研究による犠牲
「犯人が捕まったからと言って、子供の記憶が戻るわけではない」
ということで、
「もうしょうがない」
と思わざるを得ないのであった。
「記憶喪失というものがどういうものか?」
主人も自分なりに調べてみた。
医者にも、それとなく聞いてみたが、
「そもそも、記憶というのは、その時意識したものが、過去になったという時点で、過去の思い出という形で、記憶という空間に格納されると思っていいだろう」
ということであった。
「そして、記憶があることで、過去の経験を思い出し、それを今の行動や意識に繋がていくので、記憶がないというのは、人間がこれから生きていく上において、大なり小なりの障害をもたらすということになるものだ」
ということであった。
「じゃあ、記憶がないということは、結構大変なことなんですか?」
と聞くと、
「まだ子供なので、記憶がないということを、悪いことだとして認識していないので、本人とすれば、それほどきつくはないと思います。しかも、失われた記憶というのは、短い期間ということですからね。ですが、先ほども申しましたように、記憶に溝があってしまうと、記憶というところから、意識という、思い出すところに、もって来ることができなくなるんですよ、それが、記憶喪失というもので、その溝が、どんどん大きくなってくる場合もあるので、人によって稀ですが、なるべく無理しないように、戻す努力を怠らないことですね」
と医者は言った。
「その努力というのは?」
と主人が聴くと、
「本人に、思い出さなければいけない」
という意識であったり、
「思い出が美しい」
という、過剰な感情を持たないようにしないといけないということになるでしょうね。
ということを諭すようにいうのであった。
主人は、
「納得はしたが、全面的に信用しているわけではなかった」
ということであった。
主人は、結構疑り深く、猜疑心も強い方だったので、
「その性格が災いしている」
ということなのかも知れない。
「俺が、今までやってこれたのは、この猜疑心の強さからだった」
という思いもあった。
これまでの人生の中で、子供の頃は、もう少し、
「人を信用する」
という性格だった。
しかし、特に自分の親に対しては、
「まったくその性格が分からない」
と思っていた。
何をやっても、
「父親がやることに賛成できない」
と感じていて、父親の方も、
「息子は、わしに逆らってばかりだ」
と言っていたのであった。
息子も親も、実際には、そこまで逆らっていたり、賛成できないというわけではなかった。
ただ、
「気に食わない」
という思いがあるのは確かなのだが、だからと言って、
「絶対に合わない」
というわけでも、
「憎しみ百倍」
というわけでもなかった。
ただ、
「相手が認めてくれない」
という思いが強く、反発しあっていたが、お互いの立場から考えて、
「その立場上では、父親の方が、絶対的だ」
ということは分かっていた。
息子は、
「その立場関係に憤りを感じていて」
親の方は、
「自分の方が圧倒的な立場であるにも関わらず、息子がその手中にない」
ということに、かなりの憤りがあったようだ。
二人とも、
「お互いの立場を熟知していることで、相手に逆らえない」
という思いの強さが、
「さらなる距離と憎しみを生んでいるのだ」
ということを分かっているつもりで、
「それを認めたくない」
と思っていたのだ。
だから、主人は、
「息子にはそんな思いをさせたくないし、親となってから、今度はあの時の親の気持ちをいまさら味わいたくない」
と思っているのだ。
「どちらの思いが強いのか?」
ということになると、
「昔の親の気持ちを味わいたくない」
という方が強かったのだ。
やはり、
「自分が納得できないと、子供の教育という意味で、うまくはいかないだろう」
と考えたが、
「それも結局は言い訳」
ということであり、
「親子の関係がどういうものなのか?」
ということがまったく分からなくなっていた。
すでに、現役を引退し、田舎で悠々自適といえる生活をしている父親だったが、今では、すっかり、距離が広がって、
「もうこれ以上ない」
というくらいに離れたことを、お互いに、
「よかった」
と思っているのだった。
主人は、自分の父親を思い出していた。
何をするにも、子供の頃から、
「考え方の押し付け」
というものをしていた。
しかし、その頃の親子関係というものは、
「親には、絶対服従」
というような人もまだまだいて、
「昭和の、頑固おやじ」
という感覚だったのだ。
昭和という時代は、今のような時代ではなく、
「父親が表で働き、母親は専業主婦」
というのが当たり前の時代で、
「お金を稼いでくる父親が偉い」
というのが、基本的な考えだった。
そもそも、高度成長時代ということもあり、どんどん、生活が便利になってきた時代であり、それだけに、親子の関係は、
「恐怖の上に成り立っている」
と言ってもいいだろう。
ただ、それでも、親子は親子、どこかに繋がりはあるもので、どんなに恐怖であっても、逆らうことができない中でも、尊敬の念というものがあったのだろう。
主人も、確かに、
「親に対しての恐怖や憎しみ」
というものがあった。
そして、その思いが、逆に、自分が持っていないものに対しての、
「尊敬の念」
というものがあったことも分かっていた。
どうしても、
「自分の持っていないもの」
というものに対して、尊敬する気持ちがあるというのは、
「自分も昭和の人間なのだろうか?」
ということであった。
生まれは、平成になってからだったので、完全に頭の中は、
「平成人間」
だと思っている。
自分たちの子供時代というと、
「ちょうどバブルが崩壊した時代」
ということであり、それまで威厳という形で威張り散らしていた父親の立場が、まったく変わってしまった時期だった。
まわりの子供が、自分の父親に幻滅を感じている時期に、主人は、
「幻滅をいうものはなかった」
ということであった。
何といっても、幻滅を覚えるなどということがないのは、そもそも、
「最初から、幻滅するほど、信用しているわけではなかった」
ということからであった。
「なんだ、俺が思っていた通りじゃないか」
ということであり、
「父親の権威など、あってないようなものだ」
と元から思っていたのだ。
父親の方とすれば、
「それまで子供や奥さんに持っていたと思っていた威厳がまったくなくなった」
と思っているのだから、想像以上のショックだったことだろう。
それでも、最初は、
「俺には威厳があるんだ」
と信じて疑わなかったようで、母親の方でも、
「これは一過性のもので、すぐに前のように戻る」
と思っていたことであろう。
これは、一度母親が話してくれたことであったが、
「お父さんは、お母さんのお父さんと同じような人だったのよ」
と言っていた。
「それはどういうことなの?」
と聞くと、