黒歴史と普通という感覚
「地球火災化」
などと言われるようになるのではないか>
今、世界的に問題になっている、
「森林火災」
というのも、その異常気象の弊害ではないかと言われている。
実際に、
「地球沸騰化」
というものと見た目はあまり関係がないように見えることでも、
「実際には、そこから派生している」
と言われるが、それも、すぐに判明することではなく、検証にもしばらくかかるということで、対策が、
「後手後手に回る」
ということになるであろう、
それを考えると、
「なるほど、対策が追いつかないのは、そういう状況からか」
ということで、それが悪いといえるかどうかは、専門家でしか分からないということになるだろう。
しかし、専門家は、
「世間には黙っておく」
という習性がある、
それを思うと、プレス発表なども、
「額面通りに信じて言うのか?」
と思えてならないのだ。
それだけ、政治家などは、
「都合の悪いことの隠蔽に躍起になっている」
ということで、
「本来であれば、早急に解明しないといけないことを放っておいて、保身に走ることがあるので、後手後手に回るのも、しょうがない」
というところであろうか。
しかし、そんな悠長な連中と、
「心中する気はない」
政府が必死になっていったとしても、
「今までの前歴を考えると、
「どうしても真面目に聞くということもできない」
といえるだろう。
だから、
「政府がいかに正しいと言われることをしてきていないか?」
ということが問題となり、本当に、信じていいのか分からないまま、国民の方も、
「面倒なことを、国民に言ったって、結局政府は自分たちの保身しか考えていないのさ」
と言われて終わりである。
結局今年に夏は、始まるのが遅かった分、終わるのも遅かった。一応暑さのピークはお盆から、八月の終わりくらいまでで一段落したが、それでも、猛暑日がなくなったくらいで、真夏日は九月いっぱいくらいまで続いた。
その分、今年は飽きが短かったのだ。
もう十一月くらいになると、すでに寒くなってきていて、一気に冬の気配が感じられた。
しかし、異常気象というものは実際にあるもので、日本に上陸こそしなかったが、十一月まで、台風の発生はあったのだ。
ということは、
「南海上の海水温は高かったということか?」
ということであり、その分、今年の冬は寒いのか?
と思いきや、
「暖冬だ」
という。
実際に、十一月くらいまで、最高気温が20度以上という日が続き、ここから恐ろしいことに、その三日後には、何と、初雪が観測されたのである。要するに、
「一気に二日間で、最高気温は二十度近く下がった」
ということになる。
しかも、その寒さも一過性のもので長続きしなかった。それからしばらくは、
「数日間での温度差」
あるいは、
「一日の中の温度差」
というものが結構激しく、体調管理が難しいところであった。
急に空が曇ってきて、いきなり、ひょうが降り出すなどということも普通にあったりしたのだ。
それでも、今年は確かに暖冬で、クリスマス前後は寒かったが、正月明けてから、また暖かくなったのだった。
そんな正月も終わり、あっという間に二月になった。
「いく、にげる、さる」
という言葉にあるように、一月から三月まではあっという間に過ぎていく。その季節をいかに過ごしていくかということが問題であり、今年も、同じような感覚で、あっという間に二月の声が聞こえてきたのだった。
年末の後半の繁忙期が終わって正月に入ると、それまでの忙しさからまったく変わってしまう。
正月などになると、今でこそ、店が閉まっているということもなく、スーパーや都心部の百貨店なども、二日くらいには初売りをしている。
「年中無休」
などという百貨店もあるくらいで、昔の正月とは、まったく変わってしまった。
年賀状のやり取りというのも、ほとんどなくなった。会社でも、
「年賀状のやり取りはしないように」
などという通達があったりして、ほとんどなくなったことだろう。
そもそも、年末の忙しい時、
「なんでそんな面倒なことしないといけないのか?」
ということである。
「正月は、家族水入らずで」
などという昔の悪しき風習もなくなってきた、
「おせち料理」
というものを作る風習もなくなり、ほとんどが、注文して大みそかに取りにいくというのが当たり前になった。
「共稼ぎしているのに、おせち料理なんか作る暇はない」
というのが当たり前だった。
それでも、初もうでの人出はあまり変わらないようで、一度、
「世界的なパンデミック」
のせいで、人数制限が掛かったので、爆発的に減ったが、今はその制限も解除され、人手は戻ってきたという。
しかし、
「感染したくない」
ということで、
「もう、初もうではいかない」
といっている人も結構いる。
それでも、
「ほとぼりが冷めたら行くさ」
ということで、急いでいくことはないというだけになったのだ。
その勢いのまま、年末の反動か、一月からは、ほとんどのところが繁忙期になる。年末の喧騒とした状況が一気に人手がなくなり、閑散としてしまい、歓楽街などでは、新年会のシーズンが終わると、ゴーストタウンの様相を呈してくる。
もちろん、三月になれば、卒業シーズンと期末での、転勤シーズンから、
「送別会などが多くなり、また少し忙しくなる」
ということになるだろう、
そんな閑散とした繁華街の夜ともなると、あまり人通りもいない。それは、経営者側も従業員も分かっていることなので、それもしょうがない。
それでも、常連客の一定数はいるので、店を開けたら、ある程度のにぎやかさがある店もあるだろう。
だが、全体的には寂しいもので、その寂しさを感じながら、寒くなってきた中を歩いていた。
いつ頃からなのか、昔のような、
「動的なネオンサイン」
というのがなくなった。
目に悪いからなのか、節電のための、
「LED電球」
というものが使われるようになったからなのか、どちらにしても、寂しくなったのは間違いないようだ。
その日は午後九時くらいまで、会社の人間と一緒に飲みに行った。
あまり、会社の人間と飲みに行くことはなかったが、最近は、仕事も大変ということもなく、
「たまにはいいか?」
ということで、
「とりあえず九時まで」
ということで、都心部の繁華街に飲みにいくことにしたのだ。
久しぶりの繁華街、なつかしさもあって、ゆっくりと、食事をするというくらいのつもりで飲んだ。
時間的にもちょうど九時、店には、
「二時間」
ということで予約を入れていた。だから、ちょうど九時には出なければならない。
それも分かっていることだったので、二次会も皆で決めていたようだ。
しかし、自分は、
「俺はいいや」
ということで、その団体についていく気はなかった。
それも最初から伝えていたので、
「ああ、そうか、じゃあ、ここで」
ということで、二軒目に行くという連中を見送ってから、一人になった自分は、そこから、もちろん、そのまま帰るという気はしなかった。
「せっかく来たんだからな」
作品名:黒歴史と普通という感覚 作家名:森本晃次