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研究による犠牲

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 というもので討ち果たした、中臣鎌足の子孫が、平安末期まで、多大な権力を握り、さらには、明治維新まで、摂関家ということで、君臨してきた、
「藤原氏の礎」
 を築いたのだ。
 どうしても、
「出る杭は打たれる」
 ということになるのだろうが、
「群雄割拠の戦国時代」
 であったが、
「上杉謙信と武田信玄」
 というのは、いわゆる、ライバル関係だったといってもいいかも知れない。
 もちろん、
「後世に作られた、都合のいい話なのかも知れない」
 のだが、
「敵に塩を送る」
 という言葉で表されるような、内陸部の甲斐の国に領土を持っていた武田信玄が、まわりの国からの影響で、
「塩を送り込むことができない」
 ということでの、一種の、
「兵糧攻め」
 に遭っていたところを、上杉謙信が、
「塩を送った」
 という逸話からきているものだった。
 もし、これが、本当の話ということであれば、
「上杉謙信と武田信玄は、ライバルという意味での、好敵手だった」
 と言ってもいいだろう。
 どこまで本当のことなのか分からないので、
「伝説」
 ということになるが、実際に、戦国時代であっても、
「ライバルと言われながらの、その実は、同盟関係を結んでいたということなのかも知れない」
 ということになる。
 ただ、この時代には、
「同盟関係」
 というのは重要だった。
 同盟関係を結ぶことで、
「同盟相手が、攻め込まれたり、戦を起こした場合は、同盟国も参戦する必要がある」
 というものである。
 そのために、この同盟関係には、
「政略結婚」
 であったり、
「人質を差し出す」
 ということが当たり前のようになっている。
 特に、
「政略結婚」
 というのは、体のいい人質ということでもあった。
「娘を嫁に出したのだから、従わせる」
 ということであったり、
「娘が手中にあるのだから、人質も同然」
 ということである。
 そこまでしておけば、他の国から、
「攻めてこよう」
 としても、同盟国との駆け引きということで、うかつに手を出せないということにもなるであろう。
 戦国時代には、
「ライバル関係」
 というよりも、
「相手にいかに欺かれないようにしなければいけない」
 ということの方が大切で、
「同盟関係が、どれほど大切なことなのか?」
 ということを表しているのかも知れない。
「甲相駿三国同盟」
 というものが、その一つであり、
「甲斐、相模、駿府と呼ばれる三つの国において結ばれた軍事同盟」
 というものであった。
「甲斐の武田家」
「相模の北条家」
「駿府の今川家」
 という、強大な三つの大名が同盟を結び、政略結婚を重ねることで、
「同盟国から攻められない」
 あるいは、
「戦をした場合に、援軍がもらえる」
 ということであった。
 しかし、もっといえば、それらが、足かせになる場合もある。
 つまりは、
「抜け駆けはできない」
 ということであろう。
 つまりは、
「同盟国の一国を裏切ることになれば、もう一か国も敵に回す」
 ということになるのである。
 そういう意味で、この場合の三つの関係は、
「この同盟を壊すということがどういうことになるか?」
 ということであった。
 この場合の三つの関係を、
「三すくみに近い関係と言ってもいいかも知れない」
 それは、
「甲相駿三国同盟」
 に当てはまるとは言えないかも知れないが、実際に、
「三すくみ」
 のように、
「相手の一国には強いが、もう一国には弱い」
 という関係が築かれているということになるのだと、それぞれの領主が分かっているとして、
「一番いいのが、三国同盟を結ぶことだ」
 と考えたとすれば、
「それこそ、治世を読むことに長けている」
 と言ってもいいだろう。
 実際に、戦国大名という人たちは、
「それくらいの頭の切り替えと、先を読む力がなければ、戦国大名として、生きていくことはできないだろう」
 ということになるのだ。
 三すくみというのは、
「全体のバランスを見極めなければいけないものだ」
 ということになる。
 この
「三すくみ」
 というのは、
「力の均衡」
 というものだけの問題ではない。
 そこには、
「抑止力」
 というものが働いていないといけないということであろう。
 つまり、三すくみの関係において、
「目の前に、自分が圧倒的に強い」
 という相手がいたとしても、もう一方に、
「自分には相手にならない」
 というほどの、天敵がいるわけなので、うかつに動くことはできない。
 つまり、これが抑止力というもので、それぞれがそれぞれに天敵を持っているということなので、その時点で。抑止力になっている」
 ということだ。
 これは、
「永久に動くことができない」
 という、
「無限」
 という発想をも持っているといえるだろう。
 つまり、
「先に動いた方が、やられてしまう」
 ということになり、三すくみの場合は、
「最後に生き残るのは、先に動いた方に対しての、強いもの」
 ということになるのだ。
「先に動いたやつは放っておけば。自分の天敵を倒してくれる」
 ということで、最終的に残った二人の力関係は、圧倒的に、
「自分の方が強い」
 ということになるのであった。
 そんな三すくみというのが、
「力の均衡」
 ということであり、
「その力の均衡が、抑止力に繋がる」
 と考えると、
「東西冷戦」
 というような、
「核による抑止力」
 というものを考えた時、
「東西冷戦」
 というものは、実は、アメリカとソ連という、
「二大超大国」
 というものの対戦ということではなく、そこに、もう一国が入り込んだ戦いだったのではないか?
 と思えるのだった。
 そのおかげで、それぞれに抑止力があり、その結果、核戦争にならずに済んだということではないだろうか?
 もっといえば、
「核の抑止力」
 というのは、一つの国だけで行われるものではなく、
「もう一つ、第三国というものが、かかわってこないとできない」
 ということになるのではないだろうか?
 つまりは、
「東西冷戦に、もう一つ、どこかの国が暗躍したことが、功を奏した」
 ということになるということだ。
 では、その国というのは、
「社会主義陣営なのか、それとも、自由主義陣営なのか?」
 ということになるが、
「どちらかの体制に、どこかが与したということであれば、そもそもの、力の均衡が保てない」
 ということで、
「三すくみというのは、抑止力になるかも知れないが、実は力の均衡ということに対しては、逆にその効力を弱める」
 という作用が働くのではないだろうか?
 と考えられるのであった。
 そうすると、
「力の均衡を保つため」
 ということであれば、
「三つ巴」
 というものが一番。
 ということで、
「抑止力を強めるため」
 ということであれば、その時は、
「三すくみ」
 というものが必要ということで、
「三つ巴と三すくみ」
 というものが、違ったものであるように、
「力の均衡」
 というものと、
「抑止力」
 というものは、そもそもが違っているものなのだろう。
作品名:研究による犠牲 作家名:森本晃次