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時間の三すくみ

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 というのも、その日は、いつものように、マンションの入り口まで入ることができなかった。
 本当は入ることはできたが、ちょうど、工事中ということで、片側通行になっていたのだ。
「いくら工事中とはいえ、夜くらいは、穴を埋めて、通れるようにすればいいのに」
 と思ったが、あとで聞いたところ、
「昨年、都心部で、道路に大きな穴が開いて、地盤沈下が起こった」
 という大事件があったのが教訓になっているということであった。
 その時、偶然、被害者はいなかったので、事なきをえたが、大事故にでもなっていると、
「おちおち、工事もできない」
 という社会情勢だったことだろう。
 特に、年が明けてからの、2,3月というと、年度末ということで、工事中というところで、
「道路に穴が開いているところが多い」
 ということである。
 通称。
「年度末調整」
 といっているが、
「会社で、払いすぎた税金や、逆に足りない分を、年末の給料で調整する」
 という
「年末調整」
 に引っ掛けていっているが、
「年度末調整」
 という言葉も、似たような意味であるが、結局、
「政府や自治体に対しての皮肉」
 ということである。
 省庁の予算というのは国会で決められるが、その翌年の予算は、
「前年の予算を、全部使い切れば、翌年も、少なくともそれくらいは最低いる」
 ということで、最低限を今年のランクとして見ることができる。
 そのため、年度末に計算するために、年度末で、きっちり使いきる必要がある。
 だから、
「年度末に、余った予算を使い切る」
 ということで、それまで後回しにしてきた予算を、そこで一気に使いきってしまうという、
「姑息なこと」
 をするのだ。
 それこそ、
「調整」
 である。
 だから、2,3月という今頃は、
「町中が穴ぼこだらけ」
 ということになるのであった。
 そんな街中で、昨年の事故も、
「年度末に起こった」
 ちょうど、
「地下鉄工事をしている場所だった」
 ということもあって、
「おかしな掘り方をしたのだろうか?」
 と言われたが、実際にはそうではなく、
「予期せぬ、水の量が、地盤を緩くした」
 という発表であったが、
「どこまで本当のことなのか、分かったものではない」
 と言われたものだった。
 確かに、
「誰にも詳しいことが分からないのだから」
 ということであろうが、さすがにあれだけの大事故だと、
「第三者委員会」
 というものが発足し、
「有識者のよる、検証が行われる」
 ということになるだろう。
 だとすれば、政府も関与してくるだろうから、簡単にごまかすということなど、できるはずもない。
 それを思うと、
「穴が開いたことは、ちゃんと調べられるであろう」
 ということだ。
 何といっても、これが
「人災ではなく、自然災害だ」
 ということになると、もっと話は大変で、
「今度は大地震などが起これば、どうなるか?」
 という検証も必要になる」
 ということである。
 確かに、被害がなかったのは不幸中の幸いではあるが、
「この時を機会として、ちゃんと地質調査をする必要がある」
 ということで、
「まるで、調査をしろと神様が言っているように思う」
 という人もいたが、まさにその通りであろう。
 その結果がどうだったのか、いまだに判明していないようだが、
「本当にちゃんと検証しているのだろうか?」
 とも思える。
 しかし、何かが分かったとして、それがもし深刻であればあるほど、その発表の仕方というものがデリケートになってくる。
 もし、それを発表することで、世間が、パニックに陥るようであれば、簡単には、発表できないということになる。
 かといって、
「黙りとおすには、大事故だった」
 ということになるだろう。
 それを考えれば、
「事故現場のあの惨状は、痛々しかった」
 といまさらのように思い出されるのであった。
「しかし、行政としての自治体は、本当に、ちゃんとしてくれるのだろうか?」
 と考えさせられる。
 今から30年近く経ったが、
「未曽有の大災害」
 と言われ、
「高速道路が、横倒しになった」
 あの、大都市直下型の大地震の時、耐震構造に対して、
「発生した地震があまりにも、想定を超えていた」
 ということで、政府はマンション会社や国交省に、
「耐震構造の再検討」
 というものを命じたが、実際に立て直したところも結構あったのだが、立て直したところが、
「国が新しく定めた耐震構造というものに満たない」
 というところが、相当あったということであった。
 要するに、
「手抜き工事」
 である。
 あの未曽有の大惨事を目の当たりにしているはずなのに、
「どうして、耐震構造が守れないのか?」
 ということを考えると、
「世の中の何を信じればいいのか?」
 と言いたくなるというのも、無理もないことであろう。
 それを考えると、
「国家というものは、国民にとって何なんだ?」
 と言いたくなるというものであった。
 実際に、手抜き工事は、今から10年くらい前に見つかった。
 しかも、それから20年前にあの、
「未曽有の大地震」
 があったその場所であり、正直廃墟となったところから、すべてを立て直した
 というその場所だったはずである。
 きれいに出来上がった時は、
「復興と新しい時代への架け橋」
 ということで、大々的に宣伝されたところだったはずなのに、蓋を開けてみると、
「どうしようもない、欠陥住宅だった」
 という、笑い話にもならないという、お粗末さであった。
 考えてみれば、あの大惨事の時は、日本中から、そして、世界中から注目され、ボランティアであったり、支援金がたくさん入ってきたではないか。
 もっとも、
「被災者のために」
 ということで集められた義援金というものを、着服したところもあったり、
「救援物資」
 を、
「転売して、儲けようとした」
 という人間のクズもいたようだが、考えてみれば、
「世界的なパンデミック」
 というものが起こった時、
「マスクが必要」
 ということで、
「ただでさえ不足しているマスクを、買い占めるバカがいて、それを転売した」
 ということがあったではないか。
 しかし、考えてみれば、
「パンデミック」
 の時には、
「転売に関しての法律ができたが、未曽有の大地震の時は、そんな法律ができはしなかった」
「どちらも大切なはずなのに、どうして、無視ができるというのか?」
 ということである。
 本来なら、地震の時にその法律を作っていれば、今回のマスクの時に、大騒動になっていなかったはずだ」
 ということにもなる。
 そう考えると、
「大地震の時は、ショッキングな事件ではあったが、結局は、局地的なことだったが、今回のパンデミックは、全国、いや、全世界でのパニックだった」
 ということで、
「その重要性があるということと、緊急性がある」
 ということだったのだろうか?
 しかし、あの地震の時も、
「緊急性ということであれば、どちらに優先順位をつけるなど、できるはずもない」
 ということである。
 それを考えると、
「時代の違い」
 ということになり、もっといえば、
作品名:時間の三すくみ 作家名:森本晃次