小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

時間の三すくみ

INDEX|4ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 という、まるで恋人関係のような、今から思えば、何とも気持ち悪い関係になっていたのだった。
 期間としては、二年間もなかったくらいであったが、それでも、自分たちには、
「結構長く感じられた」
 考えてみれば、
「これが恋人関係であれば、二年近くも、同じ関係であれば、少しヤバいのではないか?」
 と言われるくらいではないだろうか?
 というのも、
「お互いに将来を見据えて付き合っているのであれば、まったく同じ関係であれば、お互いに不安になるに違いない」
 特に、女性の方とすれば、
「この人、一体何を考えているのかしら?」
 と、自分からは、なかなか言い出せないということを考えると、相手に、
「引っ張っていく力」
 というものがなければ、どうしようもないということになるであろう。
 それを思えば、
「大学時代の友達であれば、お互いに成長しあえる何かがあればそれでいい」
 という関係なので、
「ずっと同じ関係であっても、そこに何ら不思議な感覚はないだろう」
 むしろ、変わってしまうと、却って不安になるというもので、
「お互いに、ちょうどいい関係を、いつまでも保っていける」
 という意味で、
「友達の方が気が楽」
 ということである。
 これは、
「恋愛感情のようなものがない」
 ということで、
「親友としての、友情」
 というものを求めるのであれば、それは、もっと違った形のものを欲しいと思うのだろうが、
「そこまで考えず、お互いに、将来を見据えるうえで、プラスになる相手」
 ということであれば、
「何もお互いがお互いを拘束する」
 ということもないだろう。
 確かに。
「親友というものがいるといないでは違う」
 という人もいるが、
「絶対に必要なのだろうか?」
 と考える。
 それが時として、
「手かせ足かせ」
 というものにならないとも限らない。
 しかも、
「相手の意見によって、自分が持っていなければいけない信念」
 というものを狂わされたりするのであれば、それこそ、
「親友など必要ない」
 ということだ。
 そもそも、大前提として、
「価値観が同じでないと、親友と言えないのだろうか?」
 ということである。
 そもそも価値観など、皆それぞれ違うもので、しかも、
「他人」
 ということなのだから、
「同じであるはずもない」
 といえるだろう。
 考えてみれば、
「これは、親友というよりも、恋人関係にも言えること」
 であり、
「恋人関係がさらに、夫婦ともなると、次第にデリケートな問題をはらんでくる」
 ということにあるだろう。
 前述の、
「価値観の違い」
 というものは、当然の五徳あるというもので、
 親友よりももっと深い仲になるということなのだ。
 そもそも、今はあまり言われなくなったが、以前は、
「結婚適齢期」
 というものがあり、
「どうしても、結婚したいという時期が、ほぼ全員に訪れる」
 というものであった。
 これは、
「成長期」
「思春期」
「反抗期」
 と言われるような段階において、若干の違いこそあれ、
「ほぼ皆、避けて通ることのできないもの」
 なのである。
 反抗期であれば、ない人もいるかも知れないが、
「成長期」
「思春期」
 というものは、
「身体の変調」
 つまりは、
「大人になる」
 ということから、
「避けられる人はいない」
 といってもいい。
 実際に、
「結婚適齢期」
 というのも同じもので、それでも結婚できなかった人は、
「結婚相手と知り合えなかった」
 ということであったり、
「いろいろな障害があり、結局別れることになったり」
 などということで、結婚できなかった人であろう。
 それを考えると、
「結婚というのは、結婚したいという時期」
 つまりは、
「異性への感情が、一番高まった時期に、結婚という結論を見つけたい」
 という欲望から、
「結婚に至るものだ」
 と考えると、
「結婚適齢期」
 という言葉は、説明がつくだろう。
 しかし、それはあくまでも、
「結婚ということがゴール」
 と考えるのであれば、それでいい。
 しかし、実際には、
「結婚がスタートライン」
 ということになるわけなので、
「そのことを知った時、覚悟が本当にできているかどうかで、その先は決まってくる」
 といってもいいだろう。
「結婚は人生の墓場だ」
 と言われたり、さらには、結婚式を挙げてから帰ってきてからの、
「即離婚」
 などという、いわゆる、
「成田離婚」
 などという言葉が言われるようになったりしたのだ。
 これも、
「恋愛中には気づかなかった相手の悪いくせ」
 であったり、
「これから毎日一緒にいて、絶えられない」
 というようなことを、新婚旅行で感じるのだ。
 それは、今までが、甘い新婚生活ばかりを夢見ていて、
「相手と育む」
 という発想ではなく、
「自分にとっての幸せ」
 というものだけを夢見ていたとすれば、その時点ですれ違ったとしても、無理のないことではないだろうか?
 つまりは、
「一緒に暮らすということがどういうことなのか分かっていなかった」
 ということであり、
「耐えることが結婚の第一歩」
 ということも分かっていなかったからであろう。
 昔だったら、
「戸籍が汚れる」
「世間体に悪い」
「仲人に顔向けができない」
 などということで、離婚も躊躇するのだが、今のカップルは、
「披露宴をせず、家族だけの食事会で」
 という人も多い。
 もちろん、
「結婚式代がもったいない」
 という理由が一番であろうが、中には、
「離婚した時、申し訳がつく」
 という理由で、
「披露宴をしない」
 という人も多いことだろう。
 そもそも、
「仲人制」
 というのも、最近ではないようで、逆に、
「結婚式場」
 であったり、
「ブライダル関係の会社が、すべてをまかなってくれる」
 ということになるのだろう。
 何といっても、
「他人が一緒になるのだから、そもそも、結婚すると決めた時、
「何が決めてになったのか?」
 と言われた時、
「価値観が一緒だった」
 という人もいるが、その価値観というのも、その言い方が曖昧なのではないだろうか?
 中には、
「趣味が同じ」
 という人もいるだろう。
 しかし、趣味が同じであっても、考え方や、いわゆる、
「価値観」
 というものが同じであるといえるだろうか。
 特に価値観というものは、その人それぞれ、
「生まれ持ったもの」
 そして、
「育った環境」
 で変わるといってもいいだろう。
 つまりは、
「人間の数だけ、その価値観は違って当たり前」
 というもので、逆に、
「どうして価値観が同じだと言い切れるのか?」
 という方が大きいというものだ。
 友達であっても、夫婦であっても、そこに同じ価値観を求めるというのは、無理があるだろう、
 もし、それを求めるるのだとすれば、
「価値観の押し付け」
 といえるのではないだろうか。
 これが、友達、友人であれば、まだ、血のつながりがないので、本当に、
「押し付け」
作品名:時間の三すくみ 作家名:森本晃次