黒歴史と普通という感覚
ちょっとぽっちゃり系の女の子で、自分は、
「小柄で、ちょっとだけぽっちゃり」
の女の子が好きだった。
まさに理想といってもいい。
その子は、前の時、初めてだったが、フリーで入ったわけではなく、予約してのことだったので、相手も喜んでくれていた。
「また近いうちに来るね」
といっておいたので、こんな形で会うことになると、少し苦笑いをしてしまうところであった。
もっとも、今日来なくても、来月くらいには来ようと思っていたので、一か月早まっただけだった。
彼女は、前に話したことを覚えていてくれたようで、
「小説の方、進んでますか?」
と声を掛けてくれた。
「覚えてくれていたんだね?」
ということが嬉しくて、余計に、
「こんな形になってしまった」
ということに対して、少し申し訳ないという気持ちが大きかったのだ。
それを分かっているのかいないのか、彼女は、そそくさと用意をしていた。用意をしながら、話を振ってくれるというのが、彼女のやり方なのだろう。
女の子によっては、お話をする時は、ベッドに座って、身体を密着させるようにしてくる女の子が大半だが、用意をしながらという女の子もいる。
そういう子は、プレイを先にして、最後のまったりとした時間を楽しむというプレイスタイルだという人が多いようで、
「自分もそっちの方が意外といいかも?」
と思うようになっていた。
最初は、
「まるで時間を図っているかのようで嫌だな」
と思っていたが、それでも、気分を紛らわせてくれる気持ちもありがたかった、
それを思えば、趣味を覚えてくれていただけで、感動するくらいになったのであった。
それは、
「今日は最初から来るというつもりではなかった」
ということからなのかも知れない。
今までにも何度か、、
「繁華街に出かけた時、帰りに寄ってみよう」
と思ってくることもあった。
そのほとんどは、
「あくまでもついで」
ということでその日は、朝から予約をして出かけてくるというのとは別もので、
「自分の中での、風俗通いの回数に加えない」
ということが多かった。
もっといえば、
「急に思い立ってくることになったのは、それだけ、気分の高揚というものを楽しみたい」
ということが一番だということであった。
だから、実際に部屋で女の子と出会うところまでが、気分の高揚というものであり、予約してからくるのと、気分的に新鮮になれるということであった。
確かに予約をしてからくるのであれば、そこまでの興奮というのはないだろう。
もちろん、部屋に入ってからの会話を含めた一連のプレイに変わりはないので、そこから先は。
「いつもと一緒」
ということである。
だから、
「帰りには、気持的にはいつもと一緒」
ということになり、それでも、回数に加えないのは、それだけ、
「サービスというものが、実際に味わった気分の高揚に比べれば、アッサリしたものだった」
ということになるということであろう。
「嫌だ」
という感覚はないが、
「味気ない」
ということになるということなのであった。
自分にとって、今回の
「出会い」
は、終わってみれば、いつもと一緒だということであるが、やはり、
「回数に加えるということをしたくない」
と感じるのであった。
実際に、前と同じ対応で、
「また指名したい」
と思ったのは変わりないことだった。
ただ、この一回を加えてしまうと、自分の中で、
「飽きが早くくる」
という錯覚に見舞われそうで、それが嫌だったのだ。
今までの、風俗遊びの中で、
「いくら気に入った女の子であっても、何度かご一緒してもらえば、何度目かには飽きる」
ということになるのは分かっていた。
「平均して、3回くらいで、長くても、5回」
というところであろうか。
確かに
「飽きがこない」
というのは無理があるかも知れない。
しかし考えたのは、
「もし、自分が結婚したとして、結婚相手に飽きてしまうと、どうなるんだ?」
という不安があったからだ。
「飽きが来る」
ということを身体が覚えてしまうと、
「その体質が抜けなくなり、結婚した以上、ずっと寄り添う」
と思った時、
「飽きた状態でどうやって持たせればいいのか?」
と考えると、
「離婚するか?」
あるいは、
「不倫に走るか?」
ということで、どちらにしても、
「結婚前から考えることではない」
ということになるであろう。
それを思うと、
「風俗の女の子を本指名するのはいいが、できることなら、3回までにしておこう」
と考えるようになったのだ。
ただ、本指名を
「続ける」
ということをやめようというだけで、
「まったくもうその子を指名しない」
というわけではない。
「飽きる前に、少し離れる」
ということである。
そもそも自分は、
「すぐに飽きが来る」
というよりも、
「飽きるまで楽しむ」
というタイプだった。
好きな食べ物にしてもそうだ。
「飽きるまで毎日のように食べて、そこまでくると、もう見たくない」
というところまで行くのだ。
それが、自分の性格であり
「食べ物であれば、それでもいいが、女の子ということになると、それでは嫌だ」
と思うのだった。
それが、
「結婚」
ということになると話も変わってきて、
「飽きるまで」
というのは、タブーということになるであろう。
結婚したことがないので、よくは分からないが、学生時代まで結構すると、
「人生の墓場だ」
とよく言われるが、それも、
「ウソではないか?」
ということであったり、
「大げさだ」
と思っていたのであった。
しかし、社会に出て、人と一緒にいると、学生時代に比べて、
「何か飽きっぽくなった」
と感じるようになった。
それは何が原因なのかというと
「毎日に変化がない」
ということであった。
学生時代も確かに変化はそんなにあったわけではないが、毎日同じリズムということもなかった。
会社に勤めるようになってから、毎日が、
「ほぼ同じ周期」
ということであった。
もちろん、年末から正月明けに掛けての、
「繁忙期から、閑散期に向かう」
ということで、同じ周期ということもないが、屁理屈でいえば、
「平均すれば、いつものペース」
ということで、正月明けが終わってみれば、疲れ方とかは、普段と変わらない。
つまりは、
「その時々で違うものだ」
ということになるのであった。
そう考えると、
「毎日同じペースというのは、飽きを感じさせるもの」
と考えると、
「夫婦生活も、それなりに、いろいろあった方がいいということか?」
とも考えられるが、それは
「願い下げだ」
と感じるのだ。
やはり、人間、
「平和で、何もないのが一番であり、自分がやりたいと思うこと」
そして、
「生きがいだと思うことを見つけて、それにまい進する」
ということが一番なのであろう。
それを考えると、
「結婚生活というものに限らず、暮らしていく中で、何が自分にとって大切なことなのか?」
作品名:黒歴史と普通という感覚 作家名:森本晃次