知恵と本能
「決して、対面になっている部屋の扉が、正面となっているわけではなく、よく見ると、部屋の左右になるように、交互に作られていた」
ということであった。
だから、部屋の向こう側は決して扉ということではない造りになっていて、それは、別に、
「何かの作為はないのかも知れない」
のだが、
「本当にそうだろうか?」
と疑いたくなっても仕方がないだろう。
それが、
「ただでさえ細長い通路が、さらに狭く感じられ。それだけ奥行きがあるのではないか?」
という錯覚に見舞われる結果を催すのであった。
しかも、通路に敷かれた真っ赤なカーペットが、奥に行けば行くほど、暗く感じられ、深紅を強調しているのであった。
奥の部屋にいくほど、
「身分は高くなっている」
ということで、手前の半分くらいは、
「女中部屋」
となっていたのだ。
かつての主人というものは、かなりの、
「性豪」
ということで、
「毎日、何人も相手をする」
というほどだったという。
それこそ、
「無限で限りのない」
という言葉が一番似合うという人間なのだろう。
そんな長局の中でも、
「身分が高い」
と呼ばれる女性になればなるほど、旦那の、
「悪趣味が、直接表現される」
というところもないだろう。
悪趣味として、一番奥の部屋は、何と、
「座敷牢「になっている」
ということである。
今では、
「座敷牢というのは、撤廃されている」
ということでドラマの中では紹介されていたので、実際の牢はなかったが、柱は昔のまま残っていて。その残像が却って、不気味さを演出していたのだった。
「パッと見では分からないが、改まって説明されると、顔をしかめたくなるくらいの不気味さが、さらに、妖艶さを醸しだしていた」
そして、次の部屋にあるのが、合わせ鏡のような仕掛けだった。
その前は、
「部屋の細かい部分に、微妙な角度をつけて、その境目に当たるところの一つ一つに鏡を埋め込む」
という
「合わせ鏡どころではない」
という作り方で作られていた。
その部屋が、最初は、
「一難最高級の身分の高い女性が入っていたが、すぐに、精神に異常をきたし、すぐに、入院となった」
ということで、別の人をあてがったが、結局、その日意図も同じであった。
「こんな部屋であれば、誰でも同じことが起こる」
というものであるが、旦那はそんなことは気にもしていない。
女が気がふれた」
と分かっていても、
「別に関係ない」
というほど、
「人情」
というものには、感覚がマヒした男だった。
しかも、それを、
「わしは、他の人と違う性格であり、このような性格を持ち合わせたことから、成功したんだ」
と思っていた。
確かに、その言葉に嘘はないかも知れない。
人によっては、
「他の人と違ったところがあるから、成功するんだ」
と思っている人は少なくない。
しかも、
「英雄色を好む」
というではないか。
封建的な考えこそが、成功をもたらす」
という考えを持っている人がたくさんいるのも分かるというもので、
「実際にそういう時代があったのかも知れない」
と思うのだ。
「自己失踪」と「未完成」
特に戦前などの。
「大日本帝国」
の時代は、
「男尊女卑」
というものは当たり前のような時代だった。
これは日本に限ったことではないかも知れないが。特に日本は、ひどかったのかも知れない。
というのも、旧刑法の中にはあったが、新憲法発布の時点で、刑法から削除されたものがあった。
それが、
「姦通罪」
と呼ばれるものであった。
この法律は、
「結婚している人が、他の異性と姦通した」
というもので、今の時代では、全世界でも、その法律があったところは、削除されているようであった。
確かに、この法律の撤廃は、
「全世界的に見ても早かった」
といえるのだが、実際には、そういうことではなかった。
というのが、
「最初から、法律的に、他の国に比べて、異常だった」
と言ってもいいだろう。
「不公平であり、法の下の平等」
という憲法の条文に、明らかに違反していたのだ。
それが、
「男尊女卑」
に当たると言われる、
「理不尽でしかない」
という法律だったのだ。
他の国に例のないこの法律は。
「男性が姦通を働いても、罪にはならないが、女性が姦通を働いたら罪にんある」
というもので、明らかに、
「法の下の平等」
というものに違反していた。
ということである。
そんな姦通罪のあった日本なので、
「こんな封建的な社会」
というものが、戦前くらいの時代にあっても、無理もないということであろう。
その小説の舞台は、
「戦後すぐくらいの世界」
ということで、憲法改正が行われ、財閥が解体ということになったことで、この家の主も没落していった。
だから、屋敷は、売りに出されて、旅館として営業を始めようというところで、起こった殺人事件をテーマとした、
「探偵小説」
だったのだ。
さすがに、戦後の状態で、
「そこまで封建的で、遊郭のような家が、存在していたのか?」
ということは分からないが、
「戦争が終わって、その混乱期、何とか、屋敷を持っていられる状態」
ということであったが、この事件が没落に拍車をかけ、結局、
「こんな呪わしい家は、畳んだ方がいいだ」
ということであったが、その事件というものが、
「遺産相続」
ということが絡んでいたので、その残酷さというのは、
「過去から脈々と続く、恐ろしい時代」
を反映しているようで、見方によっては、
「座敷牢や、鏡の部屋」
というのは、
「当たり前のことだった」
と言ってもいいだろう。
「歪な鏡」
という部屋で、かなりの精神異常が出たということで、まわりは、必至に止めた。
しかし、旦那は、こういうことを思いつくだけに、
「こんな鏡の仕掛けをすれば、普通なら耐えられず、気が狂ってしまうことであろう」
ということは。分かっていた。
たぶん、
「わしがそれくらいのこと、思いつかないと思うか」
と、注進する人間を、怒鳴り散らすところであろう。
そして、怒鳴り散らしたすぐ後に、
「不気味な笑み」
というものを浮かべるに違いない。
それを考えると、
「この化け物」
と思う人も多く。そんな人に従わなければいけないというのが、
「大日本帝国」
という体制の下の社会だったということになるのだ。
実際に、
「奇妙な鏡の部屋は、さすがにまずい」
ということで、
「じゃあ、合わせ鏡にしよう」
と、旦那の、
「ツルの一声」
だった。
旦那とすれば、
「たぶん、誰にも耐えられないだろうから、取り壊すことになるかも知れない」
というのは分かっていたことで、
「もしダメなら」
ということで、
「次の策を考えていた」
というのは、当たり前のことであろう。
だから、それが、
「合わせ鏡」
というもので、
「待ってました」
というばかりだったのではないだろうか。
確かに、
「合わせ鏡」
というものが、どういう効果をもらえらすかは分かっていた。