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時間の三すくみ

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 といってもいいかも知れない。
 人間が、
「ロボット開発」
 というものを考える時、今の時代であっても、まだ、
「単純な動きをする」
 という、
「一定のことを繰り返すだけのロボットを開発する」
 ということまではできているが、それ以上の、つまり、
「人工知能を搭載し、自己判断によって動くロボットが開発されていない」
 ということになる。
 これには、二つの大きな理由があるのだが、それが、
「ロボット工学三原則」
 と呼ばれるものと、
「フレーム問題」
 というものの二つであった。
「ロボット工学三原則」
 というものは、
「フランケンシュタイン症候群」
 についての戒めのようなもので、
「ロボットが、勝手な判断で、人間に危害を加えたり、命令に背いたりすれば、大変なことだ」
 ということで、
「その意識をロボットの人工知能に埋め込む」
 ということである。
 つまり、
「自らの意識で、ロボット三原則というものを守る」
 ということを考えさせるということであり、
「ただ、守っている」
 というだけでは、ダメだということになるのではないだろうか。
 そして、もう一つの、
「フレーム問題」
 というのは、まさに前述の問題としてであり、
「次の瞬間に無限に広がっている可能性をいかに判断し、行動することができるか?」
 ということである。
 知識だけを詰め込んでも、それに対して判断できる力がなければ、
「ロボットというのは、動けない」
 ということになる。
 何といっても、無限に広がる可能性の中から瞬時に判断するということは、理論的に不可能だ。
「可能性は無限なのだから、どこで終わりなのかという判断がつくはずがない」
 これは人間でも同じであろう。
 だとすれば、
「人間や動物には、ロボットにはない何かが存在している」
 ということになる。
 それは、前述の本能というものではないだろうか?
 となると、
「ロボットが人工知能によって動く」
 ということであるなら、ロボットの中に、
「人口本能」
 というものが必要だということになる。
 それは、
「無意識のうちにできる」
 ということであり、人間のように、
「都合のいい考え」
 というものが浮かんでこなければ、
「瞬時の判断」
 というものが、
「本能からきている」
 ということを理解したうえで、そこで考えの結論とすることだろう。
 しかし、もし、ロボットが、
「自分の判断が、本能によるものではなく、判断ができたからだ」
 と思ったとすれば、思考が、
「人間に近いもの」
 ということになるだろう。
 そうなると、人間のように、
「ロボットこそが、唯一の高等な知能を持っていると、勝手に思い込み、都合よく判断する」
 ということで、
「人間を支配しよう」
 と考えるようになったとすれば、それこそ、
「フランケンシュタイン症候群」
 ということになってしまう。
「それが一番危険だ」
 ということで、出てくるのが、
「ロボット工学三原則」
 というものである。
 しかし、この三原則というものは、最初から組み込んでおいて、さらに、
「フレーム問題の解決策」
 ということで、
「人口本能」
 と
「人工知能」
 の二つによって、人間のような、いや、
「人間以上に早い判断力を持つことができたとすれば、フランケンシュタイン症候群というものが生まれる」
 ということになる。
 そのための抑止力が、
「ロボット工学三原則だ」
 ということになれば、その臨床試験というのは、
「テスト兼本番」
 ということになるのではないか?
 つまり、試験をしようとすると、
「人間と同じ知能と本能を持ったことから、人間を支配しようなどという発想を持った時、初めて、三原則が力を発揮するわけで、その状態になって、三原則が、役に立たないということになれば、時すでに遅く、ロボットに支配される世界が、やってくる」
 ということになる。
 そうなってしまえば、
「すべてが終わりだ」
 つまりは、
「ロボット開発」
 というのは、
「最初からしない方がいい」
 ということになり、
 ロボット開発そのものが、
「人間の滅亡をもたらす」
 ということになり、
「自分で自分の首を絞める」
 という結論を導くことになるだろう。

                 人手不足問題

 友達とまた交流ができてから、時々会うようになった。
 それは、すでに大学の時の意識ではなくなっていて、
「誘われるからついていく」
 というだけのことで、相手としても、
「楽しみにしているだろうから、俺の方から誘ってやらないとな」
 という、ある意味、二人とも、
「惰性」
 という意識でいるのかも知れない。
 お互いに、ウスウスではあるが、
「そんなことは分かっている」
 というくらいには感じているだろう。
 その日も、友達が、
「来週そっちにいくから、どこかで飲みにいこう」
 という連絡をくれていた。
 数回、調整したあと、決まったのが、この日だったのだ。
「本当はお互いに週末がいい」
 と思っていたのだが、どうしても週末は、予約でいっぱいだったのだ。
 今の生活は、数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
 というもののせいで、一変してしまった。
 今は、だいぶ収まってきていて、まだ、病気に罹る人もいるので、
「完全に収まった」
 というわけでは、まったくないのだが、とりあえず、
「緊急事態は収まった」
 ということであろう。
 発生から、緊急事態の状態が抜けるまでに、3年以上が掛かったことになるのだが、その間に、世の中は一変してしまった。
 そもそも、世の中が、ゆっくりではあるが、
「滅亡に向かっている」
 ということは分かっていたのだが、それに、この、
「世界的なパンデミック」
 というものが、
「拍車をかけた」
 ということになるだろう。
 パンデミックは、突然やってきた。
 某国のある街で、
「原因不明の伝染病が流行っている」
 という情報が流れ始めてから、数か月で、全世界的に、どんどん、
「感染者が見つかった」
 ということで、日本においても、
「患者が出た」
 というところから、どんどん増えていき、政府はそれでも、水際対策をおろそかにしたことで、
「蔓延の危機」
 というものに見舞われたのだ。
 世界的には、今までにも、
「パンデミックというものを定期的に体験していた」
 ということであったが、日本の場合は、
「幸か不幸か」
 今までに、
「流行の兆し」
 という話はあったが、世界レベルの流行はなく、
「事なきをえた」
 といってもよかっただろう。
 しかし、今回はそうはいかなかった。
 国内でも、外国なみの流行が確認され、国内はパニック。
 最初は、
「発症国である某国の国家元首を国賓で迎える」
 などという計画が、
「パンデミック発生前から決まっていた」
 ということで、その計画が進んでいたが、さすがに、中止になり、
「やっと、水際対策に本腰を入れるようになった」
 という、後手といえば、後手すぎる対策だったのである。
 かと思えば、
作品名:時間の三すくみ 作家名:森本晃次