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知恵と本能

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 という場面を見たりしたものだった。
 だから、結婚式に招かれた女性の中には、
「招待されたのをいいことに、これを自分の婚活に使おう」
 と狙っている人もいるだろう。
 だが、それが悪いということはない。
 むしろ、
「次の人に受け継ぐ儀式」
 ということだと考えれば、
「結婚式や披露宴」
 というのは、決して、参加する方にも悪いというわけではないのだ。
 ただ、斎藤は、
「俺は、もう結婚しようとは思わないけどな」
 と、年齢を重ねるごとに
「諦めの心境」
 というよりも、
「結婚しない」
 ということが当たり前のように感じるようになってきたことで、
「一人の方が気が楽だ」
 と考えるようになったのは、無理もないということであろう。
 それは、きっと、
「同い年の連中と、少なからず同じ心境であろう」
 ということであった。
 だが、
「この年になって、すっかり忘れていた胸のときめき」
 のようなものが思い出された。
 実際に、
「一人の方が気が楽だ」
 ということを考えているわけだが、
「若い頃にときめきを感じたことがなかったわけではなかった」
 と思った。
 就職してからは、そんなことはなかったが、学生時代などでは、
「出会いがあるといいな」
 と思っていて、時には、積極的になったものだった。
 しかし、男女の気持ちというものが、よく分からなかった斎藤は、
「たぶん、相手が望むことはまったく分かっているわけではなく。自分が何をしたいのか?」
 ということが分かっていなかったのだと思った。
 相手に気を遣っているつもりで、自分の考え方をしっかり示そうとしなかったということで、相手が自分に対して
「この人は何を考えているんだろう?」
 と思わせるに違いなかったのだ。
 それに、大学時代は、まだ童貞だった。
 だから、気持ちとしては、
「女の子とのセックス」
 ということに対しての憧れのようなものが強く、
「恋愛というものは、セックスと同意語だ」
 というくらいに思っていたのだ。
 だから、女性から、
「あの人の視線が怖い」
 と言われていた。
「彼女がほしい」
 とは思ったが、
「視線が怖い」
 と言われるのは不本意であり、「だったら、視線を感じさせないように、もし目が合ったとすれば、
「視線があった」
 というわけではなく、
「目線があった」
 と感じさせる方が、相手に気持ち悪いという思いをさせることはないだろう。
 と考えるようになったのだ。
 だから、なるべく目線はそらそうとした。
 そんな斎藤に彼女などできるわけもなく、気が付けば、
「40歳代後半」
 となったところで、
「もう、結婚なんかしない」
 と思うようになっていたのだろう。
 昔でいえば、
「結婚適齢期」
 などと呼ばれる時代も、気づかずに通り越した。
 子供の頃の、
「思春期」
 というものは、自分でも意識があり、
「子供が大人になる過程」
 というものを、身に染みて感じたものだった。
 だから、
「中学時代というのは、特別な時期だった」
 という意識があり、どちらかというと、あまりいい意識は残っていなかったので、
「もし人生をやり直すことができるとすれば、どこなのか?」
 と聞かれたとして、
「絶対に答えがほしい」
 ということであれば、
「思春期前」
 と答えるかも知れない。
 ただ、それは、
「どうしても」
 と言われた場合であり、実際には、
「その時に戻りたいとは思わない」
 ということで、
「やり直したい」
 ということを考えるのであれば、
「却って、その時代には戻りたくない」
 と答えるであろう。
 そもそも、
「やり直したい」
 という感覚は、とっくの昔になくなっていた。
 他の人にいわせると、
「年を取ればとるほど、若い頃に戻って、人生をやり直したい」
 と思うものではないか?
 ということを言っていたが、斎藤は、
「そんなことは思わない」
 と考えるようになったのだ。
「人生をやり直したい」
 と思うのは、
「やり直したい」
 という確固たる場面が分かっていて、さらに、
「どうすればいいのか?」
 という手段も分かっているということであれば、
「やり直す」
 ということに意義はあるというものだが、
「その時点が分からない」
 ということであれば、その方法も分かるわけではないので、
「戻る意味というのはない」
 ということになるであろう。
 それを思えば。
「やり直せる人生であれば、何が楽しい」
 ということになるのであろう。
「人生は一度きり、だから楽しめばいい」
 という人がいる。
「当たり前のことではないか?」
 といって、苦笑いをしてしまいそうになるが、
 そういう人に限って、
「やり直しがきくなら、やり直したい」
 と思っているかも知れない。
 逆にいえば、
「やり直しが利かない」
 だからこそ、
「人生は一度きり」
 ということで、
「楽しむしかない」
 という結論になるのだろう。
 もっといえば、
「知っていれば本当にいいのか?」
 ということで、だったら、
「いつ死ぬかということが分かっていれば、その時までに、計画を立てて生きればいい」
 ということで、人生計画は完璧だといえるだろうか。
 言ってみれば、
「人それぞれ考え方も違うので、自分の考えだけで世の中を渡っていけるわけもない」
 ということで、それが、
「人は一人では生きていけない」
 ということで、逆にいえば、
「一人で生きていくためには、まわりを気にしないといけない」
 ということになるのであろう。
 彼女との目線が合った時、斎藤は、
「目線が合った」
 というわけではなく、
「視線が合った」
 と感じたのだ。
 しかし、それは、何か違和感があった。
 最初は分からなかったが、
「お互いに同じものを見ている」
 ということから視線が合ったという意識ではない。
 どちらかというと、
「同じものに目が留まった」
 という感覚だった。
 それを感じたのは、彼女の視線からであった。
 それまでの彼女の視線は、明らかに、斎藤に対してのもので、斎藤が、ドキドキしてしまうようなものだったのに、目が合ってから、彼女は、何か、
「恐怖に近いもの」
 を感じていると思えたのだ。
 それが
「自分に対してではない」
 ということを、斎藤が感じたから、
 というよりも、
「自分も何か彼女を見ているようで、その前に、違うものを見たような気がして、不気味だったのだ」
 だが、先に、彼女と視線を合わせたくて、彼女を見てしまったことで、その、
「恐怖の正体」
 というものを見ることができなかった。
 それを後悔したわけだが、その理由というのが、
「せっかく目が合ったにもかかわらず、彼女が、その視線に対して、不気味な視線を浴びせたからだ」
 ということであった。
 彼女がこちらに向けた、
「恐怖の目線」
 というものを、最初は、
「不気味な視線だ」
 と感じたのだった。
 そして、その視線の先が、
「お互いに、最初から見ていたものではない」
 ということは分かっていた。
「まったく違うところを見ているのだ」
作品名:知恵と本能 作家名:森本晃次