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威厳と呪縛

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「父親のようになれないのであれば、まったく違う性格でいくしかない」
 と思った時、浮かんできたのが、母親だったのだろう。
 その時にはすでに、
「友達の影に隠れて、くっついている」
 ということであった。
「これが自分には似合っている」
 ということを感じ、
「この性格が楽だ」
 とすら思うようになっていたのだ。
「楽な道を進む」
 というのも、人生を歩んでいくうえで大切なことだとも思っていた。
 それは、
「父親の威厳」
 というものを圧力のようなものだと考えることで、自分の中での、
「恐怖心」
 を払拭できないことで、
「とにかく逃げ出したい」
 と、その呪縛に対して感じたことであった。
 呪縛というものが、父親にしかないと思っていたが、それが大きな間違いだった。
 それは、
「呪縛というものと、威厳というものを一緒に考えていたからではないか?」
 と思っていたからで、
「威厳の裏返しが、呪縛だ」
 とも考えていた。
 これは、それぞれに影響を与え合ったことで生まれてくるものであるのに、それを、
「自分の中にあるもう一人の自分」
 ということで、一緒に考えてしまったことから来た、
「勘違い」
 というものであろうか。
 勘違い」
 というよりも、
「思い込みというものが引き起こした錯覚ではないか?」
 と感じると、
「両親が一緒にいて、時々その威厳に苦しめられながらも、離れようとしない」
 というのは、
「威厳というものを感じながらも、そこに、呪縛というものを感じていたとしても、それは、別物だと考えているからではないか?」
 と思った。
 それは、
「長年寄り添ってきた」
 という時間的な感覚なのか、
「出会ったことから、しっくりきたという、歯車のかみ合わせのようなものなのか?」
 ということを、
「息子である自分なら分かるかも知れない」
 と考えたが、それは、
「ここまで考えるのが、一つの限界であり、これ以上は、大きな結界が存在することで、見ることはできない」
 と思えてきたのだった。

                 SFの発想

「威厳と呪縛」
 というのは、相対するものではないのかも知れないが、それは、
「同一次元で考えるからであろうか?」
 と思うのだった。
 つまりは、
「異次元に存在しているものであれば、相対すると思えるのではないか?」
 と考えたのだが、それは、
「異次元自体が、それぞれに相対する世界であり、そこには結界が存在することから、決して見えないものだ」
 という発想が生まれてくるということではないだろうか?
 つまりは、
「異次元というものを考えた時、まったく同じ世界が、別次元で存在しているのではないか?」
 と考えたことがあった。
 それは、大学に入って読んだSF小説に書かれていることであった。
 その頃は、
「パラレルワールド」
 という発想はなく、その発想に触れたのは、SF小説を読むようになったからであったのだ。
 日本では、
「SF小説」
 というのは、あまり流行るジャンルではないという。
 海外文庫では、かなりの小説があるが、どうしても、日本人は、
「映像ありき」
 という感覚で見るものだという意識が強い。
 考えてみれば、
「洋画などで、SF的な話は多いが、日本で製作されたSFというと、ほとんどない」
 といえるかも知れない。
 ただ、まったくないというわけではない。
 それは、
「特撮というものと一緒になっている」
 というもので、そのほとんどは、
「ヒーローもの」
 であった。
 つまり、
「悪の秘密結社」
 であったり、
「怪獣や宇宙人」
 というものが、地球を破壊したり、占領しようと考えたりしているものを、正義のヒーローがやってきて、それらの、
「人類の敵」
 というものをやっつけるというのが、主な内容だ。
 つまりは、
「勧善懲悪」
 というストーリーが出来上がっているものだ。
 そして日本においては。これらは、
「子供向けの番組」
 ということになっていて、
「大人が見る者ではない」
 というのが、昭和の頃の発想だったかも知れない。
 制作側も、
「子供向け番組」
 という位置づけでストーリーを作っていたが、実際に、
「特撮ヒーローものの黎明期」
 と言われる時代には、そういう勧善懲悪ということだけではないものも含まれていた。
 それは、
「自然の驚異」
 であったり、
「人類への戒め」
 というニュアンスが強かった。
 そういう意味で、
「人類への警鐘」
 という話が多かった。
 しかし、それでは、
「視聴率が稼げない」
 ということになったのだ。
 そもそも、
「子供むけ」
 という様相だったものが、
「子供には難しすぎる」
 ということであれば、
「そもそものターゲット」
 というものが曖昧になり、幅を広げすぎたことで、悪影響を及ぼしたのかも知れない。
 というのも、
 子供に見てもらいたいということで、兵器としての、戦闘機であったり、潜水艦など、格好よくデザインしたいたものを、おもちゃメーカーとタイアップして、
「プラモデル製作」
 というものでも収益を得ようと考えていたとすれば、
「子供が難しすぎて見ない」
 ということになると、その収入が見込めなくなる。
 ということで、せっかくのスポンサーを降りるかも知れない。
 そうなると、番組の制作費もなくなり、作品自体を世に送り出すことができなくなる。
 実際に、視聴率も最低となり、
「番組打ち切り」
 となった。
 そのまま、すたれていくのかと思ったが、今度は2年後に、
「子供向けの番組」
 ということで生まれ変わった。
 前は、
「SFチックな話」
 ということで、宇宙などという壮大なテーマへの挑戦ということであったが、新しく生まれ変わった番組は、
「子供の世界」
 というものが中心で、何よりも、
「子供目線」
 ということで、子供の視聴者が増えていった。
 実際に、最初の、
「SFチックな話」
 の世代だった子供は、中学生くらいになっていて、そうなると、その子は、もう、そのシリーズというものは見なくなるだろう。
 自分よりも5歳くらい若い世代の子供が見るようになり、そこで、
「テレビで育った時代の世代」
 というものが別れるということになるのだろう。
「中学生にもなって、子供向けの特撮ヒーローなんか見れないよな」
 といっていた世代が、父親くらいの世代だっただろう。
 実際に、
「あの頑固おやじを絵に描いたような人が、特撮ヒーローものなんか見るとは思えないしな」
 と思うのだった。
 だから、
「俺も特撮ヒーローものなんか見ないんだ」
 と思っていた。
 そこだけは、父親と同じではないかと思っていた。
 今では、ケーブルテレビのようなものがあることで、
「昔の特撮ドラマ」
 というのを見ることもできる。
 リメイク版ということで、父親が見ていたであろう、
「宇宙をテーマにした特撮番組」
 というのを見たのだった。
「目からうろこが落ちる」
 というのは、こういうことを言うのだろうか?
 と感じた。
 内容は毎回しっかりとした
作品名:威厳と呪縛 作家名:森本晃次