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黒歴史と普通という感覚

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「探偵小説から、ミステリー小説へと変革と遂げてきたジャンルであるが、やはり、自分は、探偵小説が好きだった」
 そもそも、探偵小説というのは、時代的にも、
「自分が知らない時代」
 ということで、
「本を読む」
 という想像力を掻き立てられるものということで、魅了されたのだろう。
 そういう意味で、今の若い連中が見ている、
「異世界ファンタジーもの」
 というのも、
「想像力を掻き立てられる」
 ということでは、
「自分たちと同じなのではないか?」
 と感じるのであった。
 というのも、
「異世界ファンタジー」
 とううものは、自分たちのような人間から見れば、
「まったく想像のできない世界」
 ということになるのだが、彼らとすれば、その想像力を掻き立てられる、元々の素材というものがあるのだ。
 というのが、
「ゲーム」
 というものであったり、
「アニメ」
 だったりするのだ。
 特にアニメとゲームというのは、密接に結びついているようで、
「アニメを元にして、ゲームが作られたり」
 逆に、
「ゲームを元にして、アニメが制作されたりしている」
 ということである。
 平成に入ってから、引きこもりの子供が、
「部屋の中で何をしているか?」
 というと、
「ゲームをしている」
 という。
 昭和の頃は、子供が遊ぶというと、
「表の公園などで、遊具で遊ぶか、球技などで遊んでいるのが当たり前」
 という時代であったが、そのうちに、
「家でゲーム」
 というのが当たり前になったのだ。
 特に、
「オンラインゲーム」
 などができると、
「表に出なくても、ゲーム機で会話をしながら、ゲームで、コミュニケーションをとることができる」
 ということだ。
 昔のように、野球道具をもって家を出ようとしている子供を、親が、
「宿題は終わったの?」
 といって
子供が出ていくところをとがめるという、
「昭和の構図」
 があったが、今はそんなこともなくなった。
 というのも、
「ゲームをするのが忙しく、部屋から出てこようとはしない」
 ということである。
 下手をすると、食事に出てくることもなく、それこそ、
「引きこもりではないか?」
 というような状態になっているということである。
 そもそも、
「引きこもり」
 というのは大げさかも知れないが、
「バブル崩壊」
 というものが大きな影響を持っていて、
 それまでの、
「父親だけが、働いて、生活をしている」
 ということで、家族の生計が成り立っていたが、
「給料の減少」
 さらには、
「リストラ」
 などというもので、
「母親が、働きに出なければいけない」
 という、
「共稼ぎ」
 ということになってくるのであった。
 だから、子供が家に帰ってきても、何もできていない。
 パートくらいであれば、
「母親は夕方前に仕事場を出て、買いものしてから、夕飯の支度に間に合う」
 ということは普通にあるだろうが、
「正社員で働いている」
 ということであれば、そうも簡単にはいかないだろう。
 だから、共稼ぎをしている家族が、
「夕飯を皆で一緒に」
 などということはあり得ないといってもいいだろう。
 だから、子供は、
「自分で作って食べるか」
 それとも、
「表で食べるか?」
 ということになる。
 昭和の時代であれば、
「鍵っこ」
 などと言われて、まわりからは、
「かわいそうだ」
 と言われたであろうが、もし、自分が、その時代に生きていれば、
「うらやましい」
 と思ったに違いない。
 何といっても、今の時代に慣れてくると、
「家族一緒の食事がうらやましい」
 などとは思わない。
 これまで、一人で自由だったものが、いまさら、
「家族団欒」
 と言われても、
「鬱陶しいだけだ」
 としか思わないだろう。
 それを考えると、
「今の時代に生まれてよかった」
 と思う。
 そういえば、当時にもし、生きていた人が、自分と同じ気持ちだったとして、
「自分の子供には、自分と同じような思いをさせたくない」
 ということで、考えるだろう。
 だが、その子が大人になって。子供を持った時、どういう教育をするだろうか?
 多分。
「自分が受けた教育と同じことをするのではないだろうか?」
 と考える。
 やはり、
「同じ人間であったとしても、立場が変われば、気持ちも変わる」
 ということではないだろうか?
 だから、
「上から見る視線と、下から見上げる視線で、その立場が分かっただけで、まったく違った景色であり、距離感を感じることになる」
 というものであろう。
 そんな自分を、大人になってから、
「子供の頃に感じた親に対しての思い」
 というのを、忘れてしまったのかも知れない。
 あくまでも、
「自分が大人になったということで、子供の頃の自分は、遠い過去のことで、何を考えていたのかすら、立場の違いが、打ち消すということになるのではないだろうか?」
 と感じられるのであった。
 それを思えば、
「上から見る視線」
 というのは、
「一歩間違えれば、子供の人生を変える」
 ということで重要である。
 それを分かっているのかいないのか、やはり、
「大人になるということは、一つの結界を超える必要がある」
 ということになるのであろう。
 自分が、最近小説を書くようになると、毎日が楽しくなってきた。
 仕事は、毎日いっていて、若い頃は、結構仕事も楽しかった。現場での仕事が楽しいと思うのは、若い頃だけのことで、それが、
「主任」
 などという立場になると、
「仕事が楽しい」
 などということは考えられなくなったのだ。
「どういうことなのか?」
 というと、
「今までは自分でできていた仕事ができなくなってきた」
 ということであったが、その理由としては、
「部下にやらせて、それで指導しなければいけないという仕事だからだ」
 ということであった。
 上司になると、基本的に、部下にやらせて、それで仕事を回すというのが、当たり前ということであった。
「やってみて、言って聞かせて、させてみて。もめてやらねば、人は動かじ」
 という言葉があるが、上司とは、まさにそういう言葉である。
 しかし、実際には、
「自分が第一線に立って仕事をする」
 ということが一番自分の才能を生かせるという人もいるだろう。
 だから、なんでもかんでも、管理職への階段を昇らせるというのは、いかがなものであろうか?
 だから、
「上司にならなければ嫌だ」
 と思う人は、会社を辞めて、正社員としてではなく、派遣社員であったり、アルバイトという形で、
「現場の仕事をしたい」
 と思っている人もいるだろう。
 確かに、今の時代は、
「正社員を辞めて、派遣社員で働く」
 という人や、最初から、派遣社員でいくという人もいる。
 その人がどうして、そういう道を選んだか?
 というのは、その人それぞれに理由もあるだろう。
 もちろん、
「正社員をリストラされた」
 であったり、
「上司のパワハラで辞める羽目になった」
 などというのもあるだろう。
 これらは、
「自分のせいではない」
 というやむを得ない理由で、派遣会社に登録するということになる。