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時間の三すくみ

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「ドッペルゲンガーを見ると、近いうちに、死ぬ」
 と言われているようだった。
 これだけでは、
「なんだ、そんなの迷信じゃないか?」
 ということになるのだが、
「過去に、そういう事例が数多くある」
 ということであれば、無視もできないというもの。
 しかも、その逸話が残っているのは、昔の偉人が多かったりすることから、
「ただの迷信」
 と言えなくなってしまったのだ。
「過去の偉人の伝説が、これ見よがしに、具体例として残っている」
 というのであれば、
「ただの都市伝説」
 ということで片付けられるものではない。
 それについて、いろいろと諸説はあるようだ。
 それは、
「どうして、ドッペルゲンガーを見ると死ぬのか?」
 ということである。
 一番説得力があるのは、
「そもそも、ドッペルゲンガーというのは、錯覚であり、その錯覚は、一種の精神疾患が見せるものだ」
 ということであれば、
「見た人が死んだ」
 というのは、
「その人の病気が、死に至る寸前まで来ていたことで、錯覚を見せたのだ」
 ということになれば、
「死んだのは、病気のせいだ」
 ということで、しっくりとくるのではないか?
 ということである。
 それ以外には、
「ドッペルゲンガーというのは、SFでいうところの、パラレルワールドにいるはずの自分を見た」
 ということで、
「見れるはずのないものを見た」
 という、一種のパラドックスに引っかかったことで、
「同一次元にいるもう一人の自分が消された」
 ということになるのであろう。
 もっといえば、
「実際に、消された方が、実はもう一人の自分だった」
 ということで、そう考えると、
「この世にいる人のほとんどは、消えてなくなるのではないか?」
 と思うと、
「説得力に若干欠ける」
 といえるのではないだろうか?
 飲んで帰ったその日は、時間的にも、深夜時間帯だったので、
「タクシー料金も2割増し」
 ということであった
 そもそも、タクシー料金というのは、ここ4年くらいの間に、2回も上がり、初乗り料金だけでも、50円も上がったということで、結構タクシー利用者には、死活問題ということであろう、
 何といっても、
「最近の物価高で、どんどん、モノの値が上がっていく」
 ということで、経済は大変なことになっているのであった。
 政府は、物価高に対して。大した政策を打つわけではなく、
「会社に丸投げ」
 という形で、
「物価上昇の分、給料を上げろ」
 といっているだけだった。
 もっとも、企業も、
「金があるくせに、社員に還元しない」
 ということが大きな問題ではあった。
 いわゆる、
「内部留保」
 というものであるが、
「それが悪い」
 ということには決してならないということであった。
 というのも、
「内部留保があるおかげで、あからさまなリストラを行うこともなく、会社経営ができる」
 ということであり、何といっても、
「会社が倒産しない」
 ということになるのだ。
 会社が倒産してしまえば、
「リストラされなかった」
 といっても、その母体である会社がないのだから、すでに、路頭に迷ってしまうということになるのだった、
 そういう意味で、
「内部留保」
 というものが悪いとは決していえないだろう。
 しいていうとすれば、
「必要悪」
 といっていいかも知れない。
 ただ、それでも、
「日本の内部留保は、国家予算よりもある」
 と言われているほどで、会社内で少々社員に還元するくらいは、できるのではないかと思えるのだった。
 今の時代において、
「日本型の内部留保がいいのか、海外のように、社員に還元する方がいいのか?」
 というのは難しい問題である。
 そもそも、
「内部留保」
 という考え方は、昔の、
「日本の社会のあり方」
 というところからきているのかも知れない。
 というのも、昔の日本企業というのは、
「終身雇用」
 というものと、
「年功序列」
 という考え方が、根底にあり、海外のような、
「実力主義」
 というものではなかった。
 昔の人は、
「才能がある人が適正に評価されないのはおかしい」
 ということを言っていたが、
「今の時代では、それが当たり前」
 ということになり、
「いくら長年勤めていたとしても、採算性のない仕事しかしていなければ、平のまま」
 ということになったり、
「優秀な社員は、引き抜きにあって、他の会社に移る」
 という、
「ヘッドハンティング」
 というものが、当たり前に行われている。
 その分、
「必要のない社員は、リストラ」
 ということになり、
「情け容赦のない社会」
 ということになったのだ。
 だから、以前であれば、
「入った会社で、定年まで勤め上げるのが当たり前だった」
 というものが、今であれば
「どれだけの仕事をして。経験を重ねたかということが大切なのであった」
 きっと、
「会社中心から、個人中心」
 ということになったからであり、それが、本来の社会の姿なのかも知れないと感じさせる時代になったのだ。
 それでも、何とか今の時代を生き抜いてきたが、どうしようもない問題も残っていた。
 その一つが、
「少子高齢化問題」
 というもので、
「仕事で得た収入から、年金という形で、税金のように毎月収めているものがある」
 ということだが、それは、
「自分たちが定年を迎えてから、暮らしていくためのお金」
 ということで、要するに、
「国に積み立てている」
 というお金である。
 つまり、
「自分たちが稼いだ金」
 ということで、定年になれば、
「もらえるお金」
 ということで、年金支給が始まるのだが、それが、どういうわけか、足らなくなってきていて、
「お金がもらえるのは、定年退職後の5年後」
 というのが、当たり前になってきている。
 しかも、そのもらえる額というのが、それまで働いていた額の、
「半分以下」
 ということで、
「これじゃあ、まるで姥捨て山じゃないか」
 ということになるのだ。
 それは、あくまでも、
「今の時代」
 ということで、さらに、
「少子高齢化」
 という問題が続くと、
「何十年後には、年金を国に納めても、それが返ってくるかどうか分からない」
 という時代になってきた。
 ということである。
 だから、政府の対策とすれば、
「高齢者も、死ぬまで働け」
 ということで、何とか、
「年金制度」
 を保たせようとしているのか、それとも、
「年金制度ではなく、定年制度というものをなくさせよう」
 としているということなのか、それを考えると、
「税金など、誰が納めるか?」
 という人の気持ちもよくわかるというものだ。
「政府などに頼らず、自分のことが自分でしないと」
 という時代になると、それこそ、政府無用論などというのが、当たり前に出てくることになるのかも知れない。
 タクシーに乗るのは、いつもというわけではない。
 確かに、
「贅沢だ」
 ということになるのだろうが、
「冷静に考えれば、贅沢ではない」
 と思うのだ。
作品名:時間の三すくみ 作家名:森本晃次