時間の三すくみ
「本当に調べたのか?」
と思うくらいで、ただそれだけ、
「どの時間に電話をしても、本当に、皆満車だ」
ということになっているのだろう。
最近であれば、スマホのアプリで、
「配車アプリ」
というものがあるが、
それも、ほとんど反応しないくらい、
「近くにいても、予約者であったり、乗車済み」
ということになるのだろう。
これが、タクシーの
「人手不足問題」
ということで、
「以前から、言われていたことではあっただろうが、まさか、こんなに早いとは思ってもいなかっただろう」
それが、
「パンデミックによる影響」
ということになり、
「仕方がないことだ」
として済ませられるだろうか。
物流というのは、
「宅配」
や、
「タクシー」
だけではない。
それ以外にもたくさんの物流というものがあり、むしろ、
「他の業界の方が大きな問題」
といえるだろう。
つまりは、そのうちに、
「公共交通機関」
というものが、そのターゲットとなり、
「大きな問題」
として、露呈することになるだろう。
ドッペルゲンガー
そんな人手不足の問題からか、
「タクシーはほとんどが満車であり、忙しい」
ということになる。
その日、友人と飲みに行った後、彼と乗り合いのような形で、駅までタクシーを使うと考えた。
彼が宿泊しているビジネスホテルに、友人をおろして、自分はそのまま、駅まで走らせる。
この方法は、今回初めてやったわけではなく、今までに何度もやっていた。
なぜなら、
「料金の問題が解決する」
ということからだった。
二人が、それぞれ違うところで降りるということであれば、本来なら、それぞれ値段が違うわけなので、難しいが、
「いいよ、割り勘で」
ということにしておけば、
「次回の時、払った分だけ、飲み代から差し引く」
ということにしていたが、
「それも面倒くさい」
「じゃあ、どうすればいいのか?」
ということになるのだが、
「じゃあ、交互に払うことにすればいい」
ということで、領収書をもらっておいて、
「最初に秋月が払ったのであれば、次回は、その分を友人が持つ」
ということにすれば、問題ない。
ということであった。
「ほぼ毎回値段は変わりない」
ということなので、それが一番よかった。
それに、
「飲み屋からホテルまでのタクシー代を、会社に交通費という形で請求することができるわけもないので、これでいい」
ということになったのだ。
ただ、たまに、疲れた秋月が、そのまま家まで乗って帰ることもあるが、その時は、支払ってもらう番であれば、
「いつもの金額」
と決めていたのであった。
だから、今回も飲んだあと、友人をホテルまで送った後で、その日は、少し疲れていたこともあって、家の近くまでのっけてもらうことにしたのだった。
秋月の家は、
「閑静な住宅街の一角にあるマンションだった」
「駅から15分」
ということで、
「こんな駅近くに閑静な住宅街があるなんて」
と思われるかも知れないが、これは発想が逆であり、
「そもそも、近くの駅は、実際には遠かったのだが、その駅と次の駅との間で、結構な距離があり、その間に、この近くに閑静な住宅街がでくたことで、最近になって、新駅ができたということである」
まだまだ、最初は乗客も少なかったが、最近では少しずつ増えてきて、鉄道会社としては、
「順調に赤字回収ができている」
と見込んでいるようだった。
ただ、近所に駅ができたことで、便利になった分、家賃が少し上がってしまった。
それでも、
「便利な分、まあいいか」
ということになったのだ。
秋月は、車を持っておらず、すべてにおいて、公共交通機関を利用しているということで、
「駅に近い」
ということはありがたかった。
しかも、車がない分、駐車場代がいらないということで、他の人に比べれば、家賃も安いということで、少々上がっても、気にならないのだった。
逆に、車での移動がほとんどの人は、不満ではないだろうか?
「別に駅ができたとしても、便利でもなんでもない」
ということで、その連中には、何ら利益がないどころか、
「却って迷惑だ」
と思っていることだろう。
ただ、車を利用しているのは、ほど旦那であり、旦那が通勤に使っているということであれば、奥さんや子供は、
「公共交通機関を利用している」
ということになるので、
「家族全体」
ということを考えれば、
「駅ができたことはありがたい」
と言えるであろう。
しかも、家賃が高くなったとして、給料などからのやりくりをしているのが、奥さんだということになれば、その対応は奥さんがするだろう。
そうなると、
「別に、俺に何かの禍が降りかかるということもないだろう」
と思える。
もっとも、
「家賃が上がった分、あなたのお小遣いを、高くなった分、減らすわね」
などということになると、これはたまったものではない。
しかし、すべてを旦那の小遣いに充当するというのはあんまりということで、少しは他にも充てるだろう。
さすがにそれはないとすれば、そこまで気に病むこともないといってもいいだろう。
そんなところに住んでいる秋月だったが、その日は、久しぶりに飲んだという意識はなかったが、時間としては、いつもよりも遅い時間になっていた。
「楽しい時は、時間が経つのが早い」
と言われるが、
「その日は、そんな何か楽しい話をした」
というわけではなかった。
ただ、何か、胸騒ぎのようなものがあったというのか、気が付けば、
「結構な時間が過ぎていた」
といってもいいだろう。
というのも、秋月は、
「時々、胸騒ぎのようなものがある」
ということであるが、それが、
「虫の知らせのようなものではないか?」
と考えるのだが、それを最近は、
「オカルト的な発想」
からではないか?
と感じるのだった、
特に最近感じるのは、
「もう一人の自分が、いるような気がする」
ということであった。
「ドッペルゲンガー」
という言葉をよく聞くのであるが、
「それは、もう一人の自分という存在については聴いたことはあったが、ドッペルゲンガーという言葉には、聞いたのは、最近になってのことであった。
知り合いなどに、
「ドッペルゲンガーって知ってるか?」
と聞くと、
「ああ知ってる」
と答える人がほとんどだった。
それを知るうちに、
「知らなかったのは俺だけか?」
と思うようになると、
「これは恥ずかしい」
と感じた。
だから、本を買って見たり。。ネットで検索などをして、その意味を調べたものだった。
「世の中には、自分に似た人が三人はいる」
と言われているのは知っていたが、
「ドッペルゲンガー」
というのは、その、
「よく似た人」
ということではなく、
「まさに自分本人であり、もう一人の自分と同じことだ」
というのである。
ということは、
「もう一人の自分を、他の人が見た」
ということになるのだろう。
さらに調べてみると、
「都市伝説のようなものがある」
ということで、