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威厳と呪縛

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 そんな呪縛というのが、自分の中で憎らしいものであると感じるようになると、そのたびに父親に対しての憎しみがこみあげてくる自分が今度は憎らしいのであった。
 ただ、その思いも、大学に入った頃に少し変わっていった。
 高校時代までは、どうしても、
「大学入試」
 というものがあったことで、毎日が、
「受験勉強一色」
 ということで、毎日が楽しいというわけにはいかなかった。
 ただ、一つのことに集中することで、
「余計なことを考えないで済む」
 とも考えられたのだ。
 つまりは、
「自分の中にもう一人いて、それが、父親と同じ性格」
 ということであった。
 それが、
「ハイド氏のような悪魔ではないか?」
 と思うと、自分が悪魔であることに、どう対応すればいいのかを考えないで済むのが、ある意味よかったと感じるのであった。
 しかし、大学に入ると、
「入試が終わった解放感から、しばらくは、自分が二重人格かも知れないという思いは封印する」
 という感覚になれた。
 それだけ、受験勉強というものが、辛いもので、その解放感は、子供の頃の悩みとは違うものを自分の中で宿らせているように感じたのだ。
 それが、
「大学生になったんだから、大人なんだ」
 ということで、
「子供の頃の悩みは、子供の頃に置いてきた」
 と感じたのだ。
 それは、
「受験に成功した」
 という達成感と満足感は一緒に生まれるもので、しかも、解放感は、
「家族から離れられる」
 という思いからであった。
 特に、自分では、
「解放感」
 というものが表に出ているということで、いろいろな思いが頭をよぎった挙句、最後には、
「家族から離れられる」
 ということを一番嬉しいことだとして受け止められたのであろう。
 そう考えたことで、頭の中から、家族のことが消えていたのであった。
 一年生の頃は、ほとんど忘れていた。
「大学生活をエンジョイするんだ」
 という気持ちが強く、仲良くなった友達にくっついていくのが楽しかったのだ。
 しかし、二年生になってくると、少し気分が変わってきた、
「友達にくっついていて、楽しいのか?」
 と思えてきたのだ。
 元々、自分から正面に出ることは、
「自分の性格ではない」
 と思っていた。
 何か面白い話題を触れるわけではない。かといって。
「他人の話に合わせ、さらに面白いことが言えるわけでもない」
 あとからおっかぶせる人間は、さらに面白いことを言わなければいけないということになるだろう。
 それを思えば、
「自分には、輪の中心にいるということは無理なんだ」
 と思うのだった。
 だが、だからと言って、いつも誰かと一緒にいて、その人の意志に元にいるだけでいいのだろうか?
 それを感じるようになると、誰か一人を頭の中で想像し、想像することが嫌な気分にさせられるのであった。
 それは、
「自分の母親」
 というものであって。
 中学時代のあの時を思い出さざるを得なかったのだ。
「友達の家に泊ってくる」
 といって電話を掛けたあの時である。
 父親が電話に出ようともせず、母親が、
「帰ってきなさい」
 と説得していた。
 その時に、坂口に言った言葉は、
「お父さんに叱られる」
 と言ったのだったが、それは、てっきり、坂口が叱られることだと思っていたが、今から考えれば、そうではなく、
「母親自身、自分が叱られるということを恐れていたのではないか?」
 と思ったのだ。
 だから、あの時、
「なんで俺が帰らなければいけないのか?」
 ということを惨めに感じ、
「情けなくならなければいけないのか?」
 と思ったかということである。
「自分に対して叱られるといったのではなく、子供より、いや、説得しようとしている相手よりも、保身を考えてしまった相手の気持ちが、なんとなくではあるが分かったからではないだろうか?」
 それを思うと、
「どうして、そんな保身に走っている人のために、自分が、犠牲にならなければいけないのか?」
 ということである。
 もちろん、子供だったということから感じたことであり、大人になってからでは、感じ方も違うだろう。
 それを思えば、母親に対しての怒りが、今になってこみあげてくるのだった。
 もちろん、その感覚にさせた元凶は、
「父親の威厳」
 という名の、押し付けだと思っている。
 しかし、そのために、いつもびくびくしている母親を、
「見るに堪えない」
 と思うようになると、
「なんで結婚したんだ?」
 と考えたりもする。
「結婚なんかしなければ、苦しむこともないのに」
 と思うのだが、それを思うというのは、大いなる矛盾というものを抱えることになるということであった。
 何といっても、
「両親が結婚しなければ、自分は生まれない」
 というわけで、
「一番考えてはいけない」
 ということになるだろう。
 それこそ、
「パラドックス」
 というもので。
「タブー」
 ということになるだろう。
 それでも、感じてしまったというのは、無理もないことなのだろうが、
「パラドックス」
 というものを感じると、
「中学時代のあの時、あれこそが、パラドックスだったのかも知れない」
 と感じた。
 パラドックスを感じたからこそ、情けないという思いがあり、あんなにも惨めな思いで、家に帰らなければいけない自分を演出したのだろう。
 そう思うと、
「あの時に、父親のみならず、母親の本性というものを、同時に感じたのだろうな」
 と思うのだった。
 しかし、その怒りや憎しみは、すべて父親に向けられた。
 それだけ、
「父親からの呪縛」
 というものが大きかったということになるのだろうが、果たしてそうだろうか?
 子供だったからこそ、一点に集中してしまうと、他のことが目に入ってこなかったということになるのではないか?
 と思うと、
「大学生になってから、母親のイメージが、シルエットか、ベールに包まれていたものが、徐々に見えてくる」
 ということが分かってきたように思えたのだ。
「大学生になったから。大人になった」
 というのは、年齢的なものであったり、解放感から感じたことであり、それが、本当に大人になったという証なのかどうか、自分でもよく分かっていないのであった。
 年齢的には、
「まだ子供」
 という意識があったことで、本当に、
「大人になった」
 と感じたのは、
「成人式の時」
 であった。
 その後から、
「残りの単位を取っておかないと、四年生になってからの就活に困る」
 と考えたからだった。
 そういう意味で。
「まだ子供だった」
 と後から感じるその時に、
「母親の影が自分にのしかかってきた」
 というのは、
「ひょっとすると、もう一人の自分というのは、父親ではなく、母親が影響しているのではないか?」
 と感じたからなのかも知れない。
「自分は、輪の中心にいられるような人間ではない」
 というのは、
「父親とは違う」
 という意識から、
「遺伝であってほしくない」
 ということと、
「父親の血を引いている自分が、父親の真似をしても、反発心が大きいので、父親のようになれるわけはない」
 と思っていたのだろう。
 ということで、
作品名:威厳と呪縛 作家名:森本晃次