黒歴史と普通という感覚
ということを、自分で感じ、それを別の考えに押し付けようとする人がいれば、それを排除する形でいないと、
「ストレスばかりが溜まってしまう」
ということになるだろう。
「合わない人間とは、どこまで行っても、交わることのない平行線」
ということで、それは、
「夫婦間」
であったり、
「親子」
であっても、同じであろう。
特に親子ともなれば、育った世代が違うのだ。
最初は歩み寄りがあったとしても、その確執が大きいのは当たり前のことで、それを、誰もいい悪いという判断で持っていくことはできないだろう。
それを考えると、
「人に対して、考えを押し付ける」
ということは、
「反発も呼ぶ」
ということで、一番まわりに被害を与えることになり、二次災害というものを生むので、気を付けなければいけないということであろう。
お風呂屋さんに来るのは、もちろん、
「女の子に癒されたい」
という気持ちもあった。
最初は言い訳のように、
「小説を書き始めたので、風俗業界のことを知って、それをネタに書ければいいかな?」
ともいっていた。
しかし、最初の頃は、
「さすがに、風俗を小説に書くというのは、何か恥ずかしい」
と思っていた。
どうしても、
「官能小説を書いているわけではないのに、そういう業界を舞台にするというのは、自分では不本意だ」
と思っていたのだ。
趣味の世界
書くジャンルとしては、自分の中で、
「ミステリー小説だ」
と思っていた。
中学生の頃に最初に嵌って見た小説が、
「ミステリー小説」
だったのだ。
しかし、厳密に言えば、
「探偵小説」
というもので、
「ミステリー小説の前身」
といってもいいだろう。
時代的に言えば、大正末期くらいから、昭和前半。
つまりは、
「戦後の混乱期くらいまで」
という時期である。
その頃の探偵小説というのは、
「ヨーロッパから輸入した形そのもの」
という探偵小説が多かった。
特に、
「トリックや謎解きを主題にした、有名探偵であったり、頭脳明晰の刑事などが主人公で、事件を切れ味鋭い手法で、解決に導く」
と言われるものが多かった。
そもそもは、
「シャーロックホームズ」
であったり、
「怪盗ルパン」
と呼ばれるものが、売れたことから、
「探偵小説」
というジャンルが生まれたのだ。
「怪盗ルパン」
などというのは、探偵でもなければ、捜査員でもない。
逆に、相手は、
「悪者」
ということであり、今では普通にあるが、
「悪役が主人公」
という話は、そんなに昔からあったのだ。
ということで、実際には、
「怪盗と探偵との闘いというのは、確かにその当時もあったことだろう」
しかし、その場合、
「怪盗が主人公」
という発想を持つことで、ベストセラーになるということは、
「作者の発想勝ち」
といってもいいだろう。
発想の転換が、真っ逆さまであれば、
「それも真なり」
ということで、もっといえば、
「さらに逆さにすれば、元に戻る」
という発想もありなのではないだろうか。
それが、
「探偵に対する怪盗からの目」
ということではないだろうか?
それを考えると、
「探偵小説」
というものが、
「時代は繰り返す」
という言葉が当てはまるといえるのではないだろうか。
平成の頃のミステリー小説や、サスペンスドラマと言われるものは、
「安楽椅子探偵」
と呼ばれるような、
「実際にその場に行くわけでもなく、話を聞いただけで事件を解決する探偵」
というものであったり、
「普段は、別の仕事をしているが、ドラマの中では、出しゃばる形で、探偵のようなことをする」
というような話が多く出てきたりする。
さらには、
「悪役が主役」
というような話も出てくるだろう。
そう、江戸の昔でいえば、
「鼠小僧」
と呼ばれた話のようなものである。
それだけ、
「バリエーションが増えてきた」
ということであろうが、今の場合は、すべてのトリックや内容がっ出尽くしてしまい、
「飽和状態になる」
ということで、
「その先を模索する」
というのが、今の時代なのであろう。
しかし、黎明期の探偵小説であっても、そもそも、パターンが決まっているわけではないので、
「他のバリエーションを」
と考えるのは当たり前であり、
「それが、奇しくも、今昔で同じ発想になった」
ということになるのであろう。
それを考えると、
「探偵小説に限らず。時代は繰り返すというのは、別の方向から回りまわってきたものとが重なった時」
に出てくるものだということになるだろう。
さらに、昔の探偵小説というものでは、
「本格派」
と、
「変格派」
というものがあった。
本格派は、いわゆる、探偵小説の定義と言われる前述の内容で。変格派というのは、
「それ以外」
というある意味、曖昧な内容のものであった。
その中で、分類としては、
「異常性癖」
であったり、
「猟奇殺人」
であったり、
「オカルト系のミステリー」
であったり、
「耽美主義的な内容」
などが代表的なものだろう。
明治の文豪の中に、
「幻影的な小説」
というものもあったが、それが、
「オカルト的」
ということで変格派探偵小説と呼ばれるものと結びついたということであろう。
探偵小説というものを二つに分類はしたが、それが浸透することはなかった。
実際に、変格派と呼ばれる部分は、
「ホラー」
や、
「オカルト」
に移っていくようになり、
サスペンスであったり、中にはSFに近いものとして移行していくものもあった。
時代の流れとともに、
「戦後ではない」
ということで、好景気や不景気を繰り返す時代になれば、
「社会派ミステリー」
と呼ばれるものが出てきた。
そんな小説は、
「ヒューマンチックな話」
が多くなり、それが、当時の社会問題と絡み合って、一つのブームを生み出していく。
例えば、
「ゼネコンとの癒着などでの、政治家をテーマにした話」
あるいは、
「企業が伸びていく時にその廃棄物が問題にあった、公害問題」
などというものは、どうしても、
「人間の尊厳」
などという問題と絡むことになり、それが、占領国が押し付けていった、
「民主主義」
という問題と絡んでくることで、さらに、社会問題が、露呈し、差別問題であったり、人権問題と絡んでくるのであった。
それが、実際に社会問題となることで、
「自分なら、どうするか?」
ということを考えさせられるのが、社会派ミステリーというものではないだろうか?
そのうちに、時代が、平成に進むにつれて、前述の
「安楽椅子探偵」
であったり、
「探偵らしからぬ探偵」
というものが出てくるのであった。
何といっても、中には、
「泥棒が探偵役をする」
であったり、
「警察の中で、まるで時代劇のような。隠密という組織があり、それが、事件解決のためには、なんでもあり」
という形のものが出てきたりもしたのであった。
そんな、
作品名:黒歴史と普通という感覚 作家名:森本晃次