表裏の感覚による殺人事件
というものを中心にした、
「大化の改新」
と呼ばれる時代。
さらには、中世においての、
「本能寺の変」
そして、
「封建制度から、今の時代に至る、日本の夜明けを危機にさらした」
といわれる、
「坂本龍馬暗殺事件」
と呼ばれるものが、
「日本の歴史上における三大事件」
といえるであろう。
これは、
「歴史の節目」
ということでも、大きな意味を持っているが、それだけではなく、
「謎多き」
という意味でも、注目される大事件だったといえるだろう。
もちろん、歴史というものには、そのような分岐点はたくさんあるが、そこに含まれている謎が深ければ深いほど、
「分岐点」
ということで、
「穴が大きい」
ということになるだろう。
ただ、そこに、実はもう一つの分岐点がある。
というのが、
「古代から中世に入る」
つまりは、
「律令制度の貴族や朝廷の社会から、中世における武家政治へという封建制度への移り変わり」
ということで、
「平家滅亡」
ということが、この場合は、
「謎ということで注目を受ける」
ということではないが、
「歴史の節目」
ということで、大事件の一つだといえるだろう。
時代として、
「平家滅亡」
というものは、
「他の節目の事件」
というものと同じような発想ができることになると考えられるからであった。
まずは、時系列に沿って考えていくのだが、この
「乙巳の変」
と呼ばれる事件というのは、
「それまでも、大和朝廷の中心であった蘇我氏が、映画を思いのままにしていた時代に起こったことだった」
蘇我氏というのは、厩戸王(聖徳太子)の時代から君臨していて、主に、
「仏教思想を日本に根付かせる」
という考え方だったのだ。
他の連中の意見として。
「国の宗教が古来からあるのに、新興宗教である、仏教の進出を快く思わない」
ということであった。
蘇我氏の方は、仏教の伝来とともに、
「貿易を行うことで、国を富ませる」
と考えていたので、
「対外政策は重要だ」
と思っていたのだ。
実際に、朝鮮半島との貿易も、半島にある3つの国である、
「新羅、百済、高句麗」
との、
「対等外交」
によって、貿易も盛んだったのだ。
そういう意味で、
「蘇我氏が栄えた」
というのも、
「蘇我氏の政策が功を奏している」
ということを証明しているというものだ。
だから、
「権勢を欲しいままにしていた蘇我氏」
というものを、
「出る杭は打たれる」
ということで、国家体制というものを、一つの一族が秀でてしまうと、妬みなどが起こることで、
「やつらは、国家転覆を狙っている」
などいう因縁をつけて、滅ぼそうとするということになるのだ。
それだけが、
「乙巳の変」
の原因だということにはならないだろうが、
「一つの大きな原因になった」
ということは当たり前のことであろう。
その時の蘇我氏の当主が、
「蘇我入鹿」
そして、
「乙巳の変」
を企んだのが、
「中臣鎌足と、中大兄皇子」
というものであった。
中臣鎌足は、蘇我入鹿と同じ学校だったが、身分の違いから、妬みがあった。
中大兄皇子とすれば、自分と同じ立場の皇太子であった、
「山背大兄王が滅ぼされた」
ということでの、危機感があった。
それを、中臣鎌足が狙ったことで、二人がクーデターを計画することになったのだ。
実際に、暗殺は成功し、蘇我氏の滅亡を図ることができたが、その後に行われた、
「大化の改新」
というものが、成功したというわけではなかった。
政治としては、
「せっかく、半島との対外政策は、対等外交でうまくいっていたものが、滅ぼされることになった百済に加担してしまったことで、日本の兵が半島に渡り、戦を行うことになった」
しかし、それが失敗し大敗を期したことで、大変なことになったのである。
そういう意味で、
「時代が100年さかのぼった」
とも、最近は言われるようになった。
そして、それまで、
「政府転覆を狙った蘇我入鹿は大罪人」
ということを歴史の中の常識であるかのように言われてきたが、今では、
「外交も、国内の政治も、国家の発展を目指した急進的な政策」
ということで成功していた。
と言われるようになったのだ。
そういう意味で、
「蘇我入鹿の汚名は返上された」
と言ってもいいだろう。
これも、
「時々の政府の思惑が働いていた」
ということから、
「えてして時代というのは、曲げられてしまうものだ」
と言ってもいいだろう。
これと、発想として似ているのが、
「平家の滅亡だった」
平家は、源氏のような、
「封建制度」
と言われる、
「土地の保障」
というものを、
「基本体制」
としたものではなかった。
元々、平家というものは、
「海賊退治」
という、
「海上航路の治安を守る」
ということで台頭してきたのだった。
実際に、当主である、清盛は、
「大陸との貿易で、財を成した」
ということであった。
当時の中国王朝は、
「宋の国」
だったので、
「日宋貿易」
と言われた。
だから、
「平家の時代」
となった時、都を今の神戸にあたる福原に移し、
「福原遷都」
を行ったのだ。
福原の港を新たに開発し。そこで、貿易を一手に握ることで、朝廷での地位をゆるぎないものとしたのだ。
それが、結局は、
「乙巳の変」
と同じことが起こることになった。
全国の平家に恨みを持つ武士や朝廷が、
「平家追討」
を行うことで、平家は滅亡し、
「土地を中心とした封建制度」
というものが生まれ、最近では、こちらも、
「時代が100年逆行した」
と言われるようになったのだった。
「本能寺の変」
で殺された織田信長、幕末に暗殺された坂本龍馬と、かつての、蘇我氏、平家と同じように、
「対外政策」
というものに力を入れたことで、暗殺されたということであったとすれば、それは、
「対外政策に力を入れると、打たれる」
ということになるのだろう。
明治維新後は、対外政策を中心とした時代だったので、かつての節目において、
「対外政策を妨げることで打たれた」
ということで歴史が成り立ってしまったということになれば、
「明治政府のやり方は、明治政府としては、推進すべきなのだろうが、歴史が許さないということはまずい」
ということになり、都合が悪いということで、
「敢えて、歴史認識を変える」
ということはできなかったのかも知れない。
しかも、
「乙巳の変」
以外であれば、
「明治政府の体制を妨げる要因になるかも知れない」
ということで、
「歴史認識を変える」
というわけにはいかなかったのかも知れない。
そういう意味で、
「歴史認識の安易な変化は、あまり望ましいことだとは言えない」
ということになるだろう。
特に今の時代では、
「政府の体制にそぐわない歴史は、ことごとく改ざんされてきた」
ということが、分かっているだけに、難しいところであろう。
それを、
「表裏の関係」
作品名:表裏の感覚による殺人事件 作家名:森本晃次