから、その時代に生きていた人は、ほぼ限られているということで、
「少々のことは許される」
と考えているのかも知れないが、その刑事には許されなかった。
もっとも、これが、
「時代小説」
であったり、
「ノンフィクション」
などの。
「ドキュメンタリー」
であれば、許されないことなのかも知れないが、そうではないのであれば、
「後は、それぞれの読者の感じ方」
ということで、
「賛否両論あっても問題なく、映像化には問題ない」
と言ってもいいだろう。
この刑事は、
「自分が探偵になった気分で捜査している」
と言ってもいいだろう。
彼がそういう捜査をするというのは、
「署の人間であれば、理解しているが、捜査本部などが出来上がれば、なるべく、捜査本部に逆らわないように」
と言われている。
「二時間サスペンス」
などでは、
「捜査本部の方針に逆らう刑事」
というのが主人公になっていて、そういう刑事がえてして素晴らしい発想を生み出すことで、
「事件を解決に導く」
ということから、
「事件を解決する」
というパターンが多いが、それこそまさに、
「フィクション」
というもので、
「勧善懲悪」
であったり、
「判官びいき」
と呼ばれる、
「日本人独特の考え方や特性」
というものが、
「二時間サスペンスを支えている」
と言ってもいい。
しかも、二時間サスペンスには、ワンパターンにはワンパターンなりのものがあった。
たとえば、
「いつも、事件の解決現場は、どこかの事務所のようなところではなく、ご当地者の作品であれば、ほぼ間違いなく、どこかの断崖絶壁になるのだ」
どこかの作品で、始めたのがきっかけということなのだろうが、
「そもそも、その断崖絶壁に行くまでに、どれだけの時間が掛かるのか?」
ということである。
もっとも、
「犯人が、自分に不利な目撃をしたということで、その人を殺そう」
と考えたとすれば、
「断崖絶壁に誘い出し、そこで、自殺を装って殺そう」
と考えるかも知れない。
そもそものこのパターンの最初は、この発想がきっかけだったといってもいいだろう。
昔を知らない人で、
「ミステリーマニア」
であれば、ひょっとすると、それくらいのことは思いつくことだろう。
この刑事が、それくらいのことは分かっていたとしても、それも無理もないことであろう。
実際に、この刑事が子供の頃は、ほとんど、
「二時間サスペンスもの」
というのは、末期になっていた。
時代としては、
「サスペンスもの」
というものだけではなく、ほとんど、
「テレビの時代は終焉なのではないか?」
と言われる時代だった。
というのも、
「それまでの、番組体制が、崩壊している時代」
と言ってもいいだろう。
それまでの、ゴールデンタイムと言われていた時代は、時間的に、
「前半が、夜の7時から9時」
までくらいで、後半というものが、
「夜の9時から11時くらい」
と言ってもいいだろう。
前半は、
「シーズン中は、野球中継」
と言われるもの、そして、それに付随した裏番組のニュースであったり、音楽番組などがあった。
そして、シーズンが終了すれば、その時間帯が、
「時代劇」
になっていたのだ。
要するに、
「視聴率が確実に稼げるのは、夏でいえば、野球中継というものであり、冬であれば、時代劇だ」
ということであろう。
時代劇というのは、日本人が好きな、
「勧善懲悪」
と
「判官びいき」
というものを一緒にした内容で、それは、ワンパターンであればあるほど、視聴率が上がるというものであった。
野球中継というのは、昔の最初のテレビが普及した時代、子供が好きなものの代表例」
ということで、
「巨人大鵬卵焼き」
という言葉があったように、
「マスゴミに嫌らしいまでに贔屓される球団」
というものがあり、しかも、その球団の親会社が、新聞、マスゴミということになると、
「当然、野球中継は、ドル箱」
ということになるだろう。
しかし、ネックはテレビ放送の環境であった。
テレビ放送というのは、
「スポンサーありき」
ということで、
「お金を出してくれる会社があり、そのお金で番組を制作する」
ということになるので、
「スポンサーというのは、神様だ」
と言ってもいいだろう。
だから、野球中継のように、
「いつ終わるか分からない」
という野球の試合なので、放送時間におさまらないことは当たり前にある。
しかも、
「終わらない状態をスポンサーがどう考えるか?」
ということで、スポンサーは、
「どっちが視聴率が稼げるか?」
と考えることだろう。
かといって、視聴率ばかりに気を取られていては、視聴者が起こって、
「もう野球は見ない」
などという人も増えてくるかも知れない。
そのあたりの綱渡りが、却って。
「ちょうどいいところで。コマーシャルが入ったり、中継を最後までしない」
ということで余計に、視聴者を混乱させることになる。
そこで出てきたのが、
「有料放送」
という考え方だった。
テレビに受信機をつけて、民放とは違った、
「視聴者ファースト」
の番組を作るということである。
民放が、
「スポンサーに弱い」
というのは、
「製作費のすべてを、スポンサーに頼っているからだ」
ということで、
「野球中継で、ひいきチームの試合がある時は、試合開始から、試合終了まで、途切れることなく放送する」
ということにしてしまえば、
「見たい人は、有料放送でも見るだろう」
と考えたのだ。
しかも、
「試合開始前のインタビューから、試合終了後のイベントまで、最初から最後まで放送する」
ということにすれば、どんどん視聴者が増えていった。
そこで、
「それぞれのジャンルに特化した放送チャンネル」
というものを制作することで、どんどん、チャンネルも増えていき、
「有料チャンネルは主流」
と言われる時代になってきた。
月額で、数百円」
というのだから、
「数チャンネルだけでも登録しておけば、それだけで十分だ」
ということである。
「そもそも、民放など、見たくない番組を放送されると、その時間、テレビを見ることはない」
ということになる。
「ドラマが好きな人なら、ドラマに特化した番組」
「スポーツならスポーツ、音楽なら音楽」
という特化した番組が、主流になってきた。
ただ、それも、30年くらいのもので、最近は、少し状況が変わってきた。
というのも、
「スマホによる配信」