表裏の感覚による殺人事件
古代の律令制度の時代であっても、生活をしていくためには、
「禄」
というものが必要で、その土台になるのが、
「土地」
というものだった。
それを貴族は朝廷などが、独占し、自分たちの思うがままの平安京の政治だったことが、「武士のおこり」
から変わってきたのだった。
封建制度は、
「裏表」
という制度というわけではない。
裏と表があったとしても、そのバランスを保つということで、
「上下関係のバランス」
というものであった。
今の時代には、基本的に、昔のような、れっきとした
「上下関係」
というものは存在しない。
もちろん、残ってはいるが、それは、
「昔の名残」
というものであったり、
「社会の治安や平和を守るためには、確固たる秩序が必要」
ということで、バランスを保ち、
「クーデターが起こらない」
ということで、
「上からの押さえつけ」
というものは、ある程度必要だろう。
これが、
「徳川時代」
における、
「粛清」
であったり、
「士農工商」
と呼ばれる身分制度であったりするのだ。
確かに、武士による、
「無礼うち」
などというものが横行したことから、
「身分制度」
というものが、
「最悪な制度」
という意識になりがちであるが、それも、
「治安と平和のため」
ということであれば、それも仕方のないことなのかも知れない。
それが、明治以降の、
「大日本帝国」
という、
「天皇中心の中央集権国家」
というもので、その体制は、
「立憲君主制」
であったのだ。
明治政府の要人が、欧州各国の体制を勉強し、
「議会政治」
というものを取り入れたことでの、
「憲法制定」
「議院内閣制」
というものを確立していったのだ。
あくまでも、国家元首は、天皇であり、日本には、他国には類を見ないほどの長さを誇る、
「万世一系」
と言われる天皇の存在が、
「絶対的な帝国」
というものを作っているのであった。
今回殺された山口という男は、大学時代には、
「歴史の研究をしていた」
ということであった。
大学を卒業してからは、仕事が忙しいということで、なかなかそういう勉強から遠ざかっているということであったが、最近、また勉強を始めたということであった
それを知っている人は、ごく一部の知り合いだけだったということだが、
「大学時代に勉強した内容」
と、卒業してから興味を持った時代とでは、
「まったく正反対の時代だった」
と言ってもいいだろう。
大学時代に勉強した内容というのは、前述の、
「封建制度」
という、
「武士の時代」
だったのだ。
中世という時代としては比較的広範囲である世界であったが、それも、
「政治体制の変革」
ということで考えれば、時系列で理解していくことで、そこまで困難なことではないと思えたのであった。
「結構幅が広かったり、同じ武家、制度であっても、その時代時代で、考え方も違う」
というもので、それを
「今とはまったく違う過去の体制」
と考えるから、遠すぎることで、それぞれの距離が短く感じられ、幅の広さを感じることなく、
「限られた範囲が、全体的に見える」
と考えるようになったのであった。
それが、山口の、
「大学時代における歴史感覚」
だったのだ。
就職してから、しばらくは、
「仕事に集中することで、歴史の勉強はあまりしていなかった」
ということであったが、仕事にも慣れてくると、今度は、
「仕事が面白くない」
と感じるようになった。
「やっぱり俺は、勉強が似合っている」
ということで、30歳代後半くらいから、また歴史の本を読んだり、ネットで検索したりして、勉強を始めた。
学生時代までは、あまり興味がなかった。
というか、
「敬遠していた」
という、
「明治以降の大日本帝国」
というものに興味を持ち、
「研究という名の勉強をしていた」
のだった。
「封建制度」
というものに興味を持ったのは、
「群雄割拠」
と言われる戦国時代に特化した感覚があったからで、戦国時代はもちろんのこと、
「その前後の時代を、戦国時代を中心に、左右に見る」
という見方をしていたのだ。
今でこそ、
「戦国時代を中心にすることで、まるで鏡の世界を見ているようだ」
という発想。そして、
「それらが、表裏になっている」
という意識を持つことで、自分が、封建制度のどこに引っかかり、
「特に戦国時代というものに興味を持ったのか?」
ということが分かってきたような気がしたのだ。
戦国時代においても、
「歴史が写す鏡」
であったり、
「表裏の関係」
というものが見えてくると感じると、
「表裏と鏡」
という関係が、歴史だけではなく、他のものにも分かってくるような気がしてくるのだった。
歴史研究学者
特に、封建制度から、中央集権国家への、
「急激な変化」
ということで、
「幕末の動乱」
の時代から、
「新国家の建設」
までには、封建制度の解体というものが必要不可欠であった。
「廃刀令」
「廃城令」
「版籍奉還」
「廃藩置県」
などと、かつての包茎制度を片っ端からぶち壊す必要があるのだ。
その弊害もかなりあった。
身分制度によって、保たれていた平和の均衡だったが、それがなくなることで、
「武家の反乱」
というものが各地で起こった。
結果、それを乗り越えていくことで、明治政府は、徐々に近代化を行っていき、明治維新から、二十数年経って、やっと、
「立憲君主国」
ということでの、
「大日本帝国建国」
ということになったのだ。
「外国に追い付け追い越せ」
ということで、
「富国強制」
「殖産興業」
などというスローガンで、
「国を富ませて、軍による国防」
というものを確立することで、世界の列強に名を連ねる道ができていったというわけである。
その時代になると、
「封建制度」
という時代は、すでに、
「過去のもの」
ということになっているだろう。
時代というものが、歴史の節目として、
「大変革を引き起こす」
というものであるとすれば、
「日本という国で、何度、そんな分岐点があったということであろうか」
ただ、
「歴史というものは、時系列によって、進んでは来ているが、果たして。逆行していないといえるのであろうか?」
といえるのであった。
「古代から現代までに、時代の節目であったり、ターニングポイントがかなりあったはずだが、それを、進化だといえるものなのか?」
と考えると、その節目の中には、
「時代を逆行した」
という出来事もあるだろう。
そういう節目に関しては、いろいろな憶測であったり、個性的なっ考え方もあるだろうから、一概には言えず。
「諸説ある」
という考え方で、言われてきたこともあるというものだ。
時代時代においての、
「歴史を変革させたその事件において、大きな謎とされるものがあり、研究され続けてきているというのも、当たり前のこと」
だといえるだろう。
その大きなものとして、古代にあった、
「乙巳の変」
作品名:表裏の感覚による殺人事件 作家名:森本晃次