表裏の感覚による殺人事件
ということで、自分なりに研究し、それを、大学の研究所に送ったのが、殺された山口だったということである。
そんな歴史認識というものが、山口の中で、以前から、
「小説のジャンルの中の、探偵小説を見ているような発想で考えるようになった」
ということであった。
いろいろなトリックであったり、謎のようなものを考えていると、どうしても、歴史認識を切り離して考えることはできないという気持ちになっていたのだった。
今回の事件において、刑事が、
「何か裏表がどうしても気になる」
ということを考えると、
「そこにあるのは、被害者である山口という男が、仕事以外で、歴史というものを気にしていて、自分なりの論文形式を作ることからなのか、その頃から、趣味として、小説を書くということを考えるようになる」
ということになると、
「表裏の関係」
というものが切っても切り離せなくなり、
「時系列」
ということを考えてしまい、
「SF小説的な発想が出てきてしまった」
としても、それは無理もないということになるだろう。
大団円
被害者の山口という男、以前、警察から、
「ストーカーではないか?」
ということで、事情聴取を受けたことがあるという事実が残っていた。
もちろん、そんなことをするはずもなかったが、その時、本人は、別に言い訳はしなかった。
しかし、日本の場合。
「疑わしくは罰せず」
という発想があることで、
「証拠はない」
と、
「なぜ言い訳をしないのかということには疑問を残したが、だからと言って、一方的に疑うというのも、おかしなものであった」
それは、山口が、
「二重人格だ」
という自覚があったからだ。
それこそ、
「ジキルとハイド」
のように、
「表の自分が知らない間に、ハイド氏が出てきたのではないか?」
と思うと、自分が表に出るのは怖いと、表に出ているジキル博士が感じるのであった。
そもそも、自分の中に、
「ジキルとハイドがいる」
ということは分かっていたが、
「実際に普段表に出ているのは、本当にジキル博士なのだろうか?」
と思うのだった。
「勧善懲悪な自分だから、表に出ているのは、善人であるジキル博士だ」
ということになるのだろう。
ただ、それは、
「自分の中の理屈であって、何ともいえない」
ただ、山口という男が、二重人格であるということは、
「自他ともに認める」
ということであった。
そして、山口は自分の中で、
「ジキル博士の中で、ハイド氏が宿っていて」
逆に、
「ハイド氏の中にジキル博士が宿っているのではないか?」
と考えるようになった。
そして、それが、
「合わせ鏡」
のようなもので、その合わせ鏡というものが、
「永遠である」
ということの証明だと考えるようになった。
だから、その永遠というものの理屈として、
「限りなくゼロに近いもの」
つまり、
「ゼロになり切れないもの」
ということで決まっているもの、それが、
「自分がいつまで生きるか?」
ということを、
「永遠の謎」
とすることで、
「未来永劫」
という発想が生まれると考えていたのだった。
だから、
「世の中には、裏があり表がある」
と思ったのだ。
それを証明する形で、自分の中にある、
「ジキルとハイド」
というものを感じていた。
そして、そのどちらかが、どちらかの存在を知った時点で、それまで言われている、
「人間としてのタブーを破ることができる」
というものだった。
それが何かというと、
「自殺」
というものであった。
昔のキリシタンは、
「人を殺めてはいけない」
という十戒から、
「それは、自分を殺す自殺であっても同じことだ」
ということであった。
しかし、それは、自分が一人だと思うと、
「自分で自分を葬るという勇気が持てない」
ということから、自殺はできない。
つまり、
「リスカのように、ためらい傷ができるだけで、死ぬことはできない」
ということになるが、自分の中の、
「ジキルとハイドの存在をしることで、自分を葬ることができるようになった」
ということであった。
それは、あくまでも、その人の勝手な理屈であるが、
「その人の発想も行動も、本来であれば、その人のものだから、邪魔することはできない」
ということだと考えると、
「自殺の何が悪いのか?」
ということであろう。
ということであれば、
「自殺することも許されない」
というのは、
「自殺する勇気がない」
ということへの、言い訳の一つではないだろうか?」
山口は自分の二重人格性と、表裏の関係を理解し、
「自殺したい」
と思ったことから。
「俺はこれから自殺をするんだ」
と感じ、そして、その思いを完遂したのではないだろうか?
あくまでも、
「人生というものは、その結果が出たことに関しては、自分が考えていること、してきたことの結果」
ということであり。
「それを自由ということで考えていいものだといえるのだろうか?」
と考えるのであった。
このことは、事件に携わった人皆が、一度は頭に思い浮かべたことであったが、
「果たしてその発想が正しいかどうか?」
というのは、頭に思い浮かべてから、消えるまで、どれほどの時間がかかったかで決まるのだ。
山口が別人のコートを着ていたわけではなく、これは、「本当は自分の中にいるはずの人間を、表に出したいというせめてもの抵抗ということで、出したかったのであろう。
ほとんどの人は、記憶に残らないくらいの、一瞬のことだったに違いないからであった。
( 完 )
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作品名:表裏の感覚による殺人事件 作家名:森本晃次