黒歴史と普通という感覚
「自分が考えられる環境を作る」
などという面倒なことではなく、
「仕事ができる環境を作る発想ができれば、そこから少しずつ広がっていく」
というわけだ。
それが創意工夫であり、実際にやってみると、
「結構楽しいものだ」
ということである。
そもそも、自分が本部の仕事で、
「楽しい」
と思ったのは、
「コツコツとこなすことができる」
ということと、
「やればやるほど成果が出る」
ということであり、ただ、それが、
「決まったことをこなす」
というだけのことなので、営業のような仕事ではないことが、少し不満だったのだ。
だったら、創意工夫をすることで、
「これが、自分の仕事だ」
と感じられるようになるということが、一番ではないだろうか?
それを思えば、
「創意工夫のための下準備として考えることというのが、順序だてて、コツコツすることと重なってきて、それが楽しさと結びついてくる」
ということから、
「仕事が楽しくなった」
ということであった。
だから、
「第一線の仕事が、三度の飯よりも好きだ」
というのも、納得できることであった。
しかし、それも、
「若いうちだけだ」
ということである。
ある程度の年齢になると、
「後進に道を譲って、自分は、その後進を育てる仕事になり、さらに、監督もしないといけない」
今までは、
「自分から率先して創意工夫を考えながらこなしていくことで、成果が出たのだが、今度はそうはいかない」
正直、
「自分には、管理職は向かない」
と思ったのだ。
実際に、管理職についてみると、今までの創意工夫は、面白いように出てきたにも関わらず、
「新しい発想が、急に出てこなくなった」
自分は最初それを、
「スランプなんだ」
と思っていた。
スランプだということは、
「俺にはできない」
ということであり、上司に、
「自分には管理職は向きません」
といってしまったものだ。
それでも、上司は、
「いやいや、君には期待している」
と言われた。
今までの仕事では、上司が思っているよりもそれ以上の仕事をこなしたのだから、
「管理職になっても、その才能はどんどん開花する」
と思ったとしても、無理もないことだろう。
「買いかぶりすぎだ」
と言いたかったが、
「会社の方針であれば、しょうがない」
かなり悩んだが、とりあえずやってみることにした。
それこそ、
「やってみせ、やってきかせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かず」
という言葉である、
その言葉を肝に銘じる形でやってみたが、
「他の管理職」
と変わりないくらいにはこなせていた。
それは、どうしても、
「自分にはできない」
という思いがあったからで、その発想から、人より頭一つ抜け出すことはできなかった。
他の人からしてみれば、
「そんな疑問を持っているやつに追い越されるようでは、自分たちの立場がない」
と思うことだろう。
しかし、その時の自分に、
「そんなおこがましいことを考える余裕なんかあったのか?」
と後から思いだして。そう感じるということは、
「意外とあったのかも知れない」
と思い、苦笑いをしてしまうほどであった。
それを考えると、
「管理職というものを、甘く見ていたつもりはないか」
と考えたのは、その時、自分が新入社員で、支店に配属された時のことを思い出していたからだ。
さすがに、その時の新鮮な気持ちを思いだすことは無理であったが、
「自分には、第一線での実績がある」
という、
「実力が備わっているということも間違いない」
と思うのだった。
ストーカー事件
「自分は、熱しやすく冷めやすい」
とよく周りから言われている。
その性格がどういうことなのか、正直自分でもよく分からない。
確かに、人からよく、そういわれるが、自分ではあまり、イライラすることはない。
それは、何といっても、人と話すことが最近はなくなったのだが、人と話すことで、もめることが多いからであった。
「もめるくらいだったら、人と関わらない方がいい」
とよく言っていた。
それも、自分が以前、
「人に騙されたことがあったからである」
実際に、
「どういう騙され方だったのか?」
というのは、ここで列記したくない。
それは、自分の黒歴史であり、
「人には誰もが、他の人に触れられたくない秘密というのがあるもので、自分としても、それを口外したくない」
ということであった。
それを考えると、
「その騙された経緯に対して、少しは、自分も悪いところがあった」
ということを表しているのであった。
だからこそ、
「黒歴史」
なのであって、
「人に触れられたくないもの」
ということになるのであった。
その黒歴史の中でいえる範囲があるとすれば、ある意味。
「自分の都合のいい部分」
ということで、それだけを鵜呑みにするわけにもいかないだろうから、
「どのように騙されたのか?」
ということまで言及できないということになるのだ。
しかも、それを話してしまうと、
「今はすでに関係ない」
という人に迷惑をかけてしまうことになる。
たとえ、
「名前を明かさない」
ということであっても、言ってはいけないことであり、それこそ、
「コンプライアンス違反」
に近いものといってもいいかも知れない。
それはいつのことかというと、今から5年くらい前のことであり、実際には、
「まだ、尾を引いていない」
と言えばうそになる・
ことの発端は、自分が、
「ネットで知り合った女性が、近くに住んでいる」
ということからであった。
それまで、自分は、好きな女の子はいたりしたが、付き合うということもほとんどなかった。
特に学生時代には、大好きだった女の子がいたが、その人と付き合うということはなかった。
なぜなら、好きな女の子と付き合うとしても、相手の気持ちを分かることができず、いつも最後には、
「信じられない」
ということをいわれて、結局、別れるということになってしまったのだ。
そんなことが続いて、就職してからしばらくは、支店にいたこともあって、
「女性と付き合う」
というどころではなかった。
本部に異動して仕事にも慣れ。それを自分の中で、
「天職だ」
と思うようになると、その状況が自分にとって、
「余裕が持てる精神状態になってきた」
のだった。
そうなると、不思議なことに、まわりから信頼されるようになったからか、女性社員からも一目置かれるようになった。
しかし、これが、尊敬のようなものに変わってくると、
「恋愛とは別だ」
と自分で分かってくるようになった。
だから、
「彼女という感覚にはなれないな」
と思うことで、
「恋愛対象には思えない」
と自分でも思うようになった。
そもそも、
「尊敬の念のまなざし」
というものを向けてくれている女性に、恋愛感情を持つということは自分でもできることではなかった。
それを考えると、
「恋愛感情というものがいかなものかということを、自分で分かっていない」
と思えた。
作品名:黒歴史と普通という感覚 作家名:森本晃次