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威厳と呪縛

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 というものが、一般家庭に普及し始めたということで、その時代が、いわゆる、
「いざなぎ景気」
 と言われる、昭和40年代に入ってのことであったのだ。
 それ以前というと、トイレも、
「水洗トイレではない」
 という時代であり、マンションというのもほとんどない時代だっただろう。
 それを考えると、昔の時代には、
「地震、カミナリ、火事、親父」
 という言葉があり、
「世の中の怖いもの」
 というもののたとえとして、使われている。
 これは、
「日本が、地震大国」
 と呼ばれているところからも分かるというもので、その次の、
「カミナリ」
 というのも、江戸時代などでは、
「落雷による被害」
 というものが、火事の一番の原因と言われていたことから、来るものである。
 そもそも、
「火事と喧嘩は江戸の華」
 というような皮肉めいた言葉があるくらい、火事が多かった。
 江戸城に天守がないのも、火事によって、燃え落ちたことが原因であり、さらに、
「火消しのプロ」
 ということで、
「町火消し」
 ということで、
「いろは48組」
 というものがあったというではないか。
 それだけ、火事というものも、恐ろしいものとされてきた、
 その、
「三大恐怖」
 というものに引っ掛ける形で、
「親父」
 というものが引っかかっているといえるだろう。
 これは、いろいろな謂れがあるようだが、その一番としては、
「昔からの家父長制度」
 というものからきているといってもいいだろう。
「家の長を、大黒柱」
 といい、
「表に出て稼いでくれる人が一番、家の中ではえらい」
 ということになり、その父親のいうことには逆らってはいけないということで、
「親父が一番」
 ということになったのだ。
 それを、
「父親の威厳」
 ということになるのであり、それは、昔から言われてきたことだったのだろう。
「地震カミナリ火事親父」
 という言葉は江戸時代から言われているというが、まさに、
「封建制度」
 というものからきているものに違いない。
 そもそも、
「封建制度」
 というものがどういうものなのかということであるが、
「ご恩と奉公」
 という言葉で言い表せるだろう。
 そもそもの封建制度というのは、鎌倉時代から始まっていて、
「武家政治」
 という時代が、そのまま封建制度に当てはまるといってもいいだろう。
 つまりは、
「武士というものを知れば、封建制度が分かる」
 といってもいい。
 武士というと、元々は、荘園を守るために、寺社や貴族が用心棒として雇ったっものだった。
 つまりは、土地を守るということから起こったことで、武士の時代に入ってくると、
「戦などでの褒美」
 というのは、
「新たな土地を与える」
 ということになり、その元々は、
「自分の土地を保証してくれる幕府というものに対して、何かあった時は真っ先に駆け付けご恩に報いる」
 ということであった。
 つまり、
「いざ鎌倉」
 という言葉に代表されるように、
「真っ先に駆け付ける」
 ということが、封建制度というものであった。
 だから、鎌倉幕府の滅亡も、
「土地を保証できなかった幕府に見切りをつけた」
 ということで起こったものだったのだ。
 そんな封建主義の家庭が、昭和の好景気と不況を繰り返していた時代には存在した。そして、その時代を引きずっているのが、坂口の父親だった。
 そんな父親に育てられた坂口は、中学時代の悪夢の記憶を抱いたことで、
「父親への憎しみ」
 というものは、決定的なものになった。
 しかし、自分の中で、大人になってくるにつれて、
「もう一人の自分」
 というものがいるような気がしていた。
 中学時代に友達から聞かされた、
「ジキルとハイド」
 の話。
 そして、高校時代に見たドラマの中に出てきた。
「二重人格をテーマにした物語」
 の主人公。
 普段は、おとなしいのに、好きな人ができると、ストーカーになってしまうというような話であった。
 今の時代では、ストーカーなど珍しいわけでもないし、二重人格の人も少なくはない。
 というよりも、実際に、世間では、
「精神疾患の人が多い」
 ということが分かってくると、
「二重人格というのは、精神疾患の一種なのではないか?」
 と思うようになった。
 しかし、自分の中に、
「もう一人の自分がいる」
 ということを感じると、
「俺も精神疾患なのか?」
 と感じるようになった。
 その根拠はどこにもないが、それを、
「父親の教育が影響しているのではないか?」
 と思うと、
「無理もないことか」
 ということで、余計に父親を憎むようになっていた。
 しかし、だからと言って、
「自分が精神疾患だ」
 という思いを受け止めることはできなかった。
 それを認めるということは、
「自分も父親と同じではないか?」
 と考えるようになり、さらに、
「父親も二重人格なのではないか?」
 とまで考えるようになった。
「父親が二重人格だ」
 ということになると、
「二重人格というのは、遺伝するのか?」
 と思えてきた。
 いや、
「遺伝する」
 と思ったから、父親も二重人格ではないか考えたのかも知れない。
 それが、本当に父親に対しての反発心から出たものだとすると、
「俺が二重人格なのは、遺伝によるものか、教育という環境によるものかに絞られてくるのではないか?」
 と考えるが、それは、
「必ずどちらかということだとは限らない」
 と思った。
「それぞれが微妙に影響し、つまりは、遺伝として備わったものに、環境がプラスされて、さらにひどくなった」
 と考えると、却って、いや、余計に、憎しみが湧いてくるというものだ。
 それくらいなら、
「遺伝か環境のどちらか」
 という方が救いようがあるのではないかと思えた。
 どちらにしても、
「父親の影響によるもの」
 と考えただけで、胸糞悪くなってくる。
 もちろん、こんな意識を持っているなど、家族はもちろん、まわりの人にいえるわけもない。
 ただ、
「この発想こそが、父親の影響だ」
 と思っていなかったというのは、
「まだ自分が子供だったから」
 といってもいいかも知れない。
 中学生というと、確かに成長期で、思春期という時代であるが、それも個人差というものがあり、自分が、
「まわりに比べて遅いものだ」
 と感じたのは、無理もないことだった。
 これは、
「勘」
 というものかも知れない。
 しかし、同じ勘というものでも、
「ヤマ勘」
 ではない。
 どちらかというと、
「本能に近いものではないか?」
 と感じるのだ。
 本能というのは、意識からくるものではなく、
「持って生まれたもの」
 すなわち、
「生まれた時から備わっているものだ」
 ということであれば、
「遺伝によるもの」
 ともいえるだろう。
 そうなると、
「これも父親からの?」
 と思うと、またしても不思議な気がする。
 とにかく、父親からの遺伝というものは、
「自分にとって、呪縛でしかないんだ」
 と思うようになったのだ。
作品名:威厳と呪縛 作家名:森本晃次