表裏の感覚による殺人事件
ということになるわけである。
最初、犯罪計画を立てている時は、
「歯車が噛み合うように、冷静に立てていたはずなのに、それだけに、ちょっとイレギュラーなことが起こってしまうと、もし、その状態が想定外であれば、何をどうしていいのか分からない」
ということになるのだ。
というのも、
「犯罪計画は最初から最後まで、ち密に立てている」
ということで、
「一旦狂ってしまうと、狂ったところから、元に戻すことはできない」
ということになるのだ。
「それがどういうことなのか?」
というと、SFの中によくあることとして、
「タイムパラドックス」
という問題と、
「パラレルワールド」
という問題から、
「元の状態に戻すことができない」
ということになるのであった。
SFの発想
「元の状態に戻すことができない」
という発想は、その大前提として、
「同じ方向に、同じスピードで進むしかない」
ということが表しているということである。
さらにもう一つは、
「一旦進みだすと、曲線を描くことはできず、そのまままっすぐに行くしかない」
ということであった。
つまりは、
「タイムマシンで過去に行き、その場所で歴史が変わってしまった」
ということになれば、その未来は、変わってしまったその時点から、角度を変えて、進む道が決まっているということである。
ということは、
「一度進みだすと、運命を変えることができない」
ということになるのだ。
よく運命は、
「自分で変えられる」
というが、あくまでも、決まっている道を進むように、自分が変わったというだけのことで、そもそも考えてみれば、
「運命を変えられる」
ということで、もし、
「運命が変わった」
として、その運命は、本当にその人にとって、
「望ましい」
あるいは、
「都合のいい道」
なのかどうかは分からない。
下手に運命を変えて、
「前の方がよかった」
と考えるのも無理もないことで、
「世の中で、自分が望むことが、本当に都合のいいことかどうかというのも分からないというものだ」
ということになるのではないだろうか?
だから、
「自分が変えてしまった過去で、今間違った方向に進んでいる未来があった」
とすれば、
「今から現代に戻っても、変わってしまった未来しか待っていない」
ということになる。
だとすれば、
「元の世界に戻るにはどうすればいいか?」
と考えた時、
「今の時代を戻そうとしてもダメだ」
ということである。
というのは、
「歴史が変わってしまった瞬間がある」
とすれば、
「その瞬間の少し前に戻って、変えようとする自分の行動を辞めさせなければいけない」
ということになる。
しかし、ここで一番の問題は、
「そもそも、変わってしまった瞬間がいつなのか?」
ということである。
「過去に戻った自分が、過去の自分と合うことなく、変えてしまった」
ということしか分からない。
実際には、自分と同じタイムトラベラーがいて、その人が
「歴史を変えてしまった」
ということかも知れない。
それは自分がタイムトラベラーだから分かることであって、ただ普通に時系列に沿って、
「未来のことを知らない」
という人から見れば、それが変わってしまった未来なのかどうなのか分からないので、
「歴史が変わった」
という意識はないのだ。
前述の状態で、
「歴史が変わったので。元に戻さないといけない」
ということで歴史を戻したとしようか?
すると、自分が見た未来は、実際の未来よりも、少し悲惨に見えたかも知れないが、それ以上の未来というものを見たわけではない。
つまり、
「これから、自分の意識にない未来が始まるとして、そっちが絶対に悪い未来で、元に戻さなければいけない」
ということになるのかというと分からない。
ひょっとすると、元々いた世界の世界線では、
「近い将来、核戦争が起こり、世界が滅亡する運命なのかも知れない」
ということであったらどうなのだろう?
逆に歴史を変えたことで、
「人類滅亡を防いだ」
ということになりはしないか。
もし、人類滅亡を防いだということであれば、
「今の未来を進めばいいのではないだろうか?」
基本的に、未来にどうなるか?
ということは分からないのだ。
いくら未来に行って、どうなるかということが分かったとしても、その過程が分からないので、あくまでも分かるのは、その目の前の、
「点」
というものだけである。
未来に進んだことで、その未来から、過去がどうやって積み重なってきたのか?
というのは、
「その時間と同じだけ味わわないと、分かるものではない」
というもので、
だから、
「未来に行っても、その未来が続いているのであれば、少なくとも、過去に何があったのか?」
ということを、
「時系列で知らないと、何もできない」
ということになるであろう。
それを考えると、
「世の中というものは、平面に地理的なものを想像し、そして、縦に、時間軸を持つことが必要」
というような
「四次元世界」
というものを想像する必要があるのではないだろうか?
そもそも、
「三次元には、高さの概念があるが、それが、時間を冠する四次元というものであれば、その時間は、三次元でいうところの高さに相当する」
と考えると、
「四次元の世界というのは、平面の世界だ」
といえるのではないか?
と考えるのだ。
「メビウスの輪」
という平面の裏表が矛盾する世界が、
「四次元の世界」
というものだ。
と考えると、
「三次元の世界の縦軸」
というのは、
「表裏」
ということではないか?
と考えられるというものだ。
といえるだろう。
メビウスの輪」
というものは、裏か表か、どちらかに、麺に対してその中心部から線を引いていき、その途中で捩じるようにして、
「表裏を逆さま」
ということにすることによって、
「決して重なるはずのない描いた線」
というものが、どこをどうすればそうなるのか、
「一回捩じっただけなのに、重なる」
というものである。
ということになると、
「メビウスの輪」
というのは、表面になるはずの、
「裏か表か」
という概念がない世界だ
ということになるのであった。
そう考えると、
「四次元の世界には時間軸があることで、三次元には重要だった裏表の概念がない」
ということになり、
「三つしかないと考えられる軸の一つを、
「裏表」
から、
「時間軸」
に変えることで、
「四次元の世界が創造できる」
という考え方であろう。
そんな裏表の世界を考えた時、三つ「のSF的な発想が思い浮かんだのだった。
一つは、
「ドッペルゲンガー的な発想」
と、もう一つが、「
「濃きるとハイド的な二重人格の発想」
そして、もう一つが、
「カプグラ症候群」
と呼ばれるものだった。
ドッペルゲンガーというものは、
「SFの発想において、直接的な、もう一人の自分という発想」
であった。
そして、
「世の中には自分と似ている人間が三人はいる」
作品名:表裏の感覚による殺人事件 作家名:森本晃次