研究による犠牲
「大学側には、研究所が何を研究しているのか?」
ということは、詳しく知っているわけではなかった。
あくまでも、
「国家プロジェクト」
の秘密を守るためには、
「いくつかの襷を架ける」
ということで、その事情は、一方からでは分からないようにしていた。
これは、まるで、金庫のカギというようなもので、
「金庫の番号はお前が知っているが、カギは俺が持つ」
ということで、
「二人が揃わないと、金庫は開かない」
という状況に似ているということであった。
ただ、これには、
「危険性」
というものがあり、
鍵を開けるキーポイントになっている一人が死んでしまったら、
「二度と金庫は開かない」
ということになるというものだ。
確かに金庫は開かないが、
「それでもいい」
というのは、
「金庫に隠されたものが、封印されていればそれでいい」
という場合のものであろう。
たとえば、これが、誰か大金持ちの遺言書だったとしよう。
もし、遺言書がなければ、一番得をするという、
「配偶者であったり、長男であったりする場合に、なまじ遺言などあると、下手をすれば、他の誰かに、全額を与えるなどとなると、大変なことだ」
ということである。
逆に、
「奥さんには、半分」
というのが当たり前のものを、
「奥さんに全額」
と書かれているかも知れない。
どちらか分からない場合は、
「冒険してまで、遺言書の開封を待つか?」
ということを考えると、
「さすがに、そんな冒険はできない」
と思い、
「それなら、遺言が二度と開かれないようにする方が無難だ」
と考えることだろう。
「ただ、弁護士は、もう一通作っておく」
というくらいのことは考えたことであろう。
それは当たり前のことであり、
「そんな曖昧なことで、殺人まですることはありえない」
といえるだろう。
それを考えると、
「人を殺すというのは、最大のリスクだ」
ということである。
ただ、今回の、
「誘拐」
というのも同じリスクということで、今のところ、
「身代金の要求がない」
ということだが、この後、身代金の要求というものがあった時点で、
「営利誘拐」
ということになるのだ。
営利誘拐というのは、罪も重いので、
「それだけリスクも高い」
ということであろう。
そんな状態において、
「犯人から、まず連絡があった」
きっと、犯人は、警察がそばにいて聞いていることを承知のうえで、話をしていることであろう。
しかも、犯人は、誘拐しているにも関わらず、要件だけをさっさと言って、電話を切るなどということはしなかった。
これは、元々は電話であったが、途中から、犯人は、
「LINE通話」
というものに切り替えた。
これは、電話回線ではないので、逆探知ができるような装置がついていない。
そもそも、
「誘拐事件」
というものは、減りつつあった。
それは、昔のように、
「逆探知の難しさ」
というものがなかったからだ。
というのも、
「GPS機能というものを使って逆探知ができたからだ。
しかし、やつらは、
「パソコンを使ってのLINE機能」
というものを使ってきた。
スマホや携帯電話であれば、GPS機能が使えるのだが、これが、パソコンということであれば、できないことであった。
これはまさに、
「抜け穴」
と言ってもよかった。
それをいいことに、犯人側は、世間話を始めた。
それは、それこそ、
「警察を嘲笑っているかのような状況」
であり、
「警察側は、何もできず、歯がゆい思いをしていた」
しかし、一人の刑事は逆に、
「相手が安心しているのであれば、会話の中で、安心してしまって、ボロを出すこともあるのではないか?」
と感じたのだ。
「じゃあ、俺たちも、そのつもりで聞いていればいいんだ」
と考えながら、
「子供のことが気になって仕方がない被害者が、躍起になっている状況を横目に、自分たちだけは、冷静に」
ということを思っていた。
ただ、やつらは、相当したたかなところがあるのか、
「ボロを出す」
ということはなかった。
「だが、一応録音はしているので、それを帰ってから何度も聞こう」
ということは考えていたのだ。
「それにしても、内容ということよりも、どうして犯人はあそこまで冷静なんだろうか?」
ということであった、
事件を警察が知っていることは分かってのことで、通話形式も、
「逆探知できないようにする」
ということには成功しているだけに、それでも、まだ彼らは、
「目的を明かそうとはしない」
ということであった。
「身代金の要求」
というものもなく、被害者が、
「子供の声を一声でも」
という親心で訴えていたのに、
「それはダメだ」
と言って、要求を突っぱねた。
なぜ、そこまでできないのか?
ということを考えたが、
「これは本当に身代金の要求なのだろうか?」
と考えられた。
「やはり、仕事上の機密に関することなのか?」
ということであった、
さすがに、この状態を警察までには話はできるが、これを、
「受注してくる、国家」
というものに知られるわけにはいかない。
それを考えると、
「警察には、分かっていることであるが、かん口令を敷く」
ということを徹底させるしかなかったのだ。
警察としても、
「何かしっくりこない犯行だ」
と考えるようになっていたのだ。
身代金の要求があるわけではなく、日にちだけが過ぎていく。警察も、
「さすがに疲れた」
という雰囲気が出てきてからのことだったが、事件が起こってから、一週間経つか経たないか?
それくらいの時期に、子供が解放された。
「子供は解放する」
という内容の手紙が配達されてきた。
その手紙が来るのが早いか、子供が保護されているということが、交番から連絡が入ったのだ。
何といっても、かん口令が敷かれていたので、下々の交番には、詳しいことは伝わっていない。
しかも、違う都道府県で見つかったのだから、交番としても、怪しむことは一切なかった。
子供が無事に返ってきたことで、家族の方は完全に安心しきってしまったのだが、警察はそうもいかない。
「目的は何だったのか?」
ということも気になるところで、いくら無事に返ってきたとしても、このまま犯人を野放しにしておくわけにはいかない。
確かに、家族の方とすれば、
「無事に返ってきたのだから」
ということで、それまで、心配で心配で仕方がなかったはずなのに、
「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」
という言葉があるように、被害者という立場ではあるが、今度は、
「煩わしいことにかかわりたくない」
ということで、
「警察に協力する」
という気分が完全に消えていたのだった。
警察は、もちろん、
「犯人逮捕」
を目指して動くのだが、被害者側とすれば、
「すでに終わった事件」
ということであった。
家族といっても、
「もう犯人が誰であっても関係ない」
ということであった。
しかし、警察とすれば、
「あまりにも分からないことが多すぎる」
ということであった。