時間の三すくみ
もちろん、勝手な理屈を並べ、言い訳がましいことになるのだろうが、だからと言って、それが悪いというわけではない、
しいていえば、
「自分で働いて、家族の生活費以外の分で自分で使えるお金の中のことなので、それをどのように使おうが、別に問題ない」
といえるのではないだろうか?
タクシーを会社から使ったとしても、料金としては、
「三千円くらいであろうか?」
最近は、駅が近くにできたことで、それほどタクシーを使うことはなくなったが、それでも、
「頭痛がひどい」
ということもあり、電車に乗ると、
「吐き気を催す」
ということになりかねないので、仕方なくタクシーを使うのだ。
学生時代にも時々あったのだが、会社に入ってからは、特に、
「偏頭痛持ち」
ということが分かっているので、痛くなったとしても、
「いよいよ来たか」
というくらいのもので、
「薬で何とかしよう」
ということで、日ごろから、頭痛薬は持ち歩いていた。
その日は、そこまではなかったが、そんなに飲んではいなかったのに、
「何となくヤバいか?」
という状況になっていた。
これだけ定期的に偏頭痛に襲われたら、
「今では、そのパターンが分かってきた」
ということになり、
「本当なら、今日はやめた方がよかったかな?」
と感じたほどだったので、最初から、ほとんど飲まないつもりでいた。
友人もそのことは分かっていたので、無理に進めることはせず、
「自分のペースで飲めばいい」
とばかりに、自分は自分で飲んでいた。
その日は、話題といっても、目新しいのがあったわけではないので、時間的には、早く過ぎることはなかった。
それなのに、
「どうして、こんなに遅くなったんだろうか?」
と感じた。
それは、友達も思っていたことのようで、
「今日は何か時間の進みが遅いな」
といっていた。
少なくとも、二人で、同じことを考えていたということに間違いはないようだったのだ。
そのせいもあってなのか、表に出ると、普段と違う感覚があった。
夕方までは、
「今日は肌寒いな」
と思っていたはずなのに、飲んで表にでれば、
「何か生暖かいな」
と感じた。
しかも、湿気をかなり含んでいるようで、空気が何か、
「石か、砂が混じったかのような匂いがする」
ということであった。
これは、確かに生暖かい空気に、雨が降りそうな時に感じる匂いであった。
「これだけ湿気があるんだから、間もなく雨が降ってくるんだろうな」
と感じたのだった。
湿気があることを感じると、
「頭痛がしてくる確率が高い」
ということを意識していた。
「頭痛が来ると分かっているから、湿気が嫌なのか、湿気が嫌だから、頭痛がしてくるということなのか?」
ということを考えると、まるで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
ということになるのだと思うのだった。
確かに、
「どっちもどっちのような気がしている」
ただ、石の臭いを感じるということを思えば、
「先に頭痛を感じるからではないだろうか?」
と思うので、
「前者ではないか」
と感じるのだった。
その日は逆に。
「先に湿気を感じ、その後で頭痛が来た」
ということが分かったことで、
「何かいつもと違うんだ」
と思ったのだ。
だから、余計にタクシーを呼んだのだが、その理由として、
「これが偏頭痛だけで終わらない」
と感じたからだ。
以前にも、少ないとはいえ、同じように、頭痛を感じたということがあった。
その時は、
「吐き気を催した」
ということであった。
それも、
「頭痛がする」
ということでそれを抑えようとして、頭痛薬を飲むのだが、
「その薬が効くか効かないか?」
というあたりで、
「吐き気がしてくるのだ」
これが、
「胃腸のあれ」
ということからきているのかと思ったが、そうでもない。
考えられるのは、
「石の臭いを感じたことでの、呼吸困難ではないか?」
と考えるようになった。
呼吸困難というのは、
「湿気によるもの」
と、
「石の臭い」
というものから出てくる、
「空気の濃さ」
が影響していると思うようになったのだ。
それを考えると、
「薬というのも、どんなものを飲めばいいのか。考えさせられるところ」
ということであった。
偏頭痛ということで何度か医者にいったが、その時は、
「まだ、吐き気という症状がない」
という時だったので、医者に相談していなかった。
「近いうちにいかないといけないな」
と思うようにはなっていたが、医者に行く前に、この症状になろうとは、思ってもになかったのである。
ただ、
「吐き気の時に飲む薬」
ということで、以前もらったものがあったので、この時は、それを飲むことにしたのだった。
薬は、以前からたくさん飲んでいた。
といっても、
「他の人の基準というものが分からないので、今から考えれば、どれくらいの量が基準なのかということは分からなかった」
しかも、最近、
「いろいろな薬を飲むようになった」
と考えると、
「それが原因で、幻聴や幻覚などを見るようになった」
とも思えてきたのだ。
だから、
「自分に似ている人がいた」
というのを見た気がしたが、それを、
「薬による錯覚だ」
と感じるようになった。
それはあくまでも、ドッペルゲンガーというものが、
「それを見ると、近い将来死んでしまう」
ということに結びつくと考えるからだ。
しかし、その理由が、
「病気によるものだ」
と考えたのだとすれば、
「薬による錯覚」
というのは、
「決して安心できることではない」
ということになるだろう。
つまりは、
「逆に怖い」
と思わなければいけないことであり、
「錯覚というものが、どういうものなのか?」
と考えさせられるようになった。
そういう意味では、
「いく医者が違うのではないか?」
とも思う。
「神経内科」
というところではないか?
と考えると、そこで、
「自分がドッペルゲンガーというものを見た気がしていて、それに対してどう感じているか?」
ということを話す必要があると思うのだった。
実際にドッペルゲンガーというものが、言われているように、
「近いうちに死ぬ」
ということが医者の間で、しかも、
「精神内科の医者の間」
において、そのように解釈されているか?
ということも、気になるところであった。
会社でも、
「神経内科に通っている」
という人も結構いたりして、その人たちは、
「仕事だけではなく、人間関係において、病んでいる」
という人が多いと聞いた。
それは、
「神経内科の先生の間でも、言われていることだ」
ということを、通院している人から聞かされて、
「確かにそうだな」
と感じるのであった。
「やはり、一度行ってみないといけないか」
と感じることが多くなり、
「最近ではその思いがどんどん強くなってくる」
ということであった。
二人の目撃者
その日の帰りに目撃したことは、
「まるで夢だったのではないか?」
と感じさせられた。