研究による犠牲
「イギリスが文句をいうこともない」
という思いもあったからかも知れない。
そんな時代において、ヨーロッパ各国は、
「それまで植民地としてきた国が、どんどん独立戦争を起こしている」
ということに、
「日本の統治どころではない」
ということなのかも知れない。
そもそも、この独立運動というのは、元々、日本主導で主な割れるべきものだったのではないだろうか。
今の時代に、
「太平洋戦争」
などという、
「欺瞞に満ちた名前」
で呼ばれているが、占領が解けたあとで、
「独立国家」
というものに、戻ったのだから、日本は、晴れて、日本独自の言い回しにしてもいいはずで、この戦争名称は、閣議決定されたこととして、
「大東亜戦争」
という名前があるのだから、本来であれば、
「その名称を使うべき」
ということなのに、
「アメリカに気を遣って」
なのか、それとも、
「占領状態にあった」
という東アジア諸国に配慮してのものなのか、前の名前に戻そうとはしない。
「靖国問題」
というのもあるくらいなので、
「大東亜戦争」
などという名前にすることは、日本政府のような腰抜け政府にできるわけもないだろう。
そもそも、この、
「大東亜戦争」
という名前には、
「日本が、第二次世界大戦に参戦する」
ということでの大義名分があった。
そもそも大日本帝国は、今までに、大規模戦争を、三つ起こしている。それが、
「日清戦争」
「日露戦争」
「大東亜戦争」
というものであるが、それには、それぞれ、
「宣戦布告の詔」
にあるような大義名分があるのだった。
日清戦争においては、
「日本が開国させた朝鮮を、宗主国としての立場を主張する清国が、大いに干渉し、朝鮮内部で頻発するクーデターによって、日本領事館などが、攻撃され、そのたびに、清国、日本と派兵を行うことで、成立した、日清間の条約が守られていない」
ということに対しての、抗議の意味での宣戦布告というものであった。
大東亜戦争においては、
「昔からの欧米による東アジアが、植民地化されていることで、安全保障の問題からも、東アジアから、欧米の勢力を一掃し、日本を中心として、東アジアに、新秩序を打ち立てる」
というのが大義名分であった。
もちろん、その裏には、
「シナ事変において、日本に対して、欧米列強は、石油輸出などの全面禁止という暴挙に出たことでの報復と、南方に戦争資源を求めての進行」
ということであった。
もちろん、
「戦争にならないための、外交交渉」
というものも、政府で行われていた。
それと同時並行で、
「軍の方でも、戦争になった場合の作戦」
というものが立案されていた。
正直、軍の方でも、
「勝ち目はない」
ということは分かっていたかも知れない。
しかし、今までに中国戦線において、それだけの努力と犠牲によって築かれたことなのかということを軍は分かっているので、
「欧米の交渉事案に関して、黙って従うわけにはいかない」
ということであった。
結局、アメリカによる、
「宣戦布告」
とも取れる、
「最後通牒」
を受け取ったことで、日本は、
「もう我慢できない」
ということで、開戦に踏むこんだということであった。
もっとも、これは、
「アメリカ参戦」
ということのために、利用されたことだったと言われているが、結果としては、その通りだったということである。
結局、アメリカの圧倒的な物量と、作戦面においても、どうすることもできず、最後には、
「無条件降伏」
ということになり、
「国破れて山河在り」
となったのでああった。
三すくみ
「三つが絡ぬ」
ということは、よく昔から言われていることであろう。
大きく分けて、よく言われることとして、
「三つ巴」
というのと、
「三すくみ」
というものがあると考えられる。
三つというのは、それぞれに、
「力の均衡」
というものを呼ぶということも言われていて、この二つの言葉は、
「まさにその、力の均衡」
というものを表しているといってもいいだろう。
その一つとして、
「三つ巴」
と呼ばれるものであるが、
これは、
「それぞれに、直接的な力の均衡が働いているということで、スポーツなどで、リーグ戦を行えば、勝ち負けが均衡してしまい、勝負にならない」
ということであったり、その三つのチームが、他のチームに対して、
「群を抜いて強い」
ということであれば、トーナメントにおいて、
「最終決戦に、必ず残る三チーム」
ということになるだろう。
そして、最終的に、この三チームが勝敗の上で、
「優勝決定戦に残った」
ということであれば、そこは、
「巴戦」
ということになるだろう。
これは、
「大相撲などの世界では実際にあることで、優勝者を決めるための方法」
ということである。
そのためにまず、
「優勝決定戦も対戦順序を決める」
ということになる。
そして、それぞれ二戦ずつを行うということになるので。
「三つの戦い」
ということになる。
その際に優勝する条件として、
「先に二勝した人が優勝」
ということになるのだ。
「二勝誰かがしてしまうと、あとの二人は、絶対に一敗はしているので、その時点で、すでに勝ちはない」
ということになるのだ。
再度の優勝決定戦ということになるには、
「三人が三人とも、一勝一敗ということでなければいけない」
という。
逆にいえば、
「そうでなければ、必ず、誰かが二勝することになる」
ということであった。
それが巴戦というもので、
「ただ、いくら力が均衡しているとはいえ、勝負は時の運ともいう」
それを考えると、
「勝負は、一瞬でついてしまうものなのかも知れない」
ともいえるであろう。
それが、
「三つ巴」
というもので、
もう一つの、
「三すくみ」
というものは、同じような、
「力の均衡」
と言われるものであるが、
「三つ巴」
のような、直接的な均衡というものではない。
「三つなければ成立しない」
というもので、ある意味、
「無限を意味するもの」
と言ってもいいかも知れない。
「三つ巴」
というものが、
「力の均衡」
ということであるなら、何も。
「力の均衡は、三つのものに限定する」
ということではない。
これが、二つに、いわゆる、
「両巨頭」
というものであってもいいだろう。
つまり、
「昔から二大巨頭」
というものが結構多かったりする。
いわゆる、
「ライバル関係」
と呼ばれるもので、却ってそっちの方が三つ巴に比べれば、多いであろう。
歴史で考えてみると、
「蘇我氏と物部氏」
であったり、
「平家と源氏」
「武田信玄と上杉謙信」
などと言われるものは、
「ライバル関係にある」
と言ってもいいだろう。
ただ、二大巨頭であるよりも、当事者とすれば、
「権力を自分のものにしたい」
という発想から、
「蘇我氏と物部氏」
であれば、
「蘇我氏が物部氏を打ち滅ぼす」
ということで、権力を一手に握った。
その蘇我氏を、
「乙巳の変」