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研究による犠牲

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 とりあえず、被害者の財布の中にある免許証から、現住所と、名刺の束から、勤め先というのが分かった。
「とりあえず、まずは家族に連絡を入れてもらおう」
 ということであった。
 被害者が殺害されているということは間違いない。
「石で殴られた上に、首を絞められている」
 ということで、さらに、
「争った痕がない」
 ということから。
「動機は何か?」
 ということが問題だった。
 ただ、初動捜査としては、まず、形式的な、
「今分かること」
 というよりも、
「今の段階でしか分からないこと」
 というものを、しっかりと検証するのが、初動捜査というものであった。
 刑事の一人が気になったこととして、鑑識に聞いたのだが、
「犯行現場は、ここなんですかね?」
 ということであった。
 この刑事は、元々、探偵小説などを読むのが好きで、学生時代には、よく探偵小説を読んで、謎解きに興じていたということであった。
 高校時代には、探偵小説が好きな友達と、いつも二人で、トリックや、ミステリーのストーリーを考えたりして、
「俺たちで、推理小説を書いてみような?」
 などと言っていたこともあったが、
「致命的に文章力がない」
 ということをやっているうちに思い知らされ、その目的はとん挫してしまったのであった。
「まあ、トリックを考えるくらいはいいか」
 ということで、友達の家に泊りこんでは、よく、
「ミステリー談義」
 というものをしていたのであった。
 二人が好きなミステリーは、最近のものではなく、戦前戦後の、
「探偵小説」
 と呼ばれていた頃のものだった。
 いろいろなトリックが考えられたのだが、すでに、トリック関係は、
「飽和状態」
 ということになっていて、
「もう出尽くした状況で、これからは、バリエーションというものでしかなくなる」
 と言われていた。
 時代が進むにつれ、そのバリエーションというものが、
「まだ黎明期」
 と呼ばれていた、探偵小説の時期だったが、次第に、社会が戦後の混乱から落ち着いてくると、
「いろいろなジャンルの探偵小説が生まれてくる」
 ということになってきた。
「社会派小説」
 というものが、社会問題とともに、さらには、
「人情」
 というものと結びついて、いわゆる、
「昭和という時代を彷彿させる小説」
 という時代になってきたのであった。
 それが、映像作品として、
「二時間サスペンス」
 などというものが、流行ってくると、
「毎回同じようなものでも、飽きがこないようなものにさえしてしまえば、問題ない」
 と考えられるようになった。
 いわゆる、
「シリーズもの」
 というものである。
 それが、
「一人の探偵を主人公にしたシリーズもの」
 ということで、
「安楽椅子探偵」
 などと呼ばれる時代になってきたのだった。
 探偵と呼ばれる主人公は、探偵というのが、本職ではなく、
「探偵は趣味のようなもので」
 などと言って、警察官の前では最初、身元を明かさないようにしていたが、刑事の方が、
「こいつは怪しい」
 ということで調べてみると、
「名探偵の呼び声のある」
 という主人公だったということで、まるで、
「水戸黄門の印籠」
 のようなもので、警察官が、ひれ伏すという内容に、見ていて、
「スカッとする」
 ということで、そのシーンを見たいという視聴者が多いことで、
「シリーズもの」
 ということで、長年にわたり
「、培われた実績」
 から、すっかり、
「フィクションの名探偵」
 ということになったのだ。
 彼は、実に人間臭い探偵で、
「決して、垢抜けしているわけでもなければ、どちらかというと、
「マザコン」
 であったり、
「女性には弱い」
 ということであったり、
「ご当地の食事に目がない」
 などという、
「普通の青年」
 ということが、その探偵の、
「探偵たるゆえん」
 ということであった。
 だが、最近はそういう番組がほとんどなくなってきた。
 昭和の終わりくらいから、
「二時間サスペンスもの」
 というものが増えてきて、最盛期には、
「毎日のように、どこかのチャンネルで、ゴールデンタイムにやっていた」
 というものであった。
 それこそ、
「ミステリー、サスペンスブーム」
 だったといってもいい。
 それには、
「ミステリー界の巨匠」
 と呼ばれる小説家の原作が、結構映像化されたのであった。
 前述の、
「安楽椅子探偵」
 というシリーズもさることながら、もう一つは、たとえば、
「トラベルミステリー」
 などと言った、
「ミステリー主節の中でも、何かに特化した内容によって考えられるトリックが主題となった小説」
 というものの映像化が、人気を博していたのだ。
 特に、トラベルミステリーの映像化というのは、
「電車好き」
 という人には、溜まらないものであろう。
 特急列車であったり、ブルートレインなどの、
「時刻表トリック」
 というものに端を発し。
「時刻表トリック」
 というものだけではなく、
「ご当地の風俗文化をトリックや、動機に組み込んだ形のストーリーが組み立てられることで、実際のトリックの中に、心理トリックのような、黎明期に言われた、バリエーションというものが芽生えてきた」
 と言ってもいいだろう。
 もし、このような、
「一つのことに特化した作風」
 というものが、ブームとならなかったら、
「ミステリーというジャンルは衰退していった」
 と言ってもいいかも知れない。
 元々、ミステリーというのは、
「原作があって、それを映像化する」
 という時代があったが、先に原作を読んでから、映像作品を見ると、
「これほどつまらないものはない」
 ということで、
「見るんじゃなかった」
 と思えるものだった。
 だが、
「先に映像を見て、原作を読む」
 ということであれば、
「そこまで嫌な気分にはならない」
 と考えられるのであった。
 ということは、
「原作に勝るものはない」
 ということであろう。
 だから、
「映像作品を見る時は、原作とは違う作品だ」
 というくらいの覚悟をもって見なければいけないと思っている人も多いことだろう。
 この若い方の刑事もそうであり、
「ドラマはドラマ」
 ということで見ているのであった。
 だから、
「戦前戦後の探偵小説を映像化した作品は見ない」
 と思っていた。
 最近の作品は、
「原作とはまったく違う作品」
 ということで作っているものが多い。
「まったく違う作品であれば、気にすることはないのでは?」
 と思うのだが、それはそれで、
「自分の考え方に沿っていないので、許されない」
 と、考えるようになった。
 やはり、
「好きなものは、勝手に変えられるというのは我慢できるものではない」
 ということだ。
 作品が、戦前戦後ということで、原作者は当然亡くなっている。
 この作家先生は、昭和の時期に、自分の作品が、爆発的なブームになった時、映像作品もたくさん作られたのだが、その時、いつも自分の作品に、カメオ出演していたくらいの人であった。
 また、映像された作品の中には、
「原作とまったく違う作品」
 というのも多かった。
作品名:研究による犠牲 作家名:森本晃次