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時間の三すくみ

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 そのうちに、その連中からいろいろな人脈が広がっていき、ある程度のところで、友達も飽和状態になれば、自然と、
「友達の断捨離」
 というのも、行われ、ある程度のところで落ち着いてくるというものであった。
 高校時代には、そんな意識はなかったが、大学時代の友達は、
「とにかく数」
 と最初は思うのだ。
「そこからの人脈が大切」
 ということで、
「人脈のきっかけになった人は、本当にずっと友達でいられるのか?」
 と思ってその人のことを思い出そうとすると、その人の記憶が、
「シルエットでしかない」
 ということになるのだった。
 そんな中、自分の中では、就職することによって、学生時代の友達を、就職を機会として、
「断捨離」
 するつもりだった。
 断捨離というと聞こえはいいが、
「忙しさにかまけて、ただ連絡を自分からしようとしなかった」
 だから、当然相手も同じように連絡をしなくなり、体よく、断捨離という名の下に、友人関係を断ち切ろうと思ったのだ。
 何も、無理に断ち切るというだけではなかった。
 確かに学生時代の友達が残っていると、いろいろありがたいという話も聞く。
 しかし、よくよく考えると、学生時代というわけではなく、
「仕事をする」
 というだけで、
「それ以外のことはできない」
 というくらいに面倒くさいものである。
 確かに、学生時代の友達には、結構世話になったり、世話したりと、
「持ちつ持たれつ」
 の関係だった。
 特に、
「将来のことについての話」
 であったり、
「彼女の話」
 というような、
「大切な話」
 というのもあれば、
「どうでもいいような話」
 というのもあった。
 しかし、どちらにしても、
「その時は、自分たちにとって一番大切な話をしていたわけで、
「本当に大切な時間だった」
 ということに間違いない。
 そして、もう一つ言えることは、
「そこに答えはない」
 ということであり、もちろん、そんなことは分かり切っていることで、だからこそ、お互いに、
「ああでもない、こうでもない」
 と言い合いながら、答えの出ない話を、当てもなく、延々と話をしようとしていたのであった。
 そんな時代を自分たちで楽しんでいたつもりだったが、相手も、
「ただ付き合ってくれていた」
 というわけではなく、定められた学生時代を、有意義に過ごしているつもりだったのだ。
 だが、そんなゆっくりできる時間も、
「定められた時間」
 ということで、いずれは終わりが来る。
 就活ということで、それぞれ違う業種を目指しているということで、結局、連絡を取ることはおろそかになり、疎遠になるというのも無理もないことだった。
 ただ、それは言い訳にしかならないだろう。
 というのは、本音としては、
「連絡を取りたくなかった」
 ということである。
 実際に就活をしてみると、なかなかうまくはいかない。次第に、まわりはどんどん内定をもらっていき、
「就活は終わった」
 ということで、どんどん、抜けていく。
 これがテスト期間中であれば、
「皆同じ時期に、進路が決まるので、自分だけが取り残される」
 ということはないが、就活は、決まってしまえば、
「一抜けた」
 ということになり、そこで、明らかな差がついてしまうのだった。
 当然、皆が決まっていき、一人だけが取り残された気分になると、いくら友達とはいえ、相手が就職が決まっていれば、その立場は歴然としてしまう。
 相手も友達ということで、同情はしてくれるだろうが、本音は、
「俺の方は、就活に成功したんだ、喜んでも悪いことではない」
 と思うだろう。
 そんな気持ちが少しでも垣間見られれば、これほど惨めなことはない。しかも、
「相手にそんなつもりはない」
 ということを信じようとすれば、それは、
「何を明らかな劣等な立場で、相手が気を遣っていると思い込むという気を、こっちが使わなければいけないんだ」
 ということになり、何ともさらに惨めな思いになるだろう。
 本当であれば、それが、人間としての、
「広い心だ」
 といえるのだろうが、
 それこそ、勝手な理屈であり、相手に対して、自分が卑屈にならないようにするだけの言い訳のようにも思うと、結局、
「自分が惨めでしかない」
 と感じることだろう。
 それを思えば、
「俺が就職が決まらなければ、こちらから連絡を入れてくることはない」
 と思ったのだ。
 しかも、向こうからも連絡がないということは、
「俺と同じ考えを持っているのではないか?」
 と勝手に思い込み、その結果、
「あいつも、就職決まっていないんだろうな」
 と思うのだった。
 もし、彼が自分よりも成績もよかったとすれば、
「自分よりも有利なはずのあいつがまだ決まっていないということは、この俺が決まるわけはない」
 ということで、友達に対しての優越感には浸れるが、いざ現実を見ると、
「これほど厳しいことはない」
 と我に返らされることになる。
 逆に、
「彼が自分よりも劣等だと判断しているとすれば、
「自分が決まらないのだから、やつが決まっているわけはない。だったら、相談をしても、いいアイデアが出るわけもなく、遭って話すのは無駄なことだ」
 と思い知らされるだけで、
「精神的な面」
 であったも、
「相談目的」
 ということであっても、
「結局、お互いにどうすることもできない」
 ということになってしまう。
 それを考えると、
「お互いに、もう連絡をしあうことってないかも知れないな」
 と思えたのだ。
 その時、
「結局、友達って何だったんだろう?」
 と考えた。
 お互いに都合のいい時に遭って、お互いの話を聞いてもらう。
 それは、心に余裕がなかったり、お互いの立場が違っているとできないことだ。
 ということになれば、
「心に余裕がなくなって、それぞれに立場が変われば、友達というのは、それまでとは違うものではないだろうか?」
 と考えるのだった。
 しかし、親の世代や、先輩たちなどは、
「友達は大切にしないといけない」
 といっていた。
「どうしてなのか?」
 と聞くと、言葉を濁していたが、
「いざという時に助かるからではないか?」
 といっていた。
 言葉を濁した上に、断言しているわけではない。そうやっていっている人だって、実際に友達に相談したことなどないのかも知れない。
「まあ、一人で考えがまとまらない時、助言してくれるかも知れないからな。何といっても、人間は一人では生きていけないからな」
 というのだった。
 確かに、
「人間は一人では生きていけない」
 とよく言われる。
 学生時代には、その言葉の意味がよく分からなかった。実は今でも正直にいうと、分かっていないのだったが、その理由を考えた時、
「例えば未成年などでは、親などの親権者がいないと、契約ができない。あるいは、無効となったり、取り消されたりもする」
 ということで、
「法律的には、確かに絶対に、親権者などの、法定代理人がいないと、働くことも、住む家の契約をすることもできない」
 ということになり、
「未成年では、一人で生きていくことはできない」
 といえるだろう。
作品名:時間の三すくみ 作家名:森本晃次