表裏の感覚による殺人事件
「実際に犯行を犯してしまうと、二人の犯人は、まったく接点がない」
ということを示さなければいけない。
ここで接点があるとすれば、
「実行犯が、被害者と面識があるのでは?」
と思わせるというものだ。
つまり。
「A=B、B=?」
であるがゆえに、
「A=C」
である。
という、三段論法と同じなのだ。
それぞれ、面識がないのであれば、実行犯と被害者が面識がないという証明をしたのと、高い確率で同じだということになるだろう。
「100%」
ということはありえないが、かなりの高い確率でも警察は疑わない。
特に日本の警察は、
「疑わしきは罰せず」
ということだからであろう。
そしてもう一ついえることは、
「最初に実行犯になってしまった方が、圧倒的に不利だ」
ということなるのだ。
つまり、
「二人が同時に犯行を犯すということは、完全犯罪ならしめる意味で、ありえないことである」
というのは、
「主犯に完璧なアリバイを作らなければいけないのに、同時に犯行を犯せば、
あるはずのアリバイを申し立てられない」
まさか、
「他の人を殺しにいったから、俺はその事件の犯人ではありえない」
などということが言えるはずがない。
だから、犯行のタイミングをずらず必要があり、しかも、それが、
「長ければ長いほど、二つの犯行が、別の犯罪である」
ということになるのだから、
「一気に片付ける」
ということはあり得ないといえるだろう。
「完全犯罪というものがどういうものなのか?」
ということから、
「犯罪者心理を考える」
ということになると、その考え方は、どんどん先にスライドしていくということになり、「それが、矛盾というものを増大させる」
ということになるのだろう。
つまり、
「先に実行犯になった方が不利だ」
というのは、
「実行犯になって殺した相手というのは、本来であれば、もう一人にとって、殺してほしい相手であり、この犯行を成功ならしめる」
ということで、
「犯罪を完璧なアリバイがあることで、疑われることはない」
ということだ。
そこまでであれば、
「その人にとっては、目的は達成された」
ということである。
ということは、
「何を無理して、相手のために、今度は自分が実行犯として、犯罪を犯さなければいけないということか?」
ということになるのである。
ここまでであれば、完全に、
「自分の目的は達成したわけだから、これ以上、何の無理をしないといけないか?」
ということになるのだ。
だとすれば、いくら約束とはいえ、ただの口約束。
いや、もし、
「書面を交わしていたとしても、それを実行しないといけない」
というわけではない。
そもそも、
「違法である契約は無効」
ということで、
「殺人罪として、刑法に記されていることは、もちろん、行えば違法」
ということなので、契約したとしても、それは無効なのだ。
それを考えると、
「そんな契約は無効」
と言い張ればいいだけである。
相手も、
「じゃあ、警察にいうぞ」
と言って、警察にいうと、自分が実行犯であるということに変わりはないわけで、
「自分が捕まって処罰される」
ということを分かっていて、それでも、警察にいうだろうか?
違法であっても、契約書面があれば、
「相手が主犯だ」
ということが分かるだろうが、証拠があるわけではない。
「危険を犯してまで、実行犯にならないだろう」
と言わればそれまでで、
「じゃあ、これが交換殺人で、もう一つの犯罪が計画されていた」
などと警察にいったら、どうなるか?
そうなると、
「もう一つの殺人計画を自分から白状する」
ということになり、
「さらなる罪の上乗せ」
ということになり、罪状が重たくなるということになるのだ。
数年の実刑で済んだものが、連続殺人ということになると、これを、
「悪質だ」
と判断されると、
「死刑」
ということにもなりかねないということである。
それを考えると、
「俺が犯人だ」
ということになるだろう。
もちろん、
「こうなったら、死刑になっても構わない」
という、やけっぱちになれば、それも考えられなくもない。
だが、その可能性は、ほぼ、ゼロに近いだろう。
「相手を殺しても、自分が処罰されたくない」
という思いからの、
「交換殺人」
というものなのだから、いくら、
「裏切られた相手が憎い」
と言っても、自首するまではしないだろう。
それくらいなら、
「一か八か」
ということで、普通に。
「自分が殺したい相手を葬る」
ということに走るのではないだろうか?
その相手に死んでもらわないと、
「自分が生きていくことができない」
と考えたからこそ、
「この計画を思いついた」
あるいは、
「この計画に乗った」
ということになるのだろう。
これが、
「交換殺人」
というものであり、他の犯罪や、トリックとは、その性質があまりにも異質であることから、
「リアルでは難しい」
あるいは、
「不可能だ」
と言われるのであった。
それが、
「最初の実行犯になってしまえば、事件はそこで終わりで、自分のためには、何もやっていないのと同じで、相手に裏切られた」
ということになることから。
「不可能だ」
と言われるゆえんなのであろう。
これが、
「心理的な矛盾」
ということになるのであろう。
普段の精神状態であれば、
「こんなことすぐに気づくはずなのに」
ということであろうが、
「人間というものは、切羽詰まった時であったり、追い詰められると、尋常な精神状態を保つことができなくなる」
ということになるのであろう。
特に、
「切羽詰まり、追い詰められたその先には、犯罪行為を行うしかない」
ということになった場合。
「先しか見えない」
ということになるだろう。
そんな時ほど、後ろを見ることで、冷静になるということでなければいけないはずなのに、それができないということは、
「自分にとって、何をどうしていいのか分からない」
ということになるであろう。
そういう意味では、
「完全犯罪」
というのは、
「甘い蜜のようなもので、麻薬のように、苦しみから、逃れたい」
と一心から、
「一度手を染めると、逃れることができない」
という状態になってしまうことであろう。
これに共犯がいると、お互いに、
「切羽詰まっての犯罪」
ということであり、結局は、どんなに計画をしても、
「お互いに、自分のことしか考えていない」
ということなので。
「都合がいい時は、歯車も噛み合うかも知れないが、少しでも都合が悪くなると、警察が追い詰めるまでもなく、犯罪者自らがボロを出す」
ということにもなりかねない。
つまりは、
「自分のことしか見えなくなると、次第に視界が減ってきて、すぐ横に敵がいても、その姿すら見えない」
ということになるだろう。
もっと言えば。
「都合の悪いものは見えなくなる」
ということであり、いわゆる、
「意識しない」
ということになるだろう。
「都合のいいこと、悪いこと」
それが、どういうことになるか?
作品名:表裏の感覚による殺人事件 作家名:森本晃次